安全・保安・管制・財源

――四つの課題に取り組むFAA新長官――

 米国ビジネス航空協会(NBAA)の第50回総会で、FAA長官ジェーン・ガーヴェイ女史の講演を聴いた。

 NBAAのジャック・オルコット理事長に紹介されて登壇した新長官は、アメリカ人にしては背が低く、講演のテーブルが高すぎたと見えて、あらかじめ用意してあった踏み台に上って話をはじめた。「大きな組織の上に乗った小さな私です」といって約千人の聴衆を笑わせる。

 続いて2発、3発とジョークを飛ばして会場をわかせるが、当方よく分からないまま本論に入り、あとはきわめて真面目な話に終始した。そして「私たちFAAの仕事は何よりも安全ですが、それはとりもなおさず国民生活の改善、向上のためです」といったときは、満場の拍手を浴びた。安全は、安全のための安全ではなくて、国民を危険から護り、その生活を護るためだというのであろう。

 ガーヴェイ女史のFAA長官就任に当たっては、クリントン大統領の指名を受けてから長官の椅子にすわるまで、2か月間にわたって議会の審査がおこなわれた。2か月という期間が当たり前のことなのか特別なことなのかよく分からないが、FAAは昨年、連続事故で揺れ動いた。11月にはヒンソン前長官が辞任するほどだったけれども、それから半年余り長官の椅子は空席のままで、そのことがまた航空の安全無視というので国民の非難を浴びたりした。

 その間、今年2月にホワイトハウスは「航空の安全と保安に関する委員会」の調査結果を公表した。この委員会は昨年8月、連続事故を省みてゴア副大統領を委員長に設置されたもの。委員たちはワシントン・ダレス空港を皮切りに、半年間で全米12か所の空港や航空施設を訪ね歩き、空港とエアラインの第一線で働く職員から直接話を聞いて問題点の抽出に当たった。ほかに6回の公聴会を開いて、航空界と一般利用者の代表50人の意見を聴取した。この中には航空事故の遺族も含まれる。

 その報告書に、航空輸送が今のような成長率で伸びてゆき、かつ事故率が下がらなければ、2015年には犠牲者が毎週250〜300人になると書かれている。ベトナム戦争の戦死者と同じ割合で、平時にありながら戦時と同じ犠牲を出すのは誰しも容認できないであろう。

 ある委員は「私はアメリカ人の誰もが家族全員で何の不安もなく、そろって飛行機に乗れるようになることを望む。飛行の途中で墜落し、屍体袋に入って帰ってくるような目には逢いたくない」とまで書いている。

 そんな中でようやくFAA長官の候補者が決まったと思ったら女性だったのである。元来、航空界は男の世界である。その総責任者が女性という前例はない。おまけに、この人は航空に関する経験や知識がない。わずかにマサチュセッツ港湾局で航空部門を担当し、ボストン国際空港の管理に当たった程度。それにパイロットのライセンスもない。FAAの長官で操縦資格のなかった人はほとんどいない。そんな人に航空界の安全が問われている今、果たして航空行政の責任者としてリーダーシップが発揮できるのだろうかというのが、ガーヴェイ女史に対する大方の見方であった。

 ガーヴェイ女史が議会の審査に合格し、FAA長官として就任したのは8月初め。公的な場所で話をするのはNBAA総会が初めだそうである。航空界が注目したのも無理はないが、この講演は人びとの疑念を多少とも払うことに成功したらしい。

 講演の内容は、まずガーヴェイ長官みずから、自分の責務は「クリティカル・ミッション」(緊急任務)であると決意のほどを示した。そしてFAAとして安全性の向上、保安の改善、航空管制の近代化、財源の確保という4つの課題に取組むと語った。

 具体的には、安全問題に関しては過去数年間、運輸安全委員会(NTSB)や議会からFAAに出された300件ほどの勧告を洗い直し、まだ実行されていないものについて重要度の順位づけをして、順次実行に移す。

 また空港や航空機をテロやハイジャックから護る保安問題については、上述のホワイトハウス委員会が示した具体的な方策に従って実行する。

 第三の航空管制の近代化については、FAA内部の専門家を初め、航空業界や組合の代表者も含めて小委員会を設置した。ここで重要課題、日程、財源問題を検討し、改善のための障碍となるような技術的、経済的、政治的、構造的な問題を抽出する。それにより根本にさかのぼって問題解決に当たるつもりという。

 しかし以上の課題を実行するには費用がかかる。その財源確保が最大の問題だが、それには議会の予算承認を取り、広く航空界やホワイトハウスの同意を得なければならない。それにはFAAみずから効率的な仕事をする必要があり、そのために一種の行政改革もしくは人事改革を行うという。

「いま米国民が連邦政府をどう評価しているか。世論調査の結果では、まことに残念ながら政府への信頼感が非常に低く、多数のアメリカ人が政府は自分たちのアメリカン・ドリームを実現する上で障碍になっていると感じています。アメリカ人の大人の4分の3以上が、行政の運営管理を上手にやれば、もっと効率的な機能が果たせると考えています。さらに半分以上が、政府は自分たちの生活向上にほとんど何もしてくれないと思っています」

「今や、政府の仕事は効率が悪く無責任だというのが国民の捉え方です。特にFAAのようなエージェンシーは邪魔だと考える人が多くなってきました」

 どうやら「政府の仕事はもう沢山」というのが米国民の大多数の考え方らしい。あれだけ航空の自由化が進んでいながら、それでも米国民は政府の存在を鬱陶しいと感じているのだ。ガーヴェイ長官はそれを前提としたうえで、いま航空行政の建て直しをはかろうというのだ。

「FAAの4つの課題は、どれも複雑困難です。その解決は長官1人の手に負えるものではありませんし、FAAだけでも無理です。また政府だけでも解決できません。民間だけでもできないでしょう。関係者のすべての協力が必要です。私の任期中に望むことは、より安全で、より効率的な航空システムを実現し、利用者のお役に立つことです」

(西川渉、97年10月16日付『日本航空新聞』掲載)

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