ハブ・アンド・スポーク体験

 昨秋10日間ほど、アメリカの三つの都市を訪ねた。ラスベガスでビジネス航空ショーを見たのち、デンバーのエアメソッド社でヘリコプター救急のレクチャーを受け、その現場を見学してから、アルバカーキの航空医療搬送会議に出席した。

 これら三つの都市はアメリカの西南部にあり、むろん相互に直行便が飛んでいるが、費用節約のために同じ航空会社を利用することにした。すると、その航空会社の路線網がソルトレーク・シティを中心として、いわゆるハブ・アンド・スポーク構造になっている。

 四つの都市の地理的な関係は、やや東西に長い長方形を思い描いていただけばよい。長方形の左下隅にラスベガス、左上にソルトレーク、右上にデンバー、右下にアルバカーキが位置する。長方形の一辺はジェット旅客機で1時間前後。対角線上を飛ぶと1時間半くらいである。

米ソルトレークシティ(2)をハブとするラスベガス(1)、
デンバー(3)、アルバカーキ(4)、ポートランド

 

 長方形の中には3,000m級の山々が連なるロッキー山脈が、黒い岩肌に白い雪を頂いて南北に走る。その素晴らしい景観を見下ろしながら、ラスベガス(ネバダ州)からデンバー(コロラド州)へ飛ぶには、まず北上してソルトレーク(ユタ州)へ行き、飛行機を乗り換えて東方へ向かう。

 その3日後、今度はデンバーからアルバカーキ(ニューメキシコ州)へ行く。真っ直ぐ南下すればいいようなものだが、ハブ・アンド・スポーク特有のシステムによって、いったんソルトレークへ戻り、飛行機を乗り換えて長方形を斜めに東南方向へ横切って飛ぶ。帰りはアルバカーキから再びソルレークへ戻り、東京便の出るポートランドへ向かうという旅程であった。

 その結果、何の用もないソルトレークには3度も立ち寄ることになり、ターミナルの中の売店はすっかりお馴染みになるし、周囲の赤茶けた山肌と発着のたびに眼下に広がる大塩湖も見慣れてしまった。

 ところで、ハブ・アンド・スポークという運航方式は、単に自転車の車輪のように、ハブ空港から放射状の路線が出ているだけではない。重要なのは発着便の時間調整ができていることである。羽田空港を中心とする日本の国内線も、恰好だけはハブ・アンド・スポークのように見えるけれども、時間的な整合性がないから、システムとはいえない。

 たとえばソルトレーク空港で見ていると、ここをハブとする飛行機がわずかな間に次々と降りてくる。今までガランとしていた待合室が急に旅客であふれ返る。そして各人1時間前後の待ち合わせで飛行機を乗り換え、潮が引くように飛んでいってしまう。

 時刻表で数えてみると、私の利用した1社だけで、ソルトレーク発16時台の出発便が何と29便もあった。機種はボーイング737、757、767といった大型機ばかりで、ハブ・アンド・スポークの盛況ぶりがうかがえる。私もこの10年余り、その素晴らしい理論を何度も聞かされてきたが、システムとしての整然たる動きを目の当たりにしたのは初めてであった。見ている限りでは、地理的にも時間的にも幾何学模様のような美しい整合性がある。

 けれども、そのシステムの中で自分が動いてみると、ちょっと矛盾した気持に襲われる。一つは時間を無駄にしているように思えることで、ラスベガスからデンバーへ真っ直ぐ飛べば1時間半で行けるところを、三角形の2辺を行くために飛行時間は合わせて2時間、乗り換えに1時間で、直行便の2倍を超える時間がかかる。ときには2時間ほど待たされたり、到着が遅れたこともあった。

 航空会社の立場からすれば、1機が遅れると、それを待つためにシステム全体が遅れてしまう。またハブのための地上施設は規模が大きくなければならない。多数の乗り換え客を一斉にさばくためで、敷地に余裕のあるアメリカでなければできないかもしれない。それに人手もかかる。1日に3度か4度の乗り換えピーク時にはいっぺんに多数の乗客の搭乗受付けをしたり、預かった手荷物を短時間で積み替えなければならない。しかもピークを過ぎた後は、今度は多数の人手が遊んでしまうのである。

 なるほどハブ・アンド・スポーク・システムは、比較的少ない機数で多数の目的地を結ぶことができる。11か所の空港がある場合、一つをハブにすれば、10本の路線と10機の機材で全てが結ばれる。それに対して相互に直行便を飛ばすには55本の路線と55機の飛行機が必要になる。つまり5倍以上のコストがかかって、座席利用率は5分の1以下に下がり、事業としては当然成り立たなくなる。

 まことに合理的なシステムだが、人間には感情がある。とりわけせっかちな日本人としては、遠回りをさせられて無駄な時間を費やし、ひどく損をしたような気になる。

 このシステムは、実はフェデラル・エクスプレスの創設者、フレッド・スミスが学生時代に考えたアイディアだったらしい。それを実行に移したのがメンフィスを中心とする宅配便のハブ・アンド・スポークで、全米各地で集めた荷物を、夜の間にメンフィスに集結し、翌朝までに仕分けをして再び全米に向かって送り出す。相手は品物だから遠回りをしても文句はいわない。

 そんな矛盾した気分で旅を続けていたせいか、とうとう最後に東京への国際便に乗り遅れてしまった。アルバカーキからソルトレーク経由でポートランドへ飛び、そこから東京ゆきに乗る予定だったが、アルバカーキ発の飛行機がこない。ハブ・アンド・スポークの矛盾が現実になったのである。ポートランドに着いたのは夕方で、東京便はとっくに出た後だった。直行便ならば多少の遅れは取り戻せたかもしれないのだが。

(西川渉、『航空情報』誌99年4月号掲載)

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