<イタリア紀行>

ドクターヘリの現状

 去る2月9〜10日の2日間、ミラノ郊外のマルペンサ国際空港の一角にあるアグスタウェストランド社の本社で、国際EMSコミュニティ・ミーティングが開催された。集まったのは世界10ヵ国から約40人。私も、お招きにあずかり、日本のドクターヘリの現状について話をする機会を与えられた。

 話の内容は、以下のパワーポイントに図示するとおり。イタリアへ出かけることが決まってから出発まで4日間ほどの短期間で、兼松株式会社航空宇宙部民間航空担当部長大島裕氏に助けられて作成したものである。氏には現地へも同行していただいた。

 日本の現状に入る前に、イタリアは現在48ヵ所のヘリコプター救急拠点があると聞いた。その国土面積は日本の8割、人口は半分だから、日本に当てはめると面積比では60ヵ所、人口比では100ヵ所の拠点に相当する。まことに立派な普及ぶりである。

「ドクターヘリ」という呼び名は日本独自のものである。救急専用のヘリコプター自体をいうこともあるし、事業システムをいう場合もある。いずれにせよ、外国人にも分かりやすい命名だとほめてくれたのは、先月のHEM-Net国際シンポジウムに招聘したドイツADACの総支配人マツケアール女史とアメリカ航空医療学会のハットン先生であった。

 そのドクターヘリは、日本の関係者にはよく知られている通り、1999年度の内閣官房を事務局とする「ドクターヘリ調査検討委員会」で検討の結果、2001年度から正式に事業がはじまった。

 ドクターヘリの現状は上の表の通り、全国10ヵ所に拠点を置く。2006年度は長崎医療センターで11ヵ所目が発足する予定。さらに2007年には少なくとも2ヵ所、多ければ5ヵ所が名乗りを上げるかもしれないといわれる。

 この地図は、現行10ヵ所の拠点を中心に半径50kmの円を描いたもの。GIS(地理情報システム)の図面上に描いてあるので、人口その他の情報を即座に読み取ることができる。

 それによると、ドクターヘリの円によって日本の国土面積の14%、人口の33%がカバーされる。人口は東京を初めとして、もっと多くの人数が円の中に入るが、何故か千葉市、川崎市、横浜市、岡山市、福岡市などは同じ県の費用負担でドクターヘリを飛ばしながら、消防本部が出動要請をしない。市の消防機があるからドクターヘリは不要という理由らしいが、その消防ヘリコプターはほとんど救急のためには飛ばない。そうした各都市の人口を差し引いたのが上の33%という数字である。

 無論、外国に行ってまで、そんな恥さらしな話はしなかったが、消防隊がつまらぬメンツにこだわるのか、敵愾心を燃やすあまりか、結果としてそこに居住する市民は折角ドクターヘリが上空を飛んでいるのに恩恵にあずかることができない。そのため無駄な死を迎えた人もないとはいえないであろう。

 2004年度のドクターヘリ出動実積。当時の拠点8ヵ所から3,445回の出動をして、3,348人の患者さんが救急治療を受けた。1ヵ所平均430回程度になるが、この出動件数は今後増える傾向にある。

 上表はドクターヘリの医療効果を示す。2004年度のヘリコプター救急による患者さんの中から最終的な結末(outcome)がはっきりしている症例1,592人について整理したものである。この表に見る通り、死者は363人だったが、もしもヘリコプターではなくて救急車搬送をしていれば496人が死亡したと推定される。つまり133人の命が救われ、救命効果は26.8%だったということになる。

 同じように植物状態の後遺症が残った人は37.1%減となった。さらに完全に回復した人は872人。ヘリコプターがなければ603人しか回復できなかったはずで、社会復帰のできた人は44.6%の増加である。

 この表は厚生労働科学研究の報告書によるもので非常にわかりやすい。イタリアでも注目され、会議のあと、2人から質問があった。ひとつは推定根拠を訊かれたもので、専門医による医学的な評価と判定の結果であると答えた。もう1人は、別のところで引用していいかというもの。実際の研究にたずさわった先生方に代わって「どうぞ」と答えておいた。

 

 このように、ヘリコプター救急の効果が高いことは、残念ながら社会一般に広く理解されているとは言い難い。そこで、HEM-Netでは昨年春、上のような提言をまとめ、シンポジウムを開催すると共に、国会議員、都道府県知事、消防長の全員、ならびに政府および自治体の担当部門に送付したところである。

 この中で重要なのは第2項、救急ヘリコプターの運航費用を医療保険給付の対象に加えることという提言。現状のように国と都道府県が半分ずつ負担する方式は、そのための予算が毎年、国会と自治体の議会で承認されなければならない。特に新しく運航を開始する場合は、国と自治体による新規の予算承認が必要で、財政難の折から決してたやすいことではない。

 これを諸外国でおこなわれているように、健康保険、自動車賠償責任保険、労災保険その他の医療保険でまかなうことにすれば費用負担も分散され、ヘリコプター救急のもっと迅速な普及が可能になるであろう。

 この話に使ったドクターヘリの写真は、いずれもアグスタ機ではなかった。日本の救急機としては飛んでいないのでやむを得ない。けれども、昨年6月1日に型式証明を取った新しい「グランド」はキャビン内部が広く、スライディング・ドアも大きく開放されるので、ストレッチャーの搭載も楽になった。時速300キロに近い高速で救急現場へ向かうこともできる。いずれ日本にも登場する日がくるであろう。


東京から日本航空の直行便が乗り入れる
ミラノ・マルペンサ国際空港の旅客ターミナル正面の景観。
アルプスの雄大な山なみを背景に、アグスタ社の補給倉庫とA109の看板。

(西川 渉、2006.2.15)

 

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