<本のしおり>

杜撰きわまる日本国憲法

 今日は「憲法記念日」。昭和22年5月3日、日本国憲法が発効し、施行された日である。

 その憲法について、「杜撰きわまる」と言ってのけるのは『日本を誤らせた国連教と憲法信者』(加瀬英明、展転社、2004年7月7日刊)だ。

 というのは「マッカーサーが強要した日本国憲法は……異常な状況で作成したために誤っているところが多い」。前文からして嘘があるという。

 たとえば「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……この憲法を確定する」と宣言している。しかるに実際は、天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経て帝国憲法の改正を裁可」して公布されたものであった。

 公布されたのは施行の半年前、昭和21年11月3日。そのときの帝国議会は、衆議院が戦争中の昭和17年に東条内閣の翼賛選挙で政府の強引な干渉の下に選ばれた議員から成り、貴族院は選挙によらない勅撰議員から成っていた。

 つまり「正当に選挙された」議員から成る国会ではなかったわけで、その点からすれば今の憲法前文は間違い、でなければ嘘を書いていることになる、と本書は説く。

 もっといけないのは、同じ前文の次の段落に「日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 これは「日本人は性悪であって、外国人が性善だという前提」を置いたものにほかならない。言い換えれば「全世界が平和であるという虚構のうえにたって」、あたかもその平和を乱すのが日本人といわんばかりの「自虐的な世界観」を日本人に強いるものだ。

 これは誰もが知っているように「日本国憲法が、日本国民の手によってつくられたものではない」からで、この前文は、日本人が如何に悪辣、暴虐、邪悪であるかを世界に宣言したようなもの。今の中国や韓国が日本に対してヤクザかコジキのような言いががかりつけてくるのも、この宣言あればこそで、日本としては何をいわれても自らの憲法にそう書いてある以上、反論するのは難しい。

 そこで第2章「戦争の放棄」につながる。「いったい病気や、火災や、犯罪を放棄することができるものだろうか。放棄できるのだったら“天災の放棄”や“事故の放棄”」もやって貰いたいし、病気や犯罪の放棄も規定すべきだった、と著者はいう。放棄すれば事態が収まるというのだから、ダチョウが砂に首を突っこむようなもので、まったくアホらしい限りである。

 もうひとつの間違いは、第41条に「国会は、国権の最高機関」とあるが、「国会が“国権の最高機関”でないことは、中学生でも知っている。立法、司法、行政の三権分立が行われていることは常識である。最高裁判所は国会が立法した法律を斥けることができるし、内閣が天皇の名において国会を召集し、衆議院を解散する」ことも可能。

 さらに国会は「国の唯一の立法機関」とあるが、それならば政令、省令、条例などは、すべて違憲になってしまう。

 こんな間違いだらけの杜撰な「憲法を後生大事に押し戴いてきたのだから、恥ずかしい」限りだと著者は書いている。

 同じ著者の『総理大臣の通信簿』(加瀬英明、日本文芸社、1995年7月25日刊)には、この憲法制定当時の総理大臣、幣原喜重郎の話が出てくる。この人は73歳で隠居中だったが、昭和20年10月10日、終戦後2ヵ月足らずで表舞台へ引っ張り出され首相となった。そして「天皇制維持」のために「天皇の人間宣言」を発し、憲法を改正しようとする。

 その改正案は明治憲法をわずかに変えただけであった。しかしGHQからは「まったく問題にされず拒否されてしまった。かわりにマッカーサーは、GHQの民政局に命じて、わずか一週間で書き上げた米国製の憲法草案を日本政府に提示してくる。これを政府案にするよう事実上の強制であった」

「しかも、これでなければ『天皇の身体を保全することはむずかしい』と、半ば脅迫まがいの要求」を出してきた。それは「国家がその生存を維持するために、国際的に当然認められている『交戦権』(戦争をする権利)さえ否定した、まさに世界に類を見ない」憲法案であった。しかし当時の日本政府は、それを受け入れざるを得なかった。

 かくして今の日本国憲法は、制定の過程も内容も、杜撰で誤りが多く、しかも国際法に違反している。こんな憲法は早いとこ改めるべきであろう。

(西川 渉、2015.5.3)

    

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