アメリカの空飛ぶ天使たち

 アメリカのヘリコプター救急病院を見学に行くと、ほとんどの場合、フライト・ナースが出てきて説明をしてくれる。医師は直接救急飛行に乗っていないので当然かもしれぬが、いかつい男のパラメディックよりは女性のナースの方が人当りがいいからではないだろうか。

 それに、こうした広報活動は、彼女らの重要な仕事のひとつでもある。非番のときには付近の住民集会などに出て行って、ヘリコプター救急がいかに有効かつ重要であるかを説明し、人びとの疑問に答えて理解を得る。この活動がなければ、離着陸に伴う騒音苦情が増え、反対運動でも起これば救急飛行は成り立たなくなってしまう。それを防いでいるのが彼女らの役割といっても過言ではないだろう。

 もとよりフライト・ナース本来の仕事は救急医療そのものである。アメリカでは医師がほとんどヘリコプターに乗らない。その代わりナースが、しっかりしたメディカル・コントロールを背景として、なみの医師よりは遙かにすぐれた技能と権限のもとに、現場の救急治療にあたっている。

 患者の立場からすれば、フライト・ナースこそはまさしくこの世の生きた天使である。自分の身が危険にさらされ、生死の境にあるとき、激しい痛みを止め、恐ろしい不安を取り除き、命を救ってくれる。これほど頼もしく、優しく、慈母のような存在がほかにあるだろうか。

 ナースたちは自らもそれを意識し、心のうちに高い誇りを秘めて仕事をしている。無論そのことを表にa現すようなことはしない。けれども、つなぎの飛行服にほっそりした身を包み、膝のポケットに聴診器やハサミをぶちこんで、襟元に栗色の髪をなびかせながら颯爽とヘリコプターに乗りこむ姿は、誇り高き職業の第一線で働く喜びを無言のうちに語っている。

国境を越える魅力

 いつぞや、ある病院を見学したとき、米語ではなくて英語をしゃべるフライト・ナースがいた。訊いてみると、つい先頃までロイヤル・ロンドン・ホスピタルにいたらしい。しかし、イギリスではフライト・ナースという職種はない。ヘリコプターに乗るのは医師とパラメディックだけである。「どうしてもヘリコプターに乗りたかった。フライト・ナースの仕事をしたいと思ってアメリカにきました」という。

 フライト・ナースという仕事は国境を越えてまで、人を惹きつける職業なのである。

 だが、ナースの仕事は決して生やさしいものではない。高度の教育と訓練と経験を積んで初めて一人前になる。しかも本来の任務は病者の看護であり、身の周りの世話である。決して軽い気持で出来るような仕事ではない。おまけにフライト・ナースとなれば、もう一つ空を飛ぶという危険な要素が加わる。

 むろん航空関係者は、誰ひとり飛ぶことを怖がるものはいない。しかし、だからといって何もないとはいえない。危険な目に遭う確率は極めて小さいけれども、世の中から航空事故がなくなったわけではない。

知力、体力、気力が必要

 そのような困難な仕事であるにもかかわらず、フライト・ナースをこころざす女性は少なくない。そのための資格または条件はどうなっているだろうか。アメリカのいくつかの募集要項を見ると、たとえば次のような例が見られる。

「正規の看護学校を卒業し、正看護師(Registered Nurse)の資格を持ち、ICUその他の救急治療に3年以上の経験を有すること。州または国の定める基準にもとづく課程にしたがって緊急医療訓練を受けていること。BCLS(Basic Cardiac Life Support)、ACLS(Advanced Cardiac Life Support)、APLS(Advanced Paediatric Life Support)の現在有効な認定を受けていること……」といった具合である。

 このほかにも、さまざまな条件がつく。まず「英語を理解し、英会話ができ」なければならない。先にイギリス人の例を見たが、フライト・ナースをめざす人が世界中からやってくる。しかるに英語が不自由だと訓練も受けられないし、緊急現場で咄嗟のやりとりに間違いが起こる。

 さらに「1.5マイル(2.4km)の距離を13分以内で走れること。もしくは3マイル(4.8km)の距離を45ポンド(20kg)の荷物をもって、45分以内で歩けること」「300mを7分以内に泳ぐこと。もしくはマスク、ひれ、シュノーケルをつけて1,000mを25分以内に泳ぎきること」などという奇妙な条件もある。

 これから空を飛ぼうというのに、泳ぎができなければならないとはどういうことか。しかも、この病院は海岸や離島にあるわけではない。テキサス州の真ん中にあって、周囲は草原か砂漠のような環境である。ということは応募者の泳ぎが目的ではなくて、体力を求めているのであろう。

 ある病院で、小柄なフライト・ナースに会ったことがある。「ヘリコプターにストレッチャーを載せたり降ろしたりするのは大変でしょう」と言ったところ、「毎朝バーベルを持ち上げて、筋トレをしてるから大丈夫よ」と、二の腕を曲げて力こぶを見せてくれた。フライト・ナースは頭脳と同時に体力も必要なのだ。

 しかし、だからといって、余り大きな女性も困る。この募集要項には「応募者は飛行服を着たときの体重が100kgを超えてはならない」と書いてある。まあ、滅多にそんな人はいないと思いますが、ジャガイモの好きなアメリカ人の中には、時どきびっくりするような大きな人がいる。ヘリコプターはジャンボ機と違って、無闇に重いものを載せることはできないし、機内も決して広くない。如何に優秀でも、重すぎる女性はフライト・ナースにはなれないのです。

 余談ですが、スチュワーデスの場合も同じような規定を持つエアラインがある。そのため労組との間に紛争が起こった会社もあります。ジャンボ機だって金にならない重量は積みたくないからでしょうが、むしろ美容との関係があるのかもしれません。


スタンフォード大学附属病院のフライト・ナースの皆さん

フライト・ナースの仕事

 知力、体力に続いて、フライト・ナースは気力も問われる。募集要項には「気持ちが柔軟で適応性があり、勤務時間が急に変更になったり、非番で帰宅したときに緊急呼び出しがかかっても、我慢できるような人」と書いてある。この点はアメリカに限らず、日本でもナース一般に求められる資質といってよいであろう。

 こうした困難な条件にうまく適合して採用されたフライト・ナースを待っているのは、どんな仕事だろうか。募集要項には次のようなことが書いてある。

(1)業務の9割は救急現場への緊急出動で、急病人や怪我人に対し、生命維持治療をおこなう。

(2)そのために駆使するのは、広く認められた最先端の医療技術である。

(3)救難、救助、消火、警察などの広範な危機管理業務に参加し、医療面を担当する。

(4)都市および農村の急速に進歩しつつある救急体制の一員として活動する。

(5)搭乗機は最新鋭の双発ヘリコプターである。

 これが医師ではなくて、看護師の任務なのである。無論これだけの仕事を、採用された翌日からこなすことはできない。最初の6週間は救急医療錬成学校に入って研修を受ける。次いで先輩経験者の下について実地訓練を受ける。訓練の内容はヘリコプターの運航、安全の心得と手順、救難業務、救急体制の機能、そして患者の扱い方、家族への接し方などである。いずれにせよ、「ヘリコプター救急は新しいシステムであり、日々これ創造という気持ちで任務に当たらなければならない」とされている。

望ましい姿

 こうして一人前のフライト・ナースが出来上がってゆく。その望ましい姿はどのようなものであろうか。

 資格は正看護師で、ACLS(Advanced Cardiac Life Support)、PALS(Pediatric Advanced Life Support)の能力を有する。経験は少なくとも5年以上だが、フロリダ州航空搬送ナース協会の会長は「救急現場に出てゆくフライト・ナースは5年以上の経験を積むと、患者を見たとたん、今すぐやるべき処置が頭の中にパッと出てきて、自動的に手が動くようになる」と語っている。

 そうした人はNALS(Neonatal Resuscitation Program)、 PHTLS(Pre Hospital Trauma Life Support)、BTLS(Basic Trauma Life Support)、TNCC(Trauma Nurse Core Course)、もしくはFNATC(Flight Nurse Advanced Trauma Course)といった研修も終わっているだろう。

 そしてCCRN(Critical Care Registered Nurse)またはCEN(Certified Emergency Nurse)、CFRN(Certified Flight Registered Nurse)の認定を受けているに違いない。

 また絶対に必要というわけではないが、ヘリコプターばかりでなく固定翼機や地上の救急車の搭乗経験があり、パラメディックの資格があればなお結構とされている。

 ついでに、その報酬は、普通のフライト・ナースが12時間シフトを週3回ずつ繰り返して年収35,000ドル程度。マネジャークラスは管理業務と教官職も含めて年に70,000ドルくらいになるという。

最大の喜び

 フライト・ナースは上に見てきたように、他人(ひと)の目に映るほどカッコいい仕事でもなければ、給与が高いわけでもない。おまけにリスクが伴う。にもかかわらず仕事は大変だし、勉強と試験の連続である。それも看護学に関する専門分野の知識と技能と資格が求められるばかりでなく、航空の生理学と物理学についても熟知していなければならない。そのうえで乗員の一人として、飛行の安全に関する手順と動作を身につける必要がある。

 航空の安全は決して等閑視することができない。空を飛ぶということは、それ自体が危険な所作なのである。フライト・ナースになるからには、先ずそのことを肝に銘じておく必要がある。といって、安全を心配しながら飛んでいるナースは、皆無に近いであろう。

 加えてナースの仕事には、こまやかな神経と使命感、責任感、倫理観が要求される。

 そうしたいくつもの要件が満たされたとき、彼女らは高い信頼性を勝ち得て、医療看護におけるプロ中のプロとして尊敬を集めることになろう。上の航空搬送ナース協会の会長も「フライト・ナースは単なる仕事ではない。長期にわたる修練と看護の辛苦に耐え抜いてきた人生の生き方そのものである」と語っている。

 そしてフライト・ナース自身はどう思っているか。あるナースは最大の喜びは何かと訊かれて「それはバイタル・サインが動き出した瞬間」と答えた。

【お断り】アメリカのフライト・ナースは、むろん女性だけではありません。筆者自身も男性のフライト・ナースを知っています。けれども大半が女性であることから、ここではあたかも女性だけであるかのような書き方をしました。ご了承ください。

(西川 渉、『日本航空医療学会雑誌』、2004年6月25日刊掲載)

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