<ILA2004>

ベルリン航空ショー 

 

 この1週間、所用があってドイツに出かけておりました。そのため本頁の更新もできないままでしたが、その代わりに折から開催されたベルリン航空ショーを覗いてきました。これからしばらくは、その模様をご報告してゆきたいと思います。

ベルリン大空輸作戦

 ご承知のように、ベルリンは1990年の東西ドイツの統一まで東側にありました。その市内の一部が西側に所属していたわけですが、この東西分割によって、統一までの間に二つの大きな事件が発生しております。ひとつは1948年6月ソ連による西ベルリン地区の封鎖、もう一つは1961年8月13日これもソ連および東ドイツによる「ベルリンの壁」の構築です。

 そのどちらも西ベルリンを孤立状態に追い込みました。1948年の事件では西ベルリンに至る全ての道路、鉄道、河川が封鎖され、200万人の西側地区の市民が孤立しました。そのため米空軍はフランクフルトとヴィースバーデンから、英空軍はビュッケブルクから「ベルリン大空輸」(Berlin Airlift)作戦に取り組みました。

 当時のC-47、C-54、C-74グローブマスターといった輸送機によって、1949年9月まで総計230万トン以上の食糧や燃料が空輸されました。この15か月間の輸送飛行回数は277,569回に及んだそうです。

 輸送機はベルリン市内のテンペルホフ空港に向かって昼も夜も飛び続け、発着は1分おきにおこなわれました。飛行間隔が余りに短いために、レーダー画面では「真珠の首飾り」のように見えたといいます。そのため各機の飛行速度は正確に1ノットの誤差もないように維持され、毎日平均380機が飛びました。

 英空軍はスカイマスター、ハリファックス爆撃機、サンダーランド飛行艇なども動員しました。飛行艇はベルリンの湖水に降りたようです。

 この大空輸作戦に投入された兵員は約57,000人。そのうち、事故のために失われた飛行機は10機、死亡者は米空軍が27人、英空軍が18人、ドイツ人の同乗者7人でした。

英語ではなくロシア語

 ベルリン・エアリフトの話が長くなりましたが、現在、東西ドイツが統一されたとはいえ、東ドイツとして長い間ソ連の影響下にあった痕跡は10年余り経過した今も、まだいくらか残っているように思いました。

 ひとつは、あるドクターと話をしたとき、この先生は医学博士ですが、英語は駄目ということでした。というのもブランデンブルク州政府の高官でもあり、同州が旧東ドイツにあったためロシア語は得意でも英語はできないというわけです。

 これまで、私たちがつき合ってきたドイツ人は、現ユーロコプター社や旧ドルニエ社など西ドイツ側の人びとでした。したがって米・英の影響下にあって、特に航空関係者ともなれば英語ができるのは当然の如くに思っていました。そのうえ英語とドイツ語は最も近い親戚でもあります。

 ところが旧東ドイツで官僚になったり、医師や学者といった知的職業につくためには、まずロシア語ができなければならなかったのでしょう。あとから聞いた話では、みんな小学校からロシア語を学んだそうです。

 やむを得ず、西側出身のドイツ人に英語からドイツ語、ドイツ語から英語への通訳をして貰うという珍しい経験をしました。そういえば、ILA2004の航空ショーで配布されたメーカーのニュース資料なども、ドイツ語や英語のほかにロシア語も多く、パリやファーンボロでは余り見られない現象でした。

 シェーネフェルト空港

 さて、ベルリン航空ショー「ILA2004」(International Luftfahrt Ausstellung:国際航空展示会)は、この5月10〜16日の1週間、ベルリン郊外のシェーネフェルト空港で開催されました。ここはベルリンの南東方向にあって、旧東ドイツの当時は最も重要な空港でした。現在は北西方向のテーゲル空港が首都ベルリンの玄関口で、シェーネフェルトは主に国内定期便とチャーター便が飛んでいます。

 ベルリン市内からは「エアポート・エクスプレス」と呼ぶ急行電車で20〜30分。駅の正面が空港ターミナルですが、航空ショーの会場は反対側にあるため、ショー専用のシャトル・バスに15分ほど乗る必要があります。市内からの電車は片道2ユーロ(約280円)、専用バスは無料でした。

 なお、この空港は将来、新国際空港として生まれ替わる計画になっています。2005年から再建工事がはじまり、2010年に再開港の予定だそうです。ついでに市内テンペルホフ空港は今年から閉鎖され、ベルリン大空輸作戦の記念公園になるようです。ターミナルビルは航空関連の博物館、遊戯場、販売店として利用されるとか。

300余機がショーに参加

 ILA2004の参加機は、主催者の分厚いプログラム書によると総計313機。うちエアバス旅客機が5機、その他の旅客機や軍用輸送機が14機、ビジネス機がジェットやターボプロップを合わせて26機、ヘリコプター44機、戦闘機と軍用練習機が61機、民間用の練習機と曲技機とスポーツ機が64機、マイクロライト22機、モーターグライダー4機、セールプレーン6機、歴史的古典機50機などとなっています。

 ちなみにボーイング機は1機もなく、ボンバーディアやエムブラエルのリージョナル・ジェットも見あたりません。どちらかといえば、ジェネラル・アビエーションとドイツ軍用機に重点を置いたショーかと思われます。1か月半の後にはファーンボロ航空ショーが開かれるので、地元メーカー以外の大メーカーはそちらの方へ向かうのでしょう。

 しかし地元の製品はエアバス旅客機、ユーロファイター戦闘機、かつての花形トルネード戦闘機、ユーロコプター・ヘリコプター、そしてグライダーなどが華麗な飛行ぶりを見せてくれました。

 なおILA航空ショーは、パリ航空ショーよりも古く、1920年代初めにフランクフルトで始まり、ハノーバー航空ショーを経て、東西ドイツ統一後ベルリンで開催されるようになったそうです。


実戦配備がはじまったばかりのドイツ空軍ユーロファイター戦闘機

 
轟音と共に大空いっぱいに駆けめぐるユーロファイター・タイフーン。
ちゃちなカメラと下手な腕では、なかなか捉えることができず、
あわててシャッターを押しても電子カメラの画面に残ったのは煙だけといったことばかり。


現用機の中では最も細長い旅客機。
胴体には「Longer Larger Farther Faster Higher Quieter Smoother」と、
中学生の暗記カードのような英単語が書いてあるが、
同行の山野豊氏が「Cheeper という文字が抜けている」と皮肉な指摘をした。


6機のノースロップF-5Eによるスイス空軍の「パトルイユ・スイス」による曲技飛行。
これも、カメラで捉えることはなかなか難しい。


2機のソアラーによる華麗な編隊曲技


ドイツ軍への配備がはじまったタイガー攻撃ヘリコプター

(西川 渉、2004.5.17)

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