<ILA2004>

古典機の飛行 

 

 ベルリン航空ショーには多数の古典的な航空機も姿を見せ、観衆の前で飛んでみせた。古くても飛べるところに生涯現役ともいうべき価値がある。その全てを見ることはできなかったが、カメラに捉えたいくつかの機体をご紹介したい。

エトリッヒ・タウベ

 この飛行機はオーストリアのイゴー・エトリッヒの設計、製作になる。1909年11月ウィーンで初飛行した。鳥のような形をした翼を持つ単葉機で、鳩(taube)と呼ばれた。

 単座および複座の軍用機として量産され、アウストロ・ハンガリアとドイツの両空軍に採用された。1911年飛行機として史上初の爆弾を搭載、第1次大戦がはじまると1914年8月30日パリ上空から初めて爆弾を落とし、女性1人を死亡させ、2人を怪我させるという戦果(?)を挙げた。

 その後ドイツ空軍も採用、ルンプラー社その他のメーカーで大量に製造された。

 エンジンはメルセデスD.I(100馬力)が1基。主翼スパン14.35m、長さ9.85m、最大離陸重量870kg、最大水平速度115km/h、航続時間4時間。

アルバトロス戦闘機

 第1次大戦中に活躍したドイツ軍の戦闘機。初戦は1916年9月17日で、6機が出撃し、7機のイギリス機と闘って、5機を撃墜、アルバトロスの方には1機の損害もなかったという。圧倒的な高速性能と2基の機銃で大きな破壊力をもっていたためらしく、たちまちにして空戦の花形となった。

 のちに複葉のうち下の翼を小さくして、一葉半に改めた。これにより操縦性が上がり、下方の視界が良くなった。有名なリヒトホーヘンも、この飛行機で闘っている。

 佐貫亦男先生は「アルバトロスの特徴は、サメのような木製モノコック胴体と、ハエたたきに似た水平安定イタリアについた左右通しの昇降舵である」と書いている。そして第1次大戦を生き延びて、戦後もさまざまな民間機をつくったが「ヒットラーが政権を取ると姿を消して、ナチス空軍の軍用機をつくることはなかった。……会社の幹部にユダヤ人がいたためではないかと推定される」

 アルバトロス社の工場はベルリン南東のヨハニスタールにあったというから、このショーが開かれているシェネフェルト空港のそばである。基本データは、エンジン出力165馬力、最大速度120km/h、翼スパン12.96m、全長7.63m、高さ3.20m、離陸重量870kg。

スタンプSV4曲技練習機

 1933年ベルギーで設計され、フランス空軍の練習機として採用され、第2次大戦後フランスでライセンス生産された複座の曲技練習機。操縦がやさしく、今ではスポーツ機として最適。

 エンジンはルノー145馬力。始動は圧縮空気か手動でおこなう。胴体もプロペラも全てが木製で、150km/hの速度性能を持つ。総重量770kg。

スーパーコンステレーション

 1939年、当時のロッキード社は、米大陸横断も可能な旅客機の開発に取りかかった。最初の9機を発注したTWAの要求は、6,000ポンド(2,700kg)のペイロードを搭載して3,500マイル(3,600km)の航続性能を持つというものだった。

 初飛行は1943年1月9日。日本との戦争がはじまっていたために、軍用モデル49として飛行した。航空界初の試みとしては、操縦系統に油圧装置を組み込んだこと、主翼および尾翼の前縁に熱防氷装置を取りつけたことである。

 エンジンはライトR-3350-35星形ピストン(2,200馬力)が4基。これで3枚ブレードのプロペラを駆動した。

 コンステレーションと名づけられた民間型1号機(乗客43〜63人乗り)がTWAに引渡されたのは戦後の1945年10月1日で、12月にはワシントンから途中2か所を経由しながらパリまで飛行した。

 その後エンジンや降着装置が強化され、燃料搭載量が増えて航続距離が伸び、さらに胴体を延ばしたスーパーコンステレーションが完成する。初飛行は1950年10月13日であった。同機は乗客95人乗りで、1951年12月からイースタン航空に就航した。

 スーパーコンステレーションはその後も改良が加えられたが、最終的なデータは次の通り。エンジンはR-3350-988TC18EA-2(3,400馬力)が4基。主翼スパン45.72m、全長35.41m、離陸重量70,760kg、最大水平速度607km/h、巡航速度520km/h、航続距離8,690km。

(西川 渉、2004.5.18)

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