拍車がかかるジェット化傾向

 

 英『リージョナル・エアライン・ワールド』誌(1999年12月号)がリージョナル航空機の初飛行年を一表にまとめている。1919年以来の膨大なもので、その全てをここに載せるわけにはいかないが、過去10年間と近い将来のところを見ると次表のようになる。

 

初飛行年

ターボプロップ機

リージョナル・ジェット機

1990

ビーチ1900D

――

1991

ドルニエ328
ジェットスストリ−ム41

ボンバーディアCRJ

1992

サーブ2000

――

1993

――

フォッカー70

1994

ATR42-500

――

1995

IPTN N250

EMB-145

1996

――

――

1997

――

――

1998

ダッシュ8Q-400

フェアチャイルド・ドルニエ328JET
ERJ-135

1999

――

ボンバーディアCRJ700

2000

――

ERJ-140

2001

――

フェアチャイルド728JET
CRJ900、ERJ-170

2002

――

928JET

2003

――

528JET、ERJ-190

 上表から見ると、明らかにデハビランド・ダッシュ8-400を最後として、ターボプロップ旅客機の開発は後を絶った。そのうえ、ここに見えているターボプロップ機の中からも、たとえばジェットストリーム41とサーブ2000は初飛行から10年もたたないうちに生産が終わってしまった。

 余談ながら、インドネシアのN250も実態がよく分からない。あの飛行機はハビビが当時の政治的な権力を背景に強引に進めたプロジェクトで、最初から自国のエアラインが強制的に買わされるだけではないかと見られていた。

 これから出てくるリージョナル機はことごとくジェットになることは明白で、上表にはボンバーディア、エムブラエル、フェアチャイルド・ドルニエの3社が競い合うようすがよくあらわれている。その、美味しそうな市場に向かって大手2社のボーイングとエアバスも、A319(初飛行1995年)、717(1998年)、A318(2001年)で殴りこみをかけつつある。

 なぜターボプロップではなくて、ジェットなのか。第1の理由は、それを使う航空会社にとって事業拡大の可能性が生じることであろう。ターボプロップにくらべて速度が増し、航続距離が延びるから、より広い範囲で路線を開設することができる。第2に、そのようにして事業が拡大すれば費用単価が下がるから競争力がつき、シェアの拡大と同時に運賃料金を引き下げることが可能になる。それによって、ますます多くの旅客を集めることができる。

 第3は旅客の側のジェット選好性であろう。ジェット機とプロペラ機が並んでいるのを見ると、われわれは何故かジェット機の方に信頼感を持ち、安心して乗れるような気がする。懸命に回るプロペラが脆弱で危なっかしい感じがするからか、あるいは一般にジェット機の方が大きくて、大きい方が安心感があるからだろうか。 

 

 かくて、ますます拍車がかかるジェット化傾向は次の表からも察知できよう。これは英『フライト・インターナショナル』誌(2000年2月15日号)がリージョナル航空機について、1999年と98年の実績を集計したもので、その一部を私なりに要約したものである。

 

――

1998年

1999年

99年末受注残

受注数

生産数

受注数

生産数

ターボプロップ

151

174

103

121

146

ジェット

406

135

506

194

870

合 計

557機

309機

609機

315機

1,016機

 

 この表から見ると、1998年から99年にかけてターボプロップ機は受注、生産ともに減った。両方とも3割余の減少である。一方、ジェットの方は受注も生産も増加し、受注数は25%増、生産数は43%の増加となった。

 結果として受注残はターボプロップが生産1年分、ジェットが4年分くらいとなった。地域航空のジェット化傾向は、余りに明白である。 

(西川渉、2000.2.18)

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