<西川修著作集>

白鳥――動物二題の2

 Q家のお婆さんは、もう七十才を越している。若い時にカリエスにかかり腰椎が変形しているが、近頃になってまたその辺の工合がわるく、特に今年の春、左半身の軽い麻痺が起ってから、全く腰が立たなくなり、この数ケ月というもの寝たきりである。

 此のお婆さんが最近次第に精神の変調を示して来た。盛んな幻覚がある。虫がその辺をぞろぞろと這っていたり、犬や猫が何匹も出て来たり、魚だと言って一心に毛布の模様をつまみ上げたり、時には孫にやるランドセルが枕許に何十となく並んでいたり……。いつもイライラして腹立たしく、あるいは淋しがり、家族のものを傍において離したがらず、しかも家族の人を信頼しているのかというとそうではなくて、皆で自分を殺そうとしている、附き添いの小母さんも自分を殺せば手柄じゃ、などと思い込んで独り白い限をしている。少しでも気に入らぬ事があれば大きな声で喚く、泣く、で家族の人も扱いかねている。

 風通しの良い二階に、最新式の扇風機が音もなくまわっており、傍にはお爺さんを侍らせて、ちんまりと寝ているお婆さんは、如何にも大家の御隠居さんらしく落着いて見えるが、さて興奮しはじめると何を言い出すか分らない。

「お爺さんが、今日は不思議に真白な新らしい褌をしていると思ってさっきから見ていたが、あれは褌ではなくて鳥じゃ。爺さんが股ぐらに鳥を入れとるんじゃ。ハクチョウが爺さんの股ぐらに入っとる。そして爺さんは楽しんどるんじゃ」と言うて怒り出し、なだめても止まらない。

 お爺さんこそ迷惑な話で、ギリシャ神話の勇士かなんぞのように、白鳥と恋を語ることになっているらしい。興奮がひどいので一応睡眠剤などを使う。眠れば途方もないハクチョウの話などは忘れて呉れるだろうと思っていると、今度はまた一層複雑になって来た。昨夜は白鳥が洋服を着て靴を穿いて階段を上って来た。そしたら爺さんが大喜びして一緒に寝ていた、などと言って泣き出す。

 昼寝して限をさますと、白鳥が頭にピラピラのかんざしをさして爺さんに抱かれていたりもするらしい。フロイトの精神分析を待つまでもなく、白鳥は若い綺麗な女の象徴で、今や最愛のお爺さんを奪い去ろうとしているわけだ。

「今日は白鳥がおらん。だけどどこぞに隠れとるじゃろ。あの箱の中じゃなかろうか」
 お婆さんは扇風機を入れる大きなボール箱を指さす。附添人が中をあけて見せて
「白鳥さんなぞはおりませんよ」と言うが信用しない。

何しろ、お爺さんも附添人も、皆グルになって白鳥の味方をしてどこかに匿っているのだと考える。
「どこかにかくれているのじゃろうが、もう帰るようにいうてつかはれ……これをやって二度と来んように言うてつかはれ」
 お婆さんも考えたらしい、一応無暗に腹を立てるのはやめて、何とか円満解決をというわけで千円札を取り出して附添人に渡した。手切金のつもりなのである。

 しかし千円の手切金では不充分だったのだろうか、白鳥は相変らずお婆さんを悩ませた。本当はお爺さんの方が一層悩まされたわけだ。

 妄想というのは不思議なものである。次第に発展し、鞏固な抜きがたい妄想城府というような形にでもなるのかと思っていたが、幸にこの白鳥妄想は今のところ次第に消えて行きつゝある。その代りにお婆さんのお爺さんに対する性的な慾求が一層はっきりと露骨に現われはじめたようだ。お爺さんにとっては、この方が白鳥よりも一層悩みの種になるかも知れない。

 ハルチノーゼの形で合われた老人性精神病の妄想である。

(西川 修、大塚薬報、1958年8月)

 

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