<西川修著作集>

阿波の犬神

 阿波の犬神は、山陰の狐つきと共に、憑物迷信の中でもっとも有名である。平安朝末期からあったともいわれ医学的調査も、明治年代荒木蒼太郎氏(岡山医専教授)等によりて行なわれているが、九大教授桜井図南男博士は徳島医専(後徳島大学)在任の頃に大要次のように述ぺた。

「犬神憑きが一時的な精神異常状態であることは明らかである。犬神のみならず狸とか狐とか生霊に憑かれる憑依現象は、教育に乏しい文化の低い所に多く、従って都会に少なく田舎に多い。しかも、それぞれ迷信と結びついているのが特徴である。

 一般にある精神的な原因によって一時的に精神異常を生ずる現象を心因反応といって、予期的な緊張が続いたり、精神的な不安や感動的な体験があると、ある人ではそれが原因で精神に異常を呈する。この心因反応は文化人でも未開人でも見られるが、その起こり方や形式は、文化の程度や環境の模様によって著しく異なる。北海道のアイヌにイムという特珠な反応があるが、特定のアイヌ人に向かってイムと呼ぴかけると、それだけで、その人は意識混濁を伴ったはげしい発作を起こす。発作は数時間または十数時間で正気にかえるが、生涯に何回でも繰返す。これは非常に原始的な心因反応の型で、マレーのラターや蒙古のビロンチなどと似ている。これらは犬神憑きよりも反射的な要素がはるかに多い。

 犬神憑きも心因反応の一つではあるが、一般文化人の間に見る複雑な心因反応とはいろいろな点で異なる。

 一、症状が比較的単純一律で個別的な色彩に乏しい
 ニ、病的な精神内容が迷信によって規定されている
 三、迷信を疑わない素朴な暗示されやすい心性が必要とされる

等の点である。このように見ると犬神憑きは多分に原始心因反応の要素を持ち、心因反応の形式としては、あまり程度の高いものでないことが理解される。

 結局、犬神憑きは文化人の心因反応よりは程度が低く原始心因反応よりは程度が高く、両者の間にあって双方の特徴を合わせそなえているものといえよう」(昭和24年、「阿波民俗」より)

 だが、犬神に関する大きな問題がもう一つある。大神すじのことである。犬神を持つと思われる家系が一つの家すじとして婚姻も拒まれる事実である。

 深刻な実例をあげてみる。

 昭和31年の夏、海部郡日和佐町A部落の主婦某さん(46)はなんとなく気分がすぐれないため家でブラブラしていた。部落の初夏のかせぎである「てんぐさ取り」の重労働から解放されると、肉体的にも精神的にもたちまち疲れが出るためか、毎年夏になるとA部落の人たちはよくこのような状態になる。しかしこの場合ちょっと度が強過ぎた。一ヵ月過ぎても仕事が手につかず、ときどき、わけのわからぬひとりごとさえいうようになった。

 親類の人たちは心配し、部落の人が病気になった場合いつも祈躊してもらう隣部落のB祈祷師をよんでみてもらった。何かわからぬじゅ文を唱えたあと、祈祷師がおごそかにいうのには

「これは同じ部落のC家の犬神がついたのじゃ、C家は犬神筋で、仲好くし過ぎたから犬神がのり移ったのじゃ、部落の者もCと話したり、C家へ出入りすると犬神にとりつかれるぞ。犬神が怖いものはワシの信ずる××教を信仰することじゃ。医者にいっても犬神は絶対なおらんぞ」

 鶯いたのはC家である。「うちがどんな証拠があって犬神筋だ」いくら抗弁してもあとの祭り。純朴で信じやすい部落の人はこの祈祷師の言葉を信じこみ、C家と交際する人は次第に少なくなってきた。

 わずか七十戸しかない平和そのものだったA部落は、B祈祷師の「犬神」の一言でてんやわんや。こども達までが「C家のモンと遊ぶと犬神にとりつかれる」と騒ぎ出し、Cさんのこどもは学校へも行けない始末。長女に持ち上がっていた縁談もこわれてしまった。

 村八分のどん底につき落とされたC家は「これではあんまりだ、何とかしてくれ」と日和佐公民館に泣きついてきた。

 早速、森義勝館長と県精神衛生協会委員、藤井正人医師を派遣したが、祈祷師の言葉を絶対的に信じこんでいる部落の人たちは、最初二人が「犬神の非科学性」を脱いても、てんで耳を貸そうとしなかった。しかし祈祷師が「薬や注射の力では絶対なおらない」と豪語していた面前で藤井医師が、半狂乱になってわめき散らしていたこの女をイソミタール注射一本でビタリ眠らせたことから態度をやわらげ、「絶対に医者の手などかからない」とガンバっていたのが藤井さんの病院へ入院させることをしぶしぶ承知した。

 幸いこの女は半年ほどで全快した。この間、公民館では毎月一回以上、A部落に出かけ、漁のヒマをみつけて主婦や年寄りを集めて迷信打破の講演や映画会を行ない説いた。この結果、A部落のほとんどの人は犬神を信じなくなり、部落は再び明るい笑顔をとりもどした。


賢見神社

 A部落の騒ぎとほとんど同じころ牟岐町出羽島でも、島がひっくりかえるような同じケースの犬神騒動がもちあがった。また日和佐町山河内地区で、祈祷師から犬神筋といわれて部落から村八分の仕打ちをうけたある家の家族が、祈祷師と部落21戸のものを相手どって「人権じゅりりんだ」と徳島法務局へ訴える騒ぎまであった。

「A部落の場合は病気が治ったから迷信追放がうまくいったが、他の地区ではまだまだ信じている人があるようです。特に老人の中には盲信的な人もいるので、また原因不明の病気や天災地変があると犬神騒動のようなことがおこるかもわかりません。このため、絶えず町内の部落ごとに迷信追放の婦人学級や部落講座をやっているのですが、なかなかむずかしい仕事ですよ」

 森日和佐公民館長はこう語っているが、犬神の存在を信じこむ人たちの考えは根強いものがある。(昭和33年徳島新聞記事)

 日和佐公民館で調査したところでは、成年100名のうち、「犬神はいる」12名、「いるように思う」22名、「わからない」10名となり、はっきり否定したものは56名であった。即ち34%が犬神の存在に肯定的である。

 犬神は精神医学的現象である。しかし医師が診察室でそれを診ることは決して多くない。元来これは医師の手では癒らない祈祷師の領分だと考えられているからである。犬神を払う祈祷所は古くは三好郡の箸蔵寺、瑠璃光寺が知られ、賢見神社は特に名高く、高越山も信仰される。その他、三好、美馬地方には多くの祈祷所がある。犬神の真の姿を知るためには、これらの祈祷所に眼を向ける必要があると思われる。

(西川 修、大塚薬報、1963年4月)

 


箸蔵寺

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