<ILA2008>

欧州協調の成果ベルリン航空ショー

 

 本稿は月刊誌『航空ファン』のために、6月末に書いたものである。すでに2ヵ月ほど前の作文だが、ここに掲載しておきたい。

  

 今年のベルリン航空ショーILA2008は、去る5月27日から6月1日までシェーネフェルト国際空港で開催された。ファーンボロやパリ航空ショーにせまる規模で、質的にもドイツの航空技術を中心に欧州連合(EU)諸国が協調して先端的な製品を展示、アメリカ、インド、ロシアからも賑やかな飛行展示が見られた。

 主催者の発表によると、展示企業および団体は37ヵ国から1,127。航空機は飛行展示と地上展示を合わせて331機をかぞえ、入場者は24万人余り。その半分がビジネス客で、取引き成立額は50億ユーロ(約8,500億円)を超えたという。

 今やヨーロッパの航空工業はアメリカをしのぐものがあり、米国防省にもヘリコプターやエアバス空中給油機が採用され、ボーイング787の製造に参加するなど、米航空市場へも大きく進出するようになった。そうした技術力に焦点を当て、ヨーロッパのすぐれた特徴を強調するといった性格がショーの展示に見られた。

 また今回の最大の主題は環境問題で、「清浄な空の将来」(Greener Skies Ahead)を確保するという理念達成のため、航空機から排出される二酸化炭素(CO2)や窒素酸化物(NOX)を如何に減らすかという課題に向かって、さまざまな取り組みが紹介された。たとえばドイツのMTUやプラット・アンド・ホイットニーなどが新しいGTFエンジンの開発を進め、それを三菱重工、ボンバーディアなどが率先して採用するといった計画。またエアバスやボーイングなどの燃料電池(fuel cell)の実用化をめざす開発研究である。

 そうした中から、いくつか筆者の印象に残った点をご紹介したい。


会場を圧するドイツ軍ヘリコプターの大編隊飛行

環境適応を強調するA380

 ショー会場に入ると、最も目立つのがエアバスの超巨人機である。白い胴体に青く「AIRBUS A380」の文字が描かれている。初日の開会式も、その前で執り行われた。ドイツのメルケル首相が登場して開会を宣言、女性らしい笑顔を振りまきながら赤いテープにはさみを入れる。首相みずからの出席は航空宇宙工業界に対するドイツ政府の強力な支援の姿勢を示すものといえよう。

 同時にA380はドイツのみならず、フランス、イギリス、スペインというEUの中心をなす国々の協調態勢を示す象徴でもある。昨年秋から実用段階に入り、この開会式の1週間前、5月20日からは日本へも乗り入れが始まった。今のところシンガポール航空だけだが、8月からはエミレーツ航空がドバイ〜ニューヨーク間に定期運航を開始、豪州カンタス航空も10月からロサンジェルスへ向かって飛ばし始める。

 ショー会場でも、A380は連日デモ飛行を繰り返した。巨体の割には軽くふわりという感じで離陸し、上空をゆったりと低く近く旋回してみせる。胴体には"Greener Cleaner Quieter Smarter"の文字。環境への適応を示すもので、大きいからといって騒音や燃費がひどいわけではない。

 とはいえ、エアバス社の現状は必ずしも平穏ではない。ひとつは、この巨人機の量産と引渡しが2年も遅れたことに伴う再建計画が予定通りに進んでいないこと。欧州圏内に分散している工場のうち6ヵ所を売却し、生産体制を統合する計画もまだ実現していない。おまけに、航空ショーに集まった関係4ヵ国の担当大臣とエアバス社とが話し合いをしたところ、各国大臣からそれぞれ自国の仕事量を増やすようねだられた。つまりエアバス社としては再建を求められながら、その再建計画に反する要求を突きつけられたことになる。

 さらにアメリカでは、ノースロップ・グラマン社と共に米空軍の次期空中給油機を受注したが、それに対してボーイング社が異議を申し立て、米政府監査院(GAO)が調査した結果、空軍の機種選定の手順に「重大な誤りがあった」としてエアバスとの契約を見直すよう勧告が出た。この契約は総額350億ドル(約3.8兆円)。エアバス側も簡単に諦めるわけにはいかない。今後しばらくは防戦に追われることとなろう。

ILA2008で見たA380のアルバム

三菱MRJのライバルたち

 ロシアの展示ブースには笑顔があふれていた。1週間前スホーイ・スーパージェット100(SSJ100)が初飛行したからである。正面には、このリージョナル機の大きな模型が飾られていた。

 その初飛行は5月19日。途中で天候が悪くなったため67分で着陸したが、2回目の飛行は2時間半であった。この間、同機は速度450km/h、高度3,000mに達した。

 SSJ100の座席数は、エコノミークラスだけなら98席だが、ビジネスクラス8席とエコノミー78席に分けることもできる。将来はストレッチ型もあり得るし、小型の75席機を開発するかもしれない。エンジンはフランスSNECMA社の協力を得てロシアのNPOサターン社が開発したSaM146(推力62〜71kN)が2基。

 今後、試験飛行には原型3機が加わる。うち2号機はほとんど完成、3号機も最終組立て段階にある。これら3機は7月末、8月末、9月末に飛び、2009年なかばまでにロシア政府の型式証明を取得、アエロフロートの定期路線に就航する。1年後の2010年には欧州航空当局の型式証明も取得する計画である。受注数は現在73機。2024年までに800機を生産する見込みで、そのうち500機が国外向けという。

スホーイ・スーパージェット100の基本データ

    

100-75

100-95

主翼スパン

27.8m

27.8m

全長

26.33m

29.82m

全高

10.28m

10.28m

客席数

68〜78

86〜98

航続距離

4,760km

4,480km

巡航速度

マッハ0.78〜0.8

マッハ0.78〜0.8

最大巡航高度

12,500m

12,500m

最大離陸重量

38,820kg

42,250kg

離陸滑走路長

1,515m

1,534m

 こうしたロシア機に対して、カナダのボンバーディア社もCシリーズと呼ぶ新しい大型リージョナルジェットの開発を計画している。乗客は100〜149人乗り。リージョナル機としてはこれまでの最大で、エアバスやボーイングの領域に入りこむ大きさである。まだ正式に開発着手を決めたわけではないが、すでに販売活動を始めており、カタール、ルフトハンザ、ノースウェストなどのエアラインと国際リース・ファイナンス社(ILFC)が関心を示している。おそらく今年中に50〜100機の注文を得て、開発作業に取りかかるであろう。

 この飛行機の特徴のひとつは今注目のギアード・ターボファン(GTF)の装備であろう。GTFエンジンは前面の高圧ファンと後方の高速低圧タービンとの間に減速ギアを入れて相互の干渉をなくし、それぞれが最大限の効率を発揮できるようにするもの。これで燃料消費が減って、運航費が下がり、地球環境への影響も少なくなる。本誌6月号でもご紹介したように、三菱MRJが最も早く採用を決めている。

 GTFは、P&W社が20年前から研究と開発を進めてきた。その結果、完成に近づいたところで石油が値上がりし、GTFの効果が一挙に注目されるようになった。ショー会場では、ドイツのエンジン・メーカーMTUも開発に参加することになったと発表された。

 試作GTFは、すでにP&W社で250時間を超える試運転をしている。この夏からは747に取りつけて、飛行試験をおこなう。その場合、通常のエンジンをつけた747にくらべて燃料消費は12%減、騒音は20デシベル減、エンジン整備費は40%減になることが期待できるという。さらに今年秋には、エアバス社もGTFをA340に取りつけて飛行試験をすると発表した。

 この試作エンジンは推力13,600kgだが、三菱MRJには推力6,800〜7,700kg程度のGTFが搭載される予定。将来ボーイングが737の後継機を考えるとすれば、それにも推力9,000kg程度のGTFが搭載されると見られている。


ILA2008で見たスーパースホイジェット100の模型

観客を魅了した悍馬

 さて、航空ショーの呼び物は何といっても戦闘機による曲技飛行であろう。今回のILA2008では、パトロワイユ・スイス空軍曲技チームが6機のノースロップF-5Eによる華麗な編隊曲技を見せた。そして最も勇ましく、会場を圧したのがユーロファイター・タイフーンである。

 空港を包む激しい轟音の中から、悍馬が地面を蹴って天空に駆け上がるかのように離陸、直ちに翼をゆすって機首をめぐらし、垂直上昇を続けると一転して大地に急降下、再び上昇に転じるなど、激しい轟音と共にエンジン排気口の奥深く赤い炎を見せて乱舞するさまは、振り仰ぐ観客に力強い運動能力を見せつけた。

 ユーロファイターは ドイツ、イギリス、イタリア、スペインの欧州4ヵ国が世界最先端の技術を採り入れて共同開発したスィング・ロール機で、緊急発進、空中戦闘、対地攻撃、制空警戒などあらゆる戦闘能力を有する。


ユーロファイター・タイフーン   (写真:EADS)


ドイツ空軍のタイフーン   (写真:EADS)

 受注数は総計707機。うち620機が共同開発にあたった4ヵ国の調達分で、ほかにオーストリアから15機、サウジアラビアから72機の注文を受けている。

 開発が始まったのは、およそ15年前。原型1号機がドイツで初飛行したのは1994年3月27日。以後合わせて7機の原型機が試験飛行にあたり、今世紀に入って量産が始まった。量産1号機が初飛行したのは2002年4月5日である。そして今年初めまでに第1段階の生産分148機の引渡しを終わり、目下第2段階の生産がつづいている。第2段階では4ヵ国向け236機とオーストリアおよびサウジアラビア向けの87機が生産される。そして第3段階が236機の予定。

 量産計画はこのように3段階に分かれているが、機体そのものはさほど変わらない。エンジンだけは第3段階で強化されるもようだが、変わるのは電子装備で、レーダー、センサー、火器管制システム、戦闘システムなどが進歩する。

 なお、ユーロファイター・タイフーンは、わが航空自衛隊の次期戦闘機F-Xの候補にもあがっている。他の競争相手はF-15、F-18、F-22、F-35など、いずれもアメリカ勢。これらの強豪に対して、ユーロファイターがどこまで闘えるか。ヨーロッパ製の戦闘機が日本で飛ぶことになるかどうか。採用機は2012年、遅くも2014年頃から調達される。

タイフーンの生産と引渡し計画

第1段階
(2003〜07年)

第2段階
(2008〜13年)

第3段階
(2012年以降)

合 計

イギリス

55

89

88

232

ドイツ

44

68

68

180

イタリア

29

46

46

121

スペイン

20

33

34

87

オーストリア

15

15

サウジアラビア

72

72

合   計

148

323

236

707

欧州3大航空ショーへ

 ところで、ILAベルリン航空ショーは、パリやファーンボロのショーに対してどのように違うのか。最近は余り大きな違いはなくなったが、かつてはジェネラル・アビエーションの色合いが濃くて、軽飛行機やヘリコプターの展示が多かった。したがって今も、商談の成立を競い合うばかりでなく、ゆったりした気分で飛ぶことと飛ばすことを楽しむ一種のお祭り気分にあふれている。

 今年もインド空軍のヘリコプター・チームが国産の軽双発ヘリコプター4機を国鳥の孔雀模様に塗装して編隊飛行を見せたり、ドイツ陸軍のヘリコプター部隊が20機に及ぶ大編隊で飛んだり、地上ではヘリコプターだけのセミナーが開かれたりした。

 けれども、上に見てきたようにA380や戦闘機も飛ぶようになり、主催者もドイツを初めとする航空工業の先端的な技術を見せたいという意欲が強くなってきた。

 その歴史は今から99年前にさかのぼる。世界で最も長い歴史を持つというのがドイツの主張で、始まりは1909年7月10日フランクフルト・アム・マインで開催された。ところが同じ年、パリでも航空展示会がおこなわれた。パリ市内のグランパレで自動車展示会の一環として、英仏海峡の横断に成功したブレリオ11号機など、約30機の飛行機や気球が並べられ、2日間に10万人の観客が押し寄せた。これがパリ航空ショーの始まりとされるが、開催日が9月25日だったというから、ドイツの方が2ヵ月半ほど早い。その意味では、なるほどILAが最も早いといえるかもしれない。

 ショー開催の場所は1912年からベルリンに移り、28年まで続いた。その後長く中断し、第2次世界大戦後の1955年に「国際航空旅行ショー」の名前で復活、1957年ハノーバー交易フェアの一部として開催された。以来30年間、ILAは「ハノーバー航空ショー」として知られるようになる。

 やがて、このドイツ航空ショーは国際的な参加も増えて、1978年にはILA(Internationale Luft- und Raumfahrtausstellung:国際航空宇宙展)の呼称が復活する。開催場所もベルリンの壁が崩れたのち、1992年から今のシェーネフェルト空港に戻った。

 そこで今、この航空ショーはドイツが世界の航空宇宙工業界の第一線に立っていることを示すものでもある。エアバス機やユーロファイター戦闘機に見られるように、フランスやイギリスと協同歩調を取りながら、アメリカに互して航空宇宙工業界の主導的な立場にある。とすれば、ILAをもっと拡充し、ドイツの実力にふさわしい規模と内容にしたいであろう。

 その意味では毎回2年ごとの同じ年にイギリスと競い合うのではなく、ファーンボロとパリとベルリンで3年に一度ずつ開催するようにしてはどうか。そうすれば、展示者も観客も楽になるし、ILAの規模も自然に大きくなるであろう。

 折からシェーネフェルト空港は大改造が進んでおり、2011年12月には新しい「ベルリン・ブランデンブルク国際空港」(BBI)として生まれ変わる。同時にILAの展示場所も新しくなり、規模が拡大される。そのときを期して、欧州3大航空ショーが相互に調整し合い、3年ごとの持ち回り開催にするよう、ここに提案しておきたい。(『航空ファン』、2008年9月号掲載)

ILA2008で見たスイス曲技チームのアルバム

(西川 渉、2008.9.1) 

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