ヘリコプター救急はヒッチハイクか

――第4回日本エアレスキュー研究会に想う――


(交通事故の救急に当たるスイスREGAのヘリコプター)

 

 97年11月7日の第4回日本エアレスキュー研究会では、さまざまな問題が提起された。ひとつは救急患者発生の現場からヘリコプターが出動するまで、どのような方法で連絡要請がなされるのか、その連絡と手続きに要する時間をいかにして短縮するかという問題である。

 現状は、全国各地で多様な方法が取られ、時間短縮についてもいろいろと工夫されているが、標準的な方式はまだ確立されていない。今後いかにあるべきかという結論も出なかったけれども、最終的には普通の救急車を呼ぶときと同じ方法で、誰でも日常的に要請できるようでなければなるまい。

 その要請を受ける消防救急本部の電話受付の担当者は、単に消防車や救急車の手配をするだけでなく、医学的な訓練を受け、その知識を身につけておく必要があろう。さらに、かたわらには救急専門の医師も待機していて、どんな救急方法が適切かを咄嗟に判断し、現場からの要請に即座に対応できるような態勢をととのえておかなければなるまい。

 対応の内容としては、救急車ばかりでなく、高速で小回りのきく乗用車、バイク、ドクターカー、さらにはヘリコプターなどの選択肢があって、その中から最良の方法――ということは、最も速く患者のもとへ駆けつけられる方法が選定されなければならない。

  

カラ振りを恐れるな

 そこで次の問題になったのは、仮にヘリコプターが出動した場合、あとから考えて救急車だけでもよかったのではないかという反省が出るかもしれないということだ。現に、救急車ですむところをヘリコプターを飛ばしたのは無駄な出動だったとか、税金の無駄づかいだという非難の記事を書いた新聞もあったらしい。しかし私にいわせれば、せっかく買った防災ヘリコプターを使わずにしまっておくことこそ無駄づかいである。

 ウサギを獲るのにも、獅子は全力で跳びかかるというたとえは、ここでは余り適切ではないかもしれぬが、人命救助にあたって全力をつくすのは当然のこと。力余って無駄な結果になったのは、却って幸いだったというべきであろう。

 消防車や救急車だって現場に行ってみたらボヤが消えていたとか、大した怪我ではなかったというようなカラ振りをすることはないのだろうか。ヘリコプターも多少のカラ振りは承知の上で、無知な新聞社の非難などは恐れることなく、人命救助に立ち向かうべきである。

 会場でも、ある自治体ではヘリコプター出動のカラ振りが56件中2件という数字が披露された。一見して好成績のように見えるが、2年間に56件という出動回数自体が少なすぎる。ひょっとするとカラ振りを恐れる余り回数も少ないのではないかという疑問すらわいてくる。もしもそうであれば、必要なときに飛ばなかったこともあったはずで、結果を考えると問題はその方が余程大きいのではないだろうか。

 救急ヘリコプターは、専用機ならば1日3〜4回――ということは救急車と全く同じような出動をしているのが欧米のやり方である。たとえばドイツの場合、全国50機の救急ヘリコプターが年間で1機平均1,000回の出動をしている。その中でカラ振りは2割程度という数字が、これも研究会の場で披露された。しかし残りの8割で年間およそ5万人の人びとを救助していることを考えるならば、カラ振りを恐れる必要はないというのが、日常化したヘリコプター救急システムの姿なのである。

  

出動判断は誰がするのか

 逆にカラ振りをおそれる余りか、医師や病院から救急患者搬送の要請をしても、防災ヘリコプターの出動が拒否されることがあるという問題も提起された。

 最近は阪神大震災の教訓を生かして、防災ヘリコプターの出動を要請する救急病院や医師も増えてきた。しかし、医師の発言を聞いていると、なかなか応じて貰えないらしい。というのは緊急度や公共性が問題になるためで、これまたカラ振りを非難されることを恐れるからであろう。それならば防災ヘリコプターは何のために配備されているのか。テレビ・カメラと高価な生中継装置を搭載していて、大災害でも起こったら高見の見物を決めこもうとでもいうのだろうか。

 勿論そんなことではないし、ある具体的な事例が出されたときも、消防航空隊の側からは、現場では出動準備をととのえていたという反論がなされた。しかし結果として出動しなかったのは、どうやら出動するかしないかの最終判断については現場に権限がなく、もっと違うところで――本庁か本部のデスクの上でなされているからに違いない。

 とすれば消防車や救急車の出動判断はどこでおこなわれているのか。ヘリコプターも、それと同じシステムの中に組みこむならば、こうした問題はなくなるはずである。

  

救急こそ本来の任務

 もうひとつの問題は、防災ヘリコプターや自衛隊ヘリコプターに出動してもらった場合、たとえば離島や僻地から医師もヘリコプターに同乗し、大きな病院に着いて患者を搬入し、治療面での引継ぎをしている間にヘリコプターは帰ってしまうということである。

 そうすると、患者に付き添ってきた医師は途方に暮れるという結果になる。白衣のままで電車に乗って病院まで戻った医師もあれば、離島まで次の船が出るのに3日も待たされた医師もいた。電車で戻れる人はまだいい方だが、機上で使った医療器具や酸素ボンベなど、電車でどうやって持ち帰るのだろうか。

 こういう事態が起こるのは、自衛隊機も消防防災機も救急搬送を特例としているからではないのか。言い換えれば、本来の任務ではないけれども、善意か好意みたいなもので特別に出動しているという考えがあるからだろう。

 これが本来の任務ならば、患者を送るだけでなく、医師も出発地へ帰任するまでヘリコプターを使うのは当然のこと。それが終わって初めてヘリコプターの任務も終了するわけで、運転手の善意で途中までは乗せるけれども、あとは自分で行けというのはヒッチハイクである。

 むろん自衛隊機は本来の任務が別にある。そのことははっきりしているから、大災害はともかく、日常的な救急に自衛隊機を使うのはそもそも間違いなのである。しかし防災機は別だ。もし救急ではなくて、本来の任務は別にあるというならば、防災機購入の目的から救急の文字をなくし、全く別の体制で救急機の配備を考えなければならない。

 いずれにせよ、今のヘリコプターがヒッチハイク程度の使い方しかできないのは、制度やシステムの根本ができていないからである。

 現状は第一線の現場担当者にも、その場その場の場当たり的な判断が強いられる。しかも結論が出るまでに時間がかかるし、その結論も決して最良のものとは限らない。これは患者にとっては最悪の事態である。医師と行政と航空隊との間で議論が続き、決断が遅れている間に患者の容態はどんどん悪くなり、どうかすると生死を分けることにもなりかねない。

 すべては人の生命を助けるためである。そのためにいかなる制度をつくり、体制を組み立てればいいのか。答えはもはや明かであろう。

(西川渉、97年11月27日付『日本航空新聞』掲載)

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