フランク・ロイド・ライト(1)

マイルハイ・タワー

 


(失われたツインタワー)

 

 今年はお正月早々から航空事故のニュースが相次いだ。日本では熊本の山中にセスナ機が墜落、フロリダ州タンパでは都心部の高層ビルに、これもセスナが突っ込むという有様。午年といっても「無事これ名馬」とはいかないし、初夢も悪夢に変じかねない。

 さて、山中の事故は別として、都心部の高層ビルに突っ込んだとなれば、誰しも9.11多発テロを思い出すわけで、アメリカでは大騒ぎになったらしい。小さな軽飛行機の事故がこれほど全米を震撼させたのは初めてではないか。F-15戦闘機までがスクランブルに飛び立ったほどである。

 操縦していたのは15歳の少年。機体の残骸の中にあったノートには、死んだ少年がテロの元凶と目されるビンラデンに共鳴するようなメモが書いてあったというから、これは意図的にニューヨーク・テロの後を追った体当たりなのであろう。もっとも、9.11テロを支持するといっても、自分だけの一方的な気持ちで、テロリスト・グループと具体的な連絡があったわけではなく、むしろ友だちの少ない孤独なティーンエイジャーだったという。

 1月5日、その少年がいつもの訓練のために飛行学校へやってきた。彼は昨年3月からここで操縦を習っていた。教官は少年に対し、先に飛行機のところへ行って飛行準備をしておくように指示した。ところが、少年は教官が来るのを待たずに離陸してしまう。

 そのセスナ172Rを追って、F-15と沿岸警備隊のヘリコプターH-60がが発進した。軍が心配したのはアフガン攻撃の指揮を執っている中央司令部(セントラル・コマンド・ベース)が近くにあるので、その上空の飛行禁止空域に入りはせぬかということだった。事実セスナ機は基地の上を低空でかすめ、離陸9分後に42階建てバンカメ・ビルの28階と29階に突っ込んだのである。土曜日のために、オフィス・ビルの中にはほとんど人がいなくて、怪我人も出なかったのは不幸中の幸いだった。


(かろうじてぶら下がった飛行機の尻尾)

 高層ビルに飛行機が突っ込んだ事例は、9.11テロはさておき、アメリカ陸軍のB-25爆撃機が1945年エンパイヤステート・ビルに衝突したことがある。

 まだ日本との戦争がつづいていた7月28日のこと、機はニューヨーク近郊のニューアーク空港へ行くところだった。ところが何を思い違いしたのかラガーディア空港の上空にあらわれ、管制塔に気象条件を訊いてきた。管制塔は視程が悪化しているので、すぐ着陸するように答えた。しかし機は、そのままニューアークへ向かうと応じて飛行を続けた。

 パイロットからの最後の無線連絡は「エンパイヤステート・ビルが見えない」というものだった。濃霧から抜け出すために、B-25は高度を下げた。雲から出ると、そこはマンハッタンの真ん中で、あたりは林立する高層ビル群。機首はニューヨーク・セントラル・ビルディングの方を向いていた。

 パイロットはすぐさま西へ機首を転じ、いくつかの建物をやり過ごして飛ぶと、正面にエンパイヤステートがあらわれた。再び方向を変え、機首を上げて上昇しようとした。しかし午前9時49分、重さ10トンの爆撃機は102階建て、高さ381mのエンパイヤステート・ビルの北側にぶつかったのである。衝突したところは79階で、壁面に幅5.4m、高さ6mの穴があいた。

 ぶつかると同時に高オクタン価のガソリン燃料が爆発した。建物の壁面を火炎がすべり落ち、内部では階段を伝って75階まで火事になった。

 その日は土曜日だったが、戦争中のこと土曜日も出勤日で、建物の中では多くの人が仕事をしていた。飛行機が飛びこんだところは米国カソリック福祉団体の戦争救済サービスのオフィスであった。

 その部屋の中で飛行機が爆発し、人びとはなぎ倒され、一面が火の海となった。そこから逃げ出すためにもがいている人、全身火だるまとなって立ちつくす人などがいて、結局11人が死亡した。

 片方のエンジンと車輪の一部が火のついたまま79階の床の上を走り抜けた。2つの火の玉は反対側の壁を突き破って、33丁目の通りをへだてた向かい側の12階建てビルの上に落下した。

 もう一方のエンジンはエレベーターシャフト(昇降路)の中へ飛び込み、降下中の昇降籠の上に落ちた。その衝撃で籠は地下まで落下したが、途中で緊急装置がきいて中に乗っていた2人の女性は生きて救助された。

 飛行機が衝突した側では、機体の破片が歩道まで落ちた。歩行者はあちこちへ逃げまどったが、死者は出なかった。

 飛行機の火が消えたあとで、機体の中の犠牲者が運び出された。死亡者は3人だったから、オフィスで仕事をしていた11人と合わせて14人が死亡したことになる。ほかに怪我人が26人であった。

 一方、建物の損壊は少なく、構造部分の影響もなかったため、修理費は約100万ドルだったという。


(エンパイヤ・ステート・ビルディング)

 高層ビルに飛行機がぶつかった場合、これまでわれわれの頭のなかにあったイメージは、今回のフロリダの事故に見られるように、、機体が窓に飛びこみ、ビルの壁面に宙ぶらりんになるといったものであろう。

 エンパイヤステートの事故も同様で、損傷の程度も案外少なかった。その事実から見ても、あのワールド・トレード・センターが2棟ともに完全に崩壊するといった事態は誰が想像し得ただろうか。

 テロから10日後のBBCニュースは、それは「ある意味で設計上の悲劇的な事故ではなかったか」と解説している。むろん設計ミスということではない。まさか150トン前後の大型ジェット旅客機が突っ込んでくることなど前提にするはずがなく、一方ではマンハッタンの堅牢な岩盤を前提に、きわめて進歩的、近代的な軽量設計になっていたのだろう。

 2機の大型ジェット旅客機は建物の中心部に突きささり、大量の燃料を放出して、構造部分の中核に火災を起こし、高熱を発した。「中核構造がもしも鋼材ではなくて耐火コンクリートであれば、崩壊までの時間がかかり、もっと多くの人が建物から脱出できたにちがいない」とBBCはいう。日本でもあの悲劇のあと、ワールド・トレード・センターの構造について多数のテレビ解説を聞いたけれども、こういう種類の話は聞いたことがなかった。

 ワールド・トレード・センターの悲劇は、超高層ビルに勤務する人びとの恐怖心をかき立てた、とBBCはいう。9月11日の当日も、アメリカの高層ビルで仕事をしていた人は、次は自分の建物がやられるのではないかというので多数が避難した。テロ1週間後のCNNの世論調査でも、3分の1が高層ビルには入りたくないと答えたらしい。

 そこでBBCは超高層の将来について、やや悲観的である。これからの高層ビルは恐怖心にとらわれたテナントが減る一方、損害保険料が高くなって、家賃が上がる。そのためますますテナントが入りにくくなる。

 構造上の安全基準もいっそう厳しくなる。たとえば避難脱出の通路は、ワールド・トレード・センターの場合、消防士が駆け上がってくる通路にも使われたため、避難する人が押し戻されるようなこともあって、脱出のための時間がかかった。したがって、これからの高層ビルは脱出の通路や階段が専用になっていて、しかも破損しにくく、安全が確保できるようでなければならない。また上海の超高層ビル「上海ワールド・フィナンシャル・センター」は15階ごとに避難フロアがある。このフロアは強力な防火壁で囲まれただけの何にもない空間で、避難の途中ここで休むこともできるとか。

 アメリカでは最近何年も、100階建てクラスの超高層ビルはつくられていないらしい。といって、このまま摩天楼の将来がなくなるのは寂しい限りである。

 時間が経てば恐怖心は薄らぐ。ワールド・トレード・センターの跡地についても、それをどうするかというアイディアのひとつに、高さをツインタワーの半分程度にして、60階建てのタワー4棟を建てるという提案もあるらしい。60階だって、テロに対して安全というわけではないが、110階のツインタワーほどもろくはないであろう。

 そういえばサンシャイン・ビルも60階建てである。昔このビルの屋上にヘリポートを作ってはどうかという話があって、見せて貰ったことがある。屋上に出ると風が強くて、ビル全体がフワフワと揺れている。責任者の人に大丈夫ですかと聞いたところ、「地球が壊れても、このビルは壊れません」という答えだった。

 どうやら60階という高さは安全上ひとつの節目かもしれない、などというのは素人の勝手な考えだが、専門家の中にはそんなケチな高さではなくて、「マイルハイ・タワー」を考えた人もいる。帝国ホテルの旧本館設計で有名なフランク・ロイド・ライト(1869〜1959年)で、高さ1マイルだから1,609m――エンパイヤステートやワールド・トレード・センターの4倍という超々高層建築である。

 イリノイ州のために1956年に提案された建物で、居住階とオフィス階があり、居住者は55,000人、外からオフィスへの通勤者は75,000人、合わせて13万人が入る。周囲には15,000台分の駐車場と、多数のヘリコプターが駐機可能なヘリポートも設けるという壮大かつ理想的な構想であった。

 こうした構想がテロのために永久に実現できないとすれば、まことに残念。夢のままで終わらせないためにも、テロはなくさなければならない。


(高さ1,609.34mのマイル・ハイ・ビルディング構想) 

(西川渉、2002.1.9) 

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