<罹病報告>

四谷怪談

 

 

  本頁には、原則として私的なことは掲載しないことにしています。けれども今回は欧州旅行を計画していたりして、多方面の関係先に連絡する必要があり、毎日1,500人を超える読者の皆さんにも何故この1週間更新がなかったのか疑問がおありでしょう。気力の弱った中で詳しい説明をしているのも耐えがたく、この1週間余のことをまとめて書いておきます。

 というのは、1週間ほど前から「帯状疱疹」――いわゆるヘルペスなる奇病にかかってしまいました。これはお岩さんと同じ病気だそうです。しかし本頁は病気の話ばかりですから、他人の病気なぞ興味がないという方には、ちっとも面白くありません。あらかじめお断りしておきます。

 5月29日(日)ドクターヘリ講習会(日本航空医療学会主催、厚生労働省後援)のため福岡へ向かう日、起床したときからズキーンとする刺すような痛みが15分おきくらいに頭の中に生じておりました。1と月ほど前から始めた歯の治療の結果が頭にきたのか、ひょっとしたら脳梗塞か何かの前兆かもしれないと案じていました。

 5月30日(月)頭の痛みが耳のあたりに下がってきて、左耳の奥が痛くなりました。31日(火)痛みはさらに下がって左頬から口の周りに及び、やはり左奥歯の治療途中の影響だったかと思えるようになりました。

 ところが6月1日(水)唇の左側周辺と顎のあたりが赤く腫れたようになり、いっそうひどくヒリヒリした痛みを感じはじめました。

 6月2日(木)口の周囲から顎にかけてぶつぶつが生じ、黄色い体液がしみ出してくるようになりました。ひげを剃るのも痛くて困難を覚えます。夜になると体液と吹き出物が顔面左側に大きく広がり、耳の中にもできたらしく、よく聞こえない。同時に口の中にも発疹ができて、物を食べようとすると痛くて食べにくい。味も分からなくなって食欲もすっかりなくなりました。

 2日夜、福岡から帰宅した私の顔を見て、家人は昔、父親のヘルペスを看病した経験があったため、すぐに病名を見破りました。早く医師に診て貰った方がいいというので近所の医院2軒に電話をしましたが、7時を過ぎていたせいか、誰も出てこない。といって119番に電話をして救急車を呼ぶのも大げさに過ぎると思い、ひと晩我慢をした次第です。

 6月3日(金)早々に近所の内科医院で診て貰うと、上のような発症の経過を聞いて、この病気は72時間以内の治療が重要で、やや手遅れかもしれないと言われました。そういえば昨晩帰宅したときも、家人から何故福岡に居る間に病院へ行かなかったのかと問われ、普段は15分以内の治療着手が必要だなどと唱えながら、いざ現実となると、自分のことでもあって、そこまで客観的な判断には思い至らず、実行はむずかしいものと思い知らされました。

 医院からは、ウィルス薬と痛み止めを貰ってきました。それらを呑みはじめましたが、夜に向かって症状はいっそうひどくなり、3日夜は顔面の痛みよりも、ズキンズキンという頭痛のためにほとんど眠れませんでした。なにしろ孫悟空のように、頭の上に重い石をのせられ、金環をはめられて、それがお釈迦様の念仏によって15〜30秒おきに締め上げられるといった苦しみです。

 3日朝の医院で、近く欧州へ出張の予定と言ったところ、「それはむずかしい。それよりも入院すべきではないか」という医師の返事。あわてて、入院だけは勘弁してもらいましたけれど、それから4日朝まで丸1日考えたあげく、欧州への調査旅行はやはり取りやめようという決心に至りました。

 なにしろ、お岩さんというよりも赤鬼と黒鬼の合いの子のようなもの凄い顔なので、航空会社がよほどひどい伝染病患者と思えば、飛行機にのせてくれるかどうかも分からない。といってマスクをすれば、ハイジャックではないかというので出入国管理官に逮捕されるかもしれません。

 ただし航空券を受け取っているので、後始末が大変です。私の代わりに誰か行く人があるとしても切符の名前の変更が簡単にできるのかどうか。

 4日(土)朝、頭痛がひどいので麻酔医の弟に相談すると、内科や皮膚科だけでなく、痛みを取るためには神経ブロックの治療が必要といわれました。この治療は、今はやりのEBM(Evidence Based Medicine)からいうと根拠はないといわれ、発疹は放っておいても3週間くらいで消えるため疑問視する向きもあるそうですが、60歳代の人は3割くらいが帯状疱疹後の神経痛が残る。その後遺症をなくすと共に、今の痛みも神経ブロックで消えるらしい。

 たしかに家人の父親は、70歳を超えてこの病気にかかり、頬の疱疹が消えた後も、風に当たると痛い痛いと苦しんでいました。

 この神経ブロックは麻酔科の専門領域で、麻酔科の外来に行かなければならない。弟は滋賀県在住なので、東京の中で土曜日も治療をして貰える病院を探してくれました。すると2ヵ所のペインクリニックが見つかり、五反田のそれに電話をすると今日は予約がいっぱいといって、断られました。

 しかし、しばらくして医師と相談したのか、予約患者の隙間があいたら可能。ただしどのくらい待って貰うかわからないといわれ、大急ぎで近所に住む長男に車を出して貰い、昼過ぎクリニックへ走りました。

 ペインクリニックでは、この「星状神経節ブロック」について、さらに詳しい説明を受け、のど元から第7頸椎付近の星状神経節に、注射をされました。

 この注射も簡単ではないらしく、首の太い人や首に皮膚炎のある人、高熱や風邪の人はだめという。注射をしたのちも30分ほどベッドに仰向けに寝て、安静にして居なければならない。すぐに立ち上がると体がふわふわして足もとがふらついたり、注射をした部位に血腫ができてだんだん大きくなり、次第に息苦しくなったりする。さらに一時的ではあるが、腕がだるくなったりしびれたりすることもあるからだそうです。

 幸い私の場合は何の障害も出ず、ひと安心したところ、何と、この恐ろしい注射を、これから毎日2週間ほど続けるのだそうです。いよいよ大変なことになってきました。ペインクリニックまでの往来を、四谷怪談のように顔面左側が栗粒大の丘疹や黄色い小水疱などの群生で赤と黒と黄色に腫れ上がり、タラコのような唇になって我ながら気持ちの悪い顔で、どのようにして通院すればいいのか。覆面をして電車にのるかどうか、まだ考えあぐねているところです。

(西川 渉、2005.6.5)

 

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