【インターネット版】

ヘリコプターの歴史

その前史と誕生と発展と――(7)

 

ヘリコプターの地歩の確立

 航空機の発達が良かれ悪しかれ戦争に結びつき、軍事面と深いかかわり合いをもって進んできたことは、よく知られた事実である。ヘリコプターの歴史ももとより例外ではない。第二次大戦当時、185hp、2人乗りのR-4が陸・海軍に採用されたシコルスキー社は、この初の量産ヘリコプターを結局130機つくった。続いて改良型のR-6も1943年10月15日に飛び、大戦中に225機が生産された。

 また450hp、4人乗りのR-5は対潜水艦作戦を目的として1943年8月18日に初飛行、40年11月14日には1,000km区間を平均107.25km/hで飛ぶ世界速度記録を作った。

 このようにシコルスキー社のヘリコプターは発達の当初から軍用機として使われ、進歩してきた。その性格は今も同社の体質の中に残っているかのように見える。

 戦後のシコルスキー社では、まずS-51が登場した。これはR-5を基礎とする発達型で、450hpの4人乗り。金属製3枚ブレードの主ローターと油圧作動のついた操縦系統が特徴であった。初飛行は1946年2月16日。同年夏には早くもCAAの型式証明をとり、47年にはロサンゼルスに開設された世界最初のヘリコプター郵便路線に就航した。

 軍用機としても空軍や海軍に採用され、1946年秋、4機のS-51を受領したアメリカ海軍は、これらを南極調査に送りこんだ。生産数は全部でおよそ300機。イギリスでもウェストランド社がライセンス生産をした。

 つづいて1947年2月には2人乗りのS-52が完成した。海軍の観測用ヘリコプターとして開発競争に勝ったもので、79機が採用され、沿岸警備隊や陸軍でも使われた。

 その特徴はフラッピング・ヒンジやドラグ・ヒンジが改良されて操縦性がよかったこと。また直径10mの主ローターは金属製で、当時のほかのヘリコプターがスチール・チューブを芯にして、堅い木製の前縁と布製の後縁からなるブレードを使っていたのに対して、すぐれた特性を持っていた。外観もすっきりと整形され、今から見ても十分近代的なヘリコプターとして通用しそうである。

 そのうえ当時としてはずば抜けた性能を持ち、フランクリン178hpのエンジンをつけ、1949年に到達高度6,468m、速度208.49km/hなどの公式世界記録をつくった。

 後のS52-2はエンジンがフランクリン245hpにパワーアップされ、機体も大きく4人乗りになった。これにチュルボメカ・アルツーストUエンジンを装備したのが1954年に飛行するS-59タービン実験的である。

 さて1949年、シコルスキー社はS-55を完成する。P&W R-1340エンジン(600hp)を装備して、乗員2人、兵員10人乗りの近代的な大型機であった。

折から朝鮮戦争が勃発。アメリカ軍は1950年、多数のヘリコプターを戦場に投入したが、最新鋭のS-55は進攻輸送や負傷者および兵員の救出に威力を発揮した。

 たとえば戦術輸送機としては、陸軍と海兵隊がS-55によってヘリコプターの兵員輸送方式を確立し、さらに空中包囲、兵たん輸送、垂直補給など、ヘリコプターなしでは考えられない作戦を編み出した。今や最前線の戦闘部隊はトラックや牛馬では近づけないようなところでも、ヘリコプターによって迅速に自在に、食糧や弾薬の補給を受けられるようになったのである。

 さらにS-55は比較的軽い臼砲や野砲の輸送もできるし、ドアを開けて機関銃をすえつければ、空中からの地上攻撃も可能であった。当時すでに胴体側面にロケット発射器をつけたS-55も出現したほどである。

 救難飛行の面では負傷兵の護送もさることながら、敵地で撃ち落とされた飛行機の乗員救出に効果を上げた。これはS-55が地上の兵員を吊り上げるホイストを持っていたからで、山岳地や海上、水田、林など、ヘリコプターの離着陸が困難なところでもすばやく救出することができた。

 かくてヘリコプターの将来は、朝鮮戦争によって確実なものとなり、航空機としての地歩も固まったのである。それをさらに推し進めてのが後のベトナム戦争であった。 

(西川渉、『航空情報』別冊「ヘリコプターのすべて」1979年刊に掲載)

 

【関連サイト】

 朝鮮戦争については、インターネット上でも数多くのサイトがある。そのひとつ「朝鮮事変の歴史――1950年6月25日〜1953年7月27日」の中に次のような記述を見つけた。

「負傷兵はヘリコプターで救出されたため、死亡率が下がった。またヘリコプターは共産軍の支配地域の中に撃墜された飛行士の救出にも使われた。朝鮮戦争中に敵の陣営から水陸両用機とヘリコプターで救出された兵員は996人に上る」

 このサイトは各頁に、当時の航空機の絵があって楽しい。 (99.6.23)

 

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