<ヘリコプター救急>

ドクターヘリにもホイストを

 

 ヘリコプターの救急救助活動にとって、なくてはならないのがホイストである。この不可欠の巻き上げ装置をヘリコプターに取りつけようと考えたのは、かのイゴール・シコルスキーであった。空中停止の可能なヘリコプターにホイストを組み合わせるならば、人命救助の機能が大きく高まるという着想である。

 その考えが実行に移され、史上初めてホイストによる救助がおこなわれたのは1945年11月29日。アメリカ東海岸のロングアイランド沖に座礁した小型運搬船から、船上に取り残された船員2人が吊り上げ救助された。ヘリコプターは近くのシコルスキー社ブリッジポート工場で、まさにホイストのテストをしていたR-5小型機である。

 あたりは小雪まじりの風雨で、風速およそ20メートル。操縦するのはシコルスキー社のチーフ・テスト・パイロット。小型船の上でホバリングすると、ゆっくりとホイストをおろし、波に洗われていた甲板から2人の船員を吊り上げたのであった。

 それから1年余りたった1947年2月9日、今度は民間機として製造されたシコルスキーS-51が米海軍の空母フランクリン・ルーズベルトでホイストのデモンストレーション飛行をしていた。このとき偶然にも、近くの海上に複座のカーチスSB2Cヘルダイバー急降下爆撃機がエンジン故障のために不時着した。

 S-51は直ちに飛び立ち、爆撃機の乗員2人を6分間で海面から吊り上げ、空母の艦長を驚かせた。当時はそんなとき、艦からボートをおろして救助に向かわねばならず、時間がかかるばかりでなく、ときには間に合わぬことも少なくなかったからである。

 その後しばらくして、これも海軍の飛行機が海上に不時着したときのこと、機体はそのまま水中に沈んでしまった。パイロットは水面に浮かび上がったものの、ライフジャケットが膨らまないうえに、けがをしていた。頭上に飛来したS-51はホイスト・ケーブルをおろしたが、水の中のパイロットはそれをつかむ力がない。

 そこでヘリコプターは水面すれすれまで下がって、ホイスト操作を担当していた乗員が手を伸ばし、水中のパイロットの腕をつかむと機内に引っ張り上げた。そして1分後に空母の甲板に着陸したとき、ヘリコプターの機首から大量の海水が流れ出した。ヘリコプターが如何に低く、波をかぶるところまで降りたかがわかる。

 無論このときはホイストを使ったわけではなかったが、ヘリコプターは空母に着艦できなかったパイロットを救助するためには欠かせない手段となった。米海軍は、それから間もなくすべての空母にヘリコプターを搭載するようになり、やがて同じ考え方がイギリス、フランス、オランダの海軍にも広がっていった。

「誰かが助けを求めているとき、飛行機は上空から花束を落としてはげますだけだが、ヘリコプターはそこへ降りていって直接救い上げることができる」という有名な言葉をシコルスキーが吐いたのも、その頃であった。

 さて1年ほど前イタリアへ行ったときのこと、救急ヘリコプターにホイストが取りつけてあるのを見た。訊いてみると、道路がせまくて着陸できないようなところでは、これで医師をおろして救護にあたるのだという。

 イタリアは、特に北部はアルプス山岳地にかかって遭難者も多い。したがってホイストを使うことも多いのだろうが、それを町の中の救急にまで応用するようになったのである。ベネチアに近いトレヴィソという町の病院を見学したとき、そこの救急医は待機していたアグスタA109を使って、ほら簡単だよといわんばかりに実際にぶら下がって見せてくれた。


ホイストに吊り下がって見せるイタリアの医師

 スイスでも、REGAの救急ヘリコプターは山岳地の救護にホイストを使用する。国内13ヵ所の拠点のうち12ヵ所のヘリコプターがホイストを装備しており、山の中の救急患者のもとへ医師が降下したり、患者を吊り上げて広い場所へおろし、ヘリコプターも同じところに接地して治療にあたる。こうした救護活動のために、REGAでは医師もパラメディックもホイスト訓練を受けている。

 今年5月、チェコのプラハで開催された国際航空医療学会AIRMED2008でも、救急ヘリコプターの実演飛行はホイストによる患者の吊り上げ救護だった。救急とホイストの結びつきを象徴的に示したものともいえよう。


AIRMED2008で演じられたホイスト救急

 そこで日本だが、昨年ドクターヘリは全国14ヵ所の拠点から総計5,263回の出動をした。うち高速道路に着陸したのは3回だけである。無論それなりの理由があるのだろうし、無理に高速道路に降りなくとも付近に広いところがあったのかもしれない。しかし、たった3回とは、諸外国の実情から見ても如何にも少ない。

 傷病者のそばに、できるだけ近く着陸して治療にあたるというヘリコプター救急本来の目的からしても、これで好いとはいえないであろう。もしも日本の道路がせまくて、一般道でも高速道でもなかなか着陸できないのであれば、ホイストを使ってはどうだろうか。

 思い返せば2001年、神戸市の消防ヘリコプターが渋滞する阪神高速道路に医師をおろして交通事故の救護にあたったことがある。今も全国各地の消防防災ヘリコプターは、救助と救急のためにホイストを使っている。ドクターヘリにもこれを装備して、着陸の困難な現場での救急効果をさらに高めるよう、関係者の皆さんにお考えいただきたいと思う。

(西川 渉、『日本航空新聞』、2008年9月4日付掲載)


AIRMED2008で見たホイスト救急の実演

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