ところで、いくら払いました?

                          

 アメリカン航空は米国エアラインの雄として、規制緩和の20年間を乗り切ってきた。巨大なコンピューター予約システム(CRS)やフリークェント・フライヤー・プログラム(FFP)といった新しい販売促進策も、たしかアメリカン航空の創案ではなかったかと思うが、一方でパンアメリカンのように消滅していった大企業のことを思えば、これはもう堂々たるものである。

 だが、そうした強力なエアラインを長年にわたって率いてきた闘将、ロバート・クランドル前会長に言わせると、この20年間、相当な苦戦を強いられ、辛い闘いをしてきたらしい。

 たとえば、氏の1997年11月のワシントン・ナショナル・プレスクラブでの講演である。同社は現在ダラス・フォトワース、シカゴ、マイアミの各空港にハブを置いているが、数年前まではサンノゼやナッシュビルなど他にもいくつかのハブをもっていた。ハブの構築には莫大な投資をしなければならない。にもかかわらず中小の安売り航空会社に足もとを蚕食され、撤退を余儀なくされたという。

「わが社の事業は順調に発展してきたわけではありません。ときにはハブを閉じ、市場を諦め、ネットワークを再構築し、従業員を減らし、機材構成を改めるなど、苦しい闘いを進めてきたのです」

 その闘いの中で「われわれは三つの重要事項を学びました。第1に価格、第2に価格、第3に価格です」。とにかく安くなければ、人は飛行機に乗ってくれない。運賃を上げようものなら、たちまち乗客は減ってしまう。もっと安い競争相手の方へ乗り移ってしまうのだ。したがって「1990年から今日までの運賃も、その値上がりは消費者物価の上がり方にくらべて2割も少ないほどです」

 しかも乗客は、さまざまな割引運賃を使って勝手気ままに乗ってくるから、利用率は一定しない。「多くのエアライン経営者が望んでいることはゴム製の飛行機ができて、金曜日の夕方は大きくふくらみ、週日や早朝は小さく縮んで、安いコストで飛ばせられるような機体です。だが不幸にして、ボーイングの天才技術者でも、まだそんな旅客機は設計できないようですね」

 だから「航空事業は利益をあげるのが難しい。1997年はアメリカン・エアラインにとって史上最高の利益を上げました。それでも米国のトップ企業500社に入ることができないのです」

 実際にこの20年間、米国内線の運賃水準は航空運送協会(ATA)によれば、規制緩和のはじまった1978年の当時にくらべて、インフレ率を修正して35.5%の値下がりになったという。

 おまけに内容も複雑である。たとえば昨年4月12日付けの『ニューヨーク・タイムス』に「ところで、いくら払いました?」という記事がのっている。

 前年10月31日のシカゴからロサンゼルスへ飛ぶユナイテッド航空815便には186人の乗客が乗っていた。ほとんどの人は遠くから来てシカゴで乗り換えた人、またはロサンゼルスから遠くへ行く乗り継ぎ客で、単にシカゴからロサンゼルスへ行く人は33人だけであった。しかし、その33人が払った運賃は27通りもあったという。

 最も安い人はタダ。フリークェント・フライヤーでマイル数をためていたからである。最も高い人は1,248.51ドル。当日のファーストクラスの切符を買ったのだ。しかし同じ当日券でも、年輩のシルバー割引客はエコノミークラスで108.26ドルであった。

 一般に前もって買えば切符代は安くなる。29日前のエコノミー券は87.21ドルであった。しかし、それより先の2か月近く前に買った人は何故か229.60ドルを払っていた。

 これはもう複雑怪奇としか言いようがない。コンピューターにしか理解できない運賃体系である。それでも、政府もエアラインも規制緩和は成功だったと評価している。

 日本の航空界でも今、同じような競争がはじまった。新規参入会社が2社になり、既存の大手航空会社も座視するわけにはいかなくなった。先のクランドル氏によれば「競争の結果は当然のことながら、勝者と敗者が生じる。みんな勝者ばかりで、誰もがハッピーというわけにはゆかない。まさにこれはクレージー・ビジネスだ」

 恐ろしい時代になったものである。

(西川渉、『WING』紙,,99年2月10日付掲載)

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