<アメリカ航空界>

倒産は日常茶飯事

 去る9月14日、アメリカのデルタ航空とノースウェスト航空が破産法11条の申請を出した。デルタは旅客輸送距離で見ると米航空界の第3位、ノースウェストは第4位。これで、大手7社のうち4社が会社更生手続きの保護下に入るという異常事態となった。そのもようは下表に示すとおりである。

   

旅客輸送距離(億人キロ)

破産法11条

アメリカン航空

2,094

――

ユナイテッド航空

1,854

適用

デルタ航空

1,581

適用

ノースウェスト航空

1,181

適用

コンチネンタル航空

1,020

――

サウスウェスト航空

861

――

USエアウェイズ

652

適用
[注]旅客輸送距離は2004年1〜12月の実績 

 こうした事態について、英「エコノミスト」誌は「今やアメリカの航空会社にとって、倒産は異常ではない」と書いている。「七転び八起き」というけれど、企業の場合は起き上がるから転んでもいいというわけにはゆかない。転べばやはり膝をすりむいたり足の骨を折ったり、どうかすると頭を打って生死が危なくなったり、いろんな問題が生ずるのだ。

 過去4年間、米エアラインは総額320億ドルの損失を出した。原因はテロ攻撃、ITバブルの破綻、イラク戦争、劇症肺炎SARSの流行、そして何よりも新たに台頭してきた格安エアラインの激しい低運賃攻勢である。おまけに最近は燃料費まで高騰してきた。原油価格1バレル64ドルは4年前の3倍に近い。

 大手7社のうち4社が破産宣告をしたということは、誇り高い航空界の半分以上が膝を屈して、債権者の取立てを裁判所によって防いで貰っていることになる。


あなたの運賃にはパイロットの給与増と
スト権行使の費用が含まれます。

 一方、格安エアラインのサウスウェスト航空やジェットブルーなどは、しっかり利益を上げている。それというのも柔軟で機敏な経営が可能だから、大手エアラインと同じ区間に乗り入れて低運賃の飛行機を飛ばす。旅客はどうしても安い方へ動くので、旧来のエアラインは空席が目立ち、ますます追いつめられていく。

 これに対して歴史と伝統を持つ大手エアラインの方は、人件費が高水準に張りつき、労働組合との関係も複雑で、動きが鈍くなって利益が出せない。こうした古いエアラインを絶滅寸前の恐竜にたとえるのは言い過ぎとしても、最近は“legacy airlines”という表現が定着してきた。日本語では何と言うのだろうか。おそらく「伝統航空」とでもいうべきだろうが、「(前世紀の)遺物エアライン」と言った学者もある。

 とはいえ、今年の夏は希望の持てる兆候もあった。乗客の増加である。座席利用率は平均79%の高率まで上がった。その結果、アメリカン航空は4〜6月の第2四半期で5,800万ドルの純益を出した。これは過去5年来初めてのことである。

 コンチネンタル航空も収入が12%増となり、1億ドルの利益を出した。ユナイテッド航空は第2四半期、依然2,600万ドルの赤字だったが、1年前の2.47億ドルという赤字から見れば大きく改善されたことになる。


好調のサウスウェスト航空

 破産法の保護下における会社の更生は、負債の返済を凍結するばかりでなく、帳消しにしたり、従業員の賃金を切り下げたり、株主の配当金をなくしたり、退職者の年金を政府に肩代わりしてもらうなどの特典の下で、これまで通りの事業をつづけながら、会社を立て直すことである。

 たとえばノースウェスト航空の場合は、破産法申請の翌日、早くもパイロット組合に対し400人を解雇すると申し入れた。もとより組合側は、会社のやり方が余りに性急で良心のかけらもないと怒っているが、法規上の手続きには誤りない。

 しかし長期にわたって手厚い保護がつづくと、今度は競争相手が傷つく恐れが出てくる。たとえばユナイテッド航空の場合は、保護期間の延期を繰り返し、現在は2006年2月までに立て直す計画だが、これは38カ月間の長期になる。つまり3年以上にわたって裁判所の保護を受けつづけるわけで、競争相手としては文句の一つも言いたくなるであろう。

 国際線も同様で、たとえばアメリカから大西洋を越えてイギリスへ飛んでいるエアラインに対し、英国航空が怒りをぶちまけたことがある。破産法による保護は一種の補助金であって、公正な競争にならないという抗議であった。


枕を並べて……というようなことにならねばいいが。

 米国の航空事業が自由化されたのは1978年である。それ以来、アメリカで破産法の適用を申請した航空会社は延べ150社を超える。延べというのは、1社で2度も3度も申請したところがあるからだ。

 かつて航空会社には、経営の行き詰まりなどなかった。日本も含めて、世界中どこでも国営だったり、政府の手厚い保護があったためである。使用機の購入も路線の開設も運賃の設定も、すべて航空当局の統制の下にあって、勝手に運賃を下げたり便数を増やしたり、過当競争になるような事業計画は認められなかった。

 しかしアメリカで航空が自由化されるや、その波は欧州に及び、日本でも1999年に航空法が改定された。その結果、新しい航空法の第1条によって「航空機を運航して営む事業の適正かつ合理的な運営を確保し、利用者の利便の増進を図ることにより航空の発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする」ようになった。つまり航空の最終目的は「公共の福祉」にほかならない。

 しかし、それ以前は「航空機を運航して営む事業の秩序を確立し、もつて航空の発達を図ること」が目的だった。利用者の利便や公共の福祉などは二の次で、航空会社の安寧秩序が目的だったのである。

 しかし、その目的を改めたとはいえ、日本はまだ完全な競争状態には達していない。理由のひとつは航空路線の中心となる羽田空港の大きさに限界があるからで、新しいエアラインが思うように乗り入れることができない。それ故どうしても既得権を持つ旧来のエアラインの方が有利で、新規参入企業は運賃が安くても便数が限られるなど、少なくとも今までは欧米のような競争にはなっていない。しかし今後、羽田空港の拡張工事が進み、乗り入れ便数が増えてくれば、だんだんと競争の原理が働いてくるようになろう。 

 話を戻すと、航空会社が破産申請をしたからといって、必ずしも立ち直れるとは限らない。これまでもパンアメリカン航空、イースタン航空、トランスワールド航空(TWA)などが破産申請をしながら消えて行った。

 破産申請の結果うまく更生できたのは、コンチネンタル航空とアメリカ・ウェスト航空の2社だけである。コンチネンタル航空は1983年と1990年の2度、破産申請をして、法律の保護の下に大西洋線に進出し、今では米エアラインの中でも強力なエアラインとなった。

 アメリカ・ウェスト航空は1990年代の初めに経営が破綻したが、今や立派に立ち直り、USエアウェイズの破綻を合併によって助けるまでになった。

 立ち直りの秘訣は、破綻によっていったん身を縮め、事業規模を小さくして利益の上がる分野に狙いを定め、短期間のうちに実行することだといわれる。デルタ航空とノースウェスト航空は果たしてどうなるだろうか。

 パンアメリカン航空の破綻は米航空史上最も衝撃的な事件であった。その60年余の伝統と栄光の歴史は1991年末幕を閉じた。

 上の写真はニューヨークのマンハッタンとケネディ空港との間を結ぶヘリコプター便。パンナムのファーストクラスとビジネスクラスの乗客に対する送迎サービスで、筆者も乗せてもらったことがある。マンハッタンにある東60丁目ヘリポートから10分ほどでJFKに到着、出発便のすぐそばに着陸し、そのまま東京まで飛んできた。

 こうした豪華な夢のような時代から一転して厳しい状況に入って行ったいきさつは、当時のスチュワーデスによる『消滅』(高橋文子、講談社、1996年)に詳しい。この本によると「多くのクルーはナイフ、フォーク、スプーン、コーヒーカップ、雑誌、毛布の類まで失敬し、さすがに横領できなかったのは飛行機だけ」だったそうである。

 USエアウェイズは911テロ以降、破産法による保護を申請した最初の大手エアラインであった。それがいったん立ち直り、今回ふたたび申請を出した。

 これで同社は立ち直ることができるか。それともさらに失速状態をつづけるのか。

 1982年5月11日、アメリカ第5位の規模を誇ったブラニフ国際航空が倒れた。翌日午前10時、同航空の飛行便がいっせいに「キャンセル」になり、旅客には何の説明もなかった。パイロットたちも「そのまま待機」を命じられただけで、何が起こったのか知らなかった。というのも、それまで企業のオーナーが繰り返し「利益は充分に上がっている」と社内説明をしていたからである。

 こうしてブラニフは52年の歴史を終えた。それまで、1960年代と70年代の同航空は大きな機体を赤、黄、青、緑など一と色の原色で塗りたて、アメリカ航空界では最も革新的な、最も人気のあるエアラインだった。

 キウイ航空は、何故か飛べない鳥の名前が社名であった。そのせいかどうか、1991年に発足、99年に飛べなくなった。それまではアトランタ、シカゴ、ニューアークなど、大都市を結んでいたのだが。

 スイス国営航空の破綻は、この10年間の倒産劇の最も大きなものであった。71年の長い歴史をもちながら、2001年に終焉を迎えた。
 その遺産はスイスのリージョナル航空、クロスエアが引き継ぎ、現在スイス・インターナショナル航空として飛んでいる。

 トランス・ワールド航空(TWA)は71年の歴史を持ちながら2001年に経営破綻を招き、最終的にアメリカン航空に呑みこまれた。かつて米エアラインの中では最も緻密な国外ネットワークを誇ったが、1992〜2001年の間に3回破綻し、ついに姿を消した。

 ミッドウェイ航空はかつてシカゴを飛び立つ出発便の22%のシェアを占めていた。しかし911多発テロのあと最初に破綻したエアラインである。


人影が消えたバリュージェットのカウンター

 バリュージェットは1996年5月11日、フロリダ州エバグレードで墜落事故を起こし、1か月間は完全に信用をなくして誰も乗る人がいなくなった。

 事故の原因は、偽造部品を使うなど機体整備が出鱈目だったこと。このことを米運輸省メアリー・スキアヴォ監察官が『危ない飛行機が今日も飛んでいる』(草思社、1999年)で公表し、航空局長以下が免職になった。

 現在バリュージェットは、エアトランとして再生し、米国で最も成功した低運賃航空のひとつとなっている。

 コンチネンタル航空は、破産申請から復活した。その建て直しに貢献した鶴田国昭氏が詳細を書いたのが『サムライ、米国大企業を立て直す』(集英社、2004年)である。今ではコンチネンタルは、米エアラインの中でも強力な企業となった。

(西川 渉、2005.9.20)

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