<本のしおり>

航空の安全に大きく貢献

 航空関係者であれば「ダウンバースト」という言葉を知らぬ人はあるまい。しかし、それがどのようにして旅客機を叩き落とすのかを知る人は、定期航空にたずさわる人を除いては、少ないのではないだろうか。

 そのメカニズムを発見し事故の防止策を確立した天才、藤田哲也(1920〜1998)の名前は日本でも、少なくともこの本『Mr.トルネード』(佐々木健一、文藝春秋社)が出るまではほとんど知られていなかった。逆にアメリカで有名だった気象学者である。


(2017年4月28日刊)

 藤田は若いとき、竜巻の中に下降気流のあるのを見つけて論文を書き、シカゴ大学に送った。アメリカ大陸はメキシコ湾の暖かく湿った空気とカナダの冷たい空気がぶつかり合う「竜巻大国」。世界中で発生する竜巻の3分の2を占めるという。しかも大きな被害が発生する。論文を読んだ大学はすぐに無名の藤田を招聘することにした。

 藤田の渡米は1953年、33歳のときであったが、竜巻の調査研究を進めているうちに、1975年イースタン航空66便がニューヨーク・ケネディ空港に着陸しようとして滑走路の手前で墜落、乗っていた115人が死亡する大きな事故が起こった。

 この事故について、米運輸安全委員会(NTSB)は、パイロットの操縦ミスが原因という調査結果を発表した。しかしイースタン航空は納得できず、藤田に詳しい調査を依頼してきた。そして、ほぼ1年後、藤田は事故の原因は「ダウンバースト」と結論づけたのである。

 では、ダウンバーストはどのようにして航空機を墜落させるのか。それは雷雲の中に発生した下降気流が地面に衝突し、爆風のように放射状に広がる。その爆風の中へ旅客機が入ると、まず向かい風を受け、機首が上がって速度が落ちる。そこでパイロットは反射的に操縦桿を押し、機首を下げて飛行速度を上げようとする。

 そのとき機体は強烈な下降気流の中心部に達し、大きく沈下する。パイロットは今度は操縦桿を引き、エンジン出力を上げようとするが、機体の反応が間に合わぬまま放射状に広がった爆風の向こう側に達する。すると激しい追い風を受ける恰好になって失速し、当初の機首下げのまま地面に突っこむことになる。

 このように次々と襲ってくる3種類の爆風に、一瞬のうちに対応することなど、人の操作ではほとんど不可能であろう。シミュレーターで再現しても、多くのパイロットが墜落するらしい。ただし機首を上げて加速を続ければ脱出できるようだが、通常の操縦操作とは大きく異なり、反対の操作もしなければならないので、咄嗟にできるかどうか。

 これが藤田の名づけた「ダウンバースト」による事故のメカニズムである。なお、この現象を「マイクロバースト」という人もあるが、それも藤田の命名で、彼はマイクロ(小さい)バーストとマクロ(大きい)バーストの二つに分けた。マクロバーストは直径数キロ以上の大きな吹き下ろしで、風速も毎秒40メートル程度だが、マイクロバーストはごくせまい範囲に発生し、風速は毎秒80メートルにも達する。この強風が航空事故をもたらすのである。

 しかし藤田は事故原因の発見ばかりでなく、その事故を如何にして防ぐかにまで考えを進めた。そして当時開発されたばかりのドップラーレーダーによって風の状態を検知する方法を編み出し、今では世界中の空港がドップラーレーダーを備え、そこで離着陸する旅客機はダウンバーストを避けることが可能となった。 

 ここに至るまで10年以上。イースタン航空を含め、パンアメリカン航空(1982年、死者153人)、デルタ航空(1985年、死者137人)と3件の大きな事故が離着陸中に発生した。ほかにもダウンバーストが原因と思われる事故が何件か起こり、1983年にはレーガン大統領を乗せたエアフォースワンがアンドリュース空軍基地に着陸しようとして、危うくダウンバーストにぶつかりそうになったこともある。

 そうした危険性を取り除いた藤田博士は「不世出の気象学者」として「先駆者であり、開拓者であり、革新者でもある」道を歩みつづけた。竜巻という一つの対象に生涯をかけた研究者だからこそ世界の空を救うことができたのだ。

 知られざる偉人の、まことに刺激的な本である。

(西川 渉、2017.8.16)

       

 

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