<本のしおり>

気骨の書評

 『お言葉ですが……別巻6 司馬さんの見た中国』(連合出版、2014年6月10日刊)は、2年ぶりの高島俊男先生である。著者みずからも、この本の「あとがき」でそう書いているが、私も前刊『お言葉ですが……別巻5 漢字の慣用音って何だろう?』を買ったのは2年前の7月だった。

 待ちかねたとばかりに一気に読み終わったが、そのほとんどは朝早く出かけていった病院までの往復1時間余の電車の中、それに病院での1時間半に及ぶ待ち時間を利用したもの。してみると、病院で待つのも悪くないといえるかもしれぬが、待ってもいいのは面白い本があるときだけ。診察は矢張り、予約時間通りにやって貰いたいものである。

 この280頁余の本は「ここ一両年に書いたもの、それに、以前に書いてそれっきりになっていたものなどを、集めて按排して」1冊にまとめたものだそうである。その中で、とりわけ面白かったのが「これでいいのか本づくり」という7篇。

 たとえば「文庫の『解説』はなんのため?」という一文は、岩波文庫『明治百話』の解説を槍玉に上げる。「担当しているのは森まゆみという人だが、どうもこの人は、解説とは何を任務とするものか、まったくごぞんじないようだ」

 本来ならば、本の概要を書かなければならない。「『概要』とは、主として書誌的事項でまず著者のこと。その生没、経歴、著作等。……次いで原著に関すること。……ひととおりすんだあと、内容とその価値の話になる」

 しかるに、この本の解説は「感想文みたいなものである。感想文なんか読まされたってしょうがない」

 「編集部も編集部だ。本来は、昔の本を形を変えて出すのであるから、しかるべき研究者に校訂を依頼するのが筋であり、そうすれば当然校訂者が解説を書くことになる」

 しかも、この本の原著の成立については、いろいろと複雑な経緯がある。そのことを高島先生は、解説者に代わって詳しく述べたうえで、解説文の「支離滅裂は、解説者が書誌的事項の書きかたに無知であることをよく示している。文庫本を出す本屋は、もっと解説の重要さを認識し、人を選んでもらいたいものだ」と痛棒を食らわせる。

 ここでいう本屋とは、わが国で最初に文庫本を創出した岩波書店である。その岩波がこんな恥をさらすような為体(ていたらく)では、すっかり質が堕ちてしまったといわざるを得ない。昭和2年の岩波文庫発刊に際して「読書子に寄す」を書き、「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む」と高らかに謳い上げた岩波茂雄も、こと志しと違った現状を見て、あの世で悲憤慷慨していることであろう。

 ところで、新聞記者が定年になると、大学の先生になる人が多い。私もかねて、新聞記者というのはそんなに学識があるのかねと疑問に思っていたが、そのひとりが朝日新聞を退いた坂本龍彦なる御仁。これまた岩波から『言論の死まで』という本を出したものの「学識の底の浅さ、構築力のなさ、記述や引用の粗雑、文章のあらさ」など「新聞記事では目立たなかったものが……露呈」してしまった、と高島先生はおっしゃる。

「一書に構造がない。ただズルズルベッタリである」。朝日新聞社史の引用にあたっては <原文の感じを残すため、旧かなづかいの文章は、そのままとしました> というが、「坂本氏の引用文は輪をかけて粗雑で、脱落はあり写しちがえはあり、その上一つの引用文の中に旧かな新かなごちゃまぜだ」

 そのあとがきに <『朝日新聞社史』を読み込んでみて、やはり、権力と新聞のただならぬ関係に気づかされるのである> と書いてあるのを読んだ高島先生「あきれたねえ。長年つとめた新聞社を退職して、大学の教師になって……それではじめて『権力と新聞のただならぬ関係』に気がついたのかね」

「まだあるよ。<……私は『社史』をたどる中で『節を守る』ことが、言論人にとって何よりも大切だと気づくのである> 『節を守る』ことが言論人にとって大切だとは、一線記者三十六年のあいだ、一度もお気づきにならなかったらしい」

「へーえ、こういうのが天下の朝日新聞のエライさんなのか……、と『気づかせて』くれた点では、まことに有益な本でありました」

 高島俊男先生の著作に私が初めて触れたのは今から20年近く前、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(大和書房、1995年刊)だった。あのときの気骨、反骨、硬骨は今も衰えていないことを知って、大いに愉快でありました。

(西川 渉、2014.7.10)

 

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