<救急飛行>
『フライトナース安全の指針』を読む その2
個人防護装備 (1)ヘルメット
米陸軍の調査では、軍用ヘリコプターの墜落事故で死亡したものは、ほとんどが機内のどこかに頭をぶつけるという2次的な頭部外傷が原因だった。また1991年に発表された調査では、陸軍のヘリコプター墜落595件の実態から見て、ヘルメットを着用していなかった者は、ヘルメット着用者の6倍の危険性があると結論づけている。簡易式のAIS重傷度スコアでは、ヘルメット着用者の重傷度が37%低い。
他方、後席に乗っている者の危険性は高くなる。
ヘルメットについたヴァイザーは顔面をおおうので、顔や目の保護になる。それも墜落時ばかりでなく、鳥や異物が飛行中に風防を破って飛び込んできたときの防護になる。たとえば鳥の羽根や血液が目に入って見えなくなると、特に操縦士の場合は瞬間的であっても重大な結果になりかねない。現実にそのような事故が起こっている。
飛行中はヘルメットのあごひもをしっかりかけておく。いざというときヘルメットが脱げてしまっては役に立たない。最近は軽くて快適なヘルメットが出てきたが、これでも着用時は動きがにぶくなり、視野がせまくなり、音も聞こえにくい。したがって航空医療従事者はふだんからヘルメットをかぶり、慣れておく必要がある。
(2)飛行服
航空機が墜落事故を起こすと、燃料タンクが破裂して燃料が洩れ出し、火が点いたり爆発したりする。機体全体が燃え上がったときは、炎の中をかいくぐって脱出しなければならない。その結果、ひどい火傷を負うかどうかは、着ている衣服によって異なる。タービン・ヘリコプターの燃料JP-4は、発火すると約20秒で最も大きく燃え上がる。したがって、夏向きの木綿の飛行服を着用している搭乗者は10秒以内に脱出しなければ、自分が火だるまとなって生存の可能性も危うくなる。
そして20秒を過ぎると、火炎の温度は927〜1,260℃に達し、不燃性の飛行服でも数秒で発火し、重度の火傷を負ったり、死亡したりする。発火事故に対する完全な防護策はないけれども、なるべく肌を火や熱に当てないことである。
ノーメックスは火や熱に強い。けれどもノーメックス製の飛行服ならば何でもいいというわけではない。メーカーや製品は種類が多いので、繊維の不燃性や耐熱性の程度を調べると共に、着心地の良さ、洗いやすさ、耐摩耗性、強さ、色合い、長持ちなどを勘案して選定すべきであろう。
火炎から身を守るためには、下着も重要である。望ましいのはノーメックス製の飛行服の下に、コットン、シルク、もしくはコットンとウールの混紡といった天然繊維の下着を着けることである。ポリエステル、ポリプロピレン、ナイロンなどの化学繊維の下着は高温で融けて火傷になるので避けるべきである。
(3)安全靴
救急現場は鋭い金属片、滑りやすい油脂または液体、ガラスの破片、救急隊が持ちこんできた電動装置など、さまざまな危険物が散乱している。したがって安全靴を履いていなければ救急作業も円滑に進められないし、自分の足に大きなけがを負う結果となる。
安全靴は、つま先と土踏まずがスチールで保護され、足首の上までおおうような長い革製がよい。といってジッパー付きにすると、着脱に便利ではあるが、上述のような火災事故で火に触れたとき、熱を伝えて足に火傷を負う結果となる。靴下もコットン、ウール、シルクなどの天然繊維がよい。
以上のような考え方から、ASTNAは次のような指針を示している。
- 救急ヘリコプターの搭乗者は、全員が飛行用ヘルメットを着用する。このヘルメットは米陸軍の航空用ヘルメットと同等またはそれ以上のもので、顔面を完全におおうヴァイザーがついていなければならない。ヘルメットは飛行中常に着用し、ヴァイザーも正しく使用する。
- フライトナースは火炎と熱に耐えられる袖の長い飛行服を着用する。下着は天然繊維。ノーメックス製の手袋も有効で、できるだけはめるようにする。
- フライトナースは天然皮革のハイトップのブーツを履く。ブーツにジッパーがついているときは、ブーツの内側に革を当てて、熱が浸透してこないようにする。靴下はコットンかウールにする。
金髪をヘルメットで包んで救急機に乗り込む
米スタンフォード大学病院のフライトナース2人
緊急操作訓練 医療クルーは万一の場合にそなえ、搭乗するヘリコプターの緊急操作について、あらかじめ訓練を受ける必要がある。訓練を受けた機体が整備作業などで飛べなくなったときは、代替機を使うことになるが、その機種が異なると、たとえ短期間であっても、異常事態にあたって安全な処置がむずかしくなる。そのため、できれば普段から代替機の候補に挙がっている機体についても緊急操作の訓練を受けておくのが望ましい。
そこでASTNAとしては、次のような配慮をすべきだとしている。
- 代替機を使うときは、原則として同じ機種でなければならない。
- 代替機の機種が異なる場合は、これまで使っていた機材と異なるところを重点に、一定の時間をかけて訓練を行なう必要がある。
患者の拘束 救急ヘリコプターに乗せた患者が異常に暴れることがある。たとえば頭部に外傷を受けた患者、アルコールや薬物中毒の患者、精神病者、脳の低酸素症などの患者である。このような患者をヘリコプターで搬送すべきかどうか、あるいは搬送前にどのような処置をするかについては適切な判断が必要である。
暴れ方のひどい患者は、ストレッチャーのベルトだけでは充分な拘束ができない。そこで鎮静剤、催眠薬、麻酔薬などの薬剤を使うことになるが、その場合は搬送中、患者の呼吸や酸素の供給に注意する必要がある。
病気の囚人を搬送するときは、警察官の同乗が必要である。警察官は拳銃その他の火器を携行しているので、患者が暴れたときや機体が不時着したときなどに新たな問題を起こす可能性がある。
そこでASTNAとしては、患者の拘束について次のように考える。
- フライトナースは患者の搬送に先立って、飛行中に暴力をふるう恐れがないかどうか、よく観察しなければならない。
- 暴力をふるいそうな患者は、ヘリコプターへ搭載する前に革帯などの器具を使って、しっかり拘束する。
- 救急事業体は、医師の指導の下に、暴力の恐れのある患者について、鎮静剤や麻酔薬などの用法を含む処置を明文化しておく。
- 囚人の搬送要領についても、あらかじめ明確な規定を作成する。
安全のための搭乗拒否 米連邦航空規則(FAR)は、航空機の機長は運航に関する全ての責任と権限を持つと定めている。この中には当然、安全保持の責任も含まれるので、気象条件その他の理由で飛行を取りやめたり、中断する権限を持つことになる。
ASTNAも機長の権限を尊重する。したがってフライトナースが機長の決断にさからったり、考えを改めさせようとすることは認めない。
しかしまた、ナースがみずからの安全のために、搭乗を拒否する権利も認めている。そのことを明文化している救急事業体は、1998年のASTNAの調査では、回答者の52%に過ぎなかった。けれども実際にそうしたことを経験した事業体は63%だった。
繰り返しになるが、搬送飛行をするかしないかは最終的に機長の判断による。しかし、同乗するクルーも自分自身の安全については責任を有する。特にフライトナースの場合は、患者の安全にも責任がある。したがって自ら搭乗を拒否するか、患者の搬送飛行の取りやめを機長に建言する責任があると考えてもよいであろう。
そこでASTNAとしては、飛行の安全を確保するために、次のような方策を勧告している。
- 救急飛行に従事する事業体は、気象条件その他の理由で救急搬送を取りやめる権限がある。外部もしくは内部の圧力によって無理な飛行をしたり、個々人の競争心や功名心から無理に飛ぶようなことはすべきでない。
- 各業体は個々の従事者が、それぞれの立場で、安全上いかなる理由から飛行を取りやめたり、搭乗を拒否したりできるのか、その規定を明確にしておく。
サバイバル訓練 救急機に乗るということは、通常の旅客機や自家用機に乗るのとは異なる。すなわち救急ヘリコプターは交通事故などの現場へ直接着陸する。しかも、ほとんどの救急機はパイロットが1人である。そのためフライトナースは自機の現在位置の通報(ポジション・レポート)をしたり、そのための無線操作をしたり、外界の見張りをするなど、航空機の運航にかかわる任務も果たさなくてはならない。
さらにヘリコプターが不時着したり事故を起こすなど万一の場合は、エンジンを切り、緊急位置発信器(ELT:Emergency Locator Transmitter)を作動させ、患者の脱出を助けなければならない。しかも、これらの緊急措置は機種によって、状況によって異なる。
こうした事態に対処するため、ASTNAは次のように勧告している。
航空の安全にとって最も重要なことは、操縦士を初めとする乗員の健康である。それも身体的な健康ばかりでなく、精神的な健康も忘れてはならない。とりわけストレスの影響は大きく、ときとして危険を招くこともある。
大きなストレスは人間の感情をゆさぶり、思考能力や行動に悪影響を及ぼす。そこで、ストレスに苦しむフライトナースに対しては、ストレス管理(CISM:Critical Incident Stress Management)プログラムによって回復を助け、適切な休暇を与える。
以上がアメリカの搬送ナース協会の作成したフライトナースの安全に関する指針の要点である。ただし冒頭に書いた課題12項目のうち不安全報告、機内の安全、救急車の安全については省略した。念のために、不安全報告の項には、危険の前兆となるような問題を見つけたときは報告し集積する。すなわちインシデント・リポート・システムをつくり、将来の安全性向上に役立てようという趣旨のことが書いてある。また機内の安全に関しては、キャビン内部の突出物によるけがや座席の衝撃吸収力などが論じられている。
こうした安全の指針について、ここには簡単に要約してしまったが、本書は冒頭にご紹介した一例が示すように、実はアメリカのフライトナースたちの膨大な血と汗と涙の結晶にほかならない。
ご承知のように、アメリカでは通常、救急ヘリコプターに医師が乗らず、フライトナースやパラメディックが乗って、現場治療に当たり、同時に飛行の安全にも大きな責任を持つ。そのためフライトナースに対するASTNAの要求もきびしい。
いわば1人で2役、3役をこなすわけで、それだけにここに示された安全の指針は、日本のドクターヘリにかかわる看護師はもとより、医師や救急救命士、そして出動機に同乗する整備士にも当てはまることとなろう。
幸い日本では、ドクターヘリの事故はない。このまま永久に静穏な状態が続くことを願うものだが、そのためには逆に安全のための努力と準備が静穏であってはならない。不断の訓練が必要であり、充分な訓練によって緊急時の動作と操作がしっかり身についていなければ、いざというときに騒がず、慌てず対処することはできないと本書は書いている。
救急飛行はもともと危険な任務である。それを安全に遂行してゆくには、危険を避けたり、危険から逃げているだけでは、いつかつかまってしまう。危険に対処できる備えが必要だが、ここにご紹介した要点がいささかでもお役に立ち、安全のための方策を組み上げる糸口となるならば幸いである。
(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』2007年1月号掲載、2004.4.11)