<現場からの医療改革>

メディアとヘリコプター救急

 去る11月10日、東京大学医科学研究所で「現場からの医療改革」と題するシンポジウムが開かれ、主宰の上昌広先生から討論に参加するようお招きを受けた。私に与えられた課題は「ドクターヘリ特別法の成立にメディアは如何なる役割を果たしたか」というものだったが、それに対し以下のような発言要旨をプログラムに載せていただいた。実際の討議の結果は、いずれ文書で公表されるものと思う。

 ヘリコプターは、垂直離着陸と空中停止という独自の飛行特性によって、第2次世界大戦時の実用化いらい数々の奇蹟を演じてきた。富士山頂の気象レーダー建設はよく知られた奇蹟の一つだが、ほかにも日本海側から太平洋側まで日本アルプス越えの超高圧送電線を短期間で敷設し、1960年代にはわが国農業の近代化を推進した。これらの奇蹟は時折りメディアに注目され、新聞やテレビで報道されたが、ほとんどが刹那的なものに終わった。むしろヘリコプターは、その事故こそが最大の報道対象とされ、それゆえにどこか脆弱で危ない乗り物という印象が流布している。

 ヘリコプターの演ずる最高の奇蹟は人命救助である。1959年9月の伊勢湾台風では5,041人という多数が死亡したが、同時にまた米軍と自衛隊のヘリコプター40機が出動し、合わせて5,000〜7,000人を洪水の中から救出した。このときヘリコプターがなければ死者の数は倍増したかもしれない。これほど大規模なヘリコプター救助活動は、今ではすっかり忘れ去られたけれども、世界的にも最大級といってよいであろう。

 にもかかわらず、1995年の阪神大震災ではヘリコプターの奇蹟が全く見られなかった。最初の3日間にヘリコプターで救護された人は17人にとどまる。のみならず報道機の轟音のために瓦礫の中から助けを求める声がかき消され、助かるべき人も助からなかった。

 メディアは、このように必ずしもヘリコプターの強力な後ろ盾とはなってこなかった。新しい「ドクターヘリ特別法」が成立した現在、われわれの今後なすべきはヘリコプターの奇蹟を日常化することである。そうなれば奇蹟は奇蹟でなくなるが、それこそが救急医療におけるヘリコプターの理想にほかならない。新法が具体的な制度として結実するかどうかは、メディアの刹那的ではない、継続的な監視と報道によるところが大きいであろう。


シンポジウムが開かれた東大医科学研究所大講堂

(西川 渉、2007.11.20)

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