<フルフラット>

座席からベッドへ

 先週1週間ほどアメリカへ行く機会があった。往復に使った飛行機は米デルタ航空だが、これが羽田から飛び立つ。遠い成田と異なり、東京都内に住む者にとってはなかなか便利だ。そのうえ深夜1時に出発し、ロサンゼルスに着くのが現地時間の夕方6時頃。ホテルに入ったのは夜の8時頃で、そのまま寝ることができる。これまた時差に悩まされることが少ない。

 座席はビジネスクラス。同じデルタ航空のビジネスクラスには2年ほど前にも乗ったことがあるが、あのときは背もたれが大きく傾いて脚を伸ばすことができるものの、フルフラットというわけにはゆかなかった。エコノミー席を大きくした程度で、さほどの違いも感じられない。

 しかし今回のそれは、2年間で相当に進歩したとみえて、普通に坐ったまま、ボタンひとつでお尻を載せた台座が前方にせりだし、同時に足を載せたフットレストがせり上がって、最後は完全なフラット(平ら)になる。そのまま毛布をかぶって寝ることができるのだ。起き上がるときも、ボタンを押すだけで逆の動作が始まり、普通の座席に坐った恰好にまで戻すことができる。

 こうした作動にあたって、座席の背もたれは下方へ沈みながら前方へせり出すので、後方へ傾くわけではない。したがって後席の人に迷惑がかかることはなく、自分も前席が倒れてくるようなうっとうしさはない。

 ちなみに2年ほど前だったか、シンガポール航空のA380超巨人機でアメリカへ行ったことがある。このフルフラット席は一度立ち上がって背中のボタンを押さなくてはならない。結果は平らで広々したベッドになるものの、デルタのように機能的ではなかった。もっとも最近は改良されたかもしれない。

 ところで、書斎に坐ってものを書いたり、パソコンを操作していると、いつの間にか睡魔に襲われることがある。そんなとき、椅子がひっくり返ったり、転がり落ちたりしたことはないが、首が後方へのけぞったような恰好になり、苦しくて目が覚める。これで椅子が転倒すれば、頭に怪我をしたり、首の骨が折れたりして、大事に至る恐れもあろう。

 それを防ぐには、上のデルタ航空機のような椅子があれば、どんなにかよかろうと思う。書斎の椅子が、眠くなればボタンひとつで後方へ傾斜し、最後はベッドにもなるといったものである。もっとも、これでは寝てばかりで仕事にならぬかもしれない。

 さらに1年半前の20日間ほどの入院経験から、病院のベッドにこれを利用すればいいのではないだろうか。開腹手術を受けたあとの寝たり起きたりの動作は思いのほか大変である。腹に力を入れるとメスの跡が痛むので、誰かに手を引っ張って貰わなくては起き上がれないし、ベッドに腰をおろして体を横たえるまでの動作も決してらくではない。普段は無意識のうちにやっていることが、病人になると力が入れられず、うまく動けないのである。同じように老人ホームなどのベッドにも応用できるだろう。

 しかし航空機の座席は、そんな簡単なものではない。単に安楽であるばかりでなく、厳しい条件がつく。すなわち重量が軽くて、万一のときは激しい衝撃を吸収すると共に、それに耐えられるような強度がなければならない。したがって製造費なども非常に高い。そんな高価なものを、普段の椅子やベッドに使うわけにはゆくまいという人がいるかもしれない。

 けれども書斎の椅子や病院のベッドは、そこまでの強度は要らないし、多少重くても構わない。したがって高価な軽合金や複合材を使う必要もないだろう。そうなれば製造コストも下げることができるにちがいない。

 利用するのは普通の椅子からベッドまでの作動機構だけである。安くて、しかも機能的な作動機構をもった地上用の椅子やベッドをつくって貰いたいと、羽田へ向かって太平洋をわたる飛行機の中で横になり、うとうとしながら考えた。

(西川 渉、2014.3.3)


さすがに「空飛ぶホテル」と呼ばれるA380のフルフラット席。
シンガポール航空のそれは完全なベッドである。

 

 

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