<人民大会堂>

変 面

 北京で「変面」という実に不思議なものを見ました。300年前から四川省の歌劇に伝わる伝統芸能だそうですが、手足を大きく広げて振り回すように踊る中国独特の踊りをしながら、顔面の化粧が次々と変化してゆくもので、その早業には驚かされるばかりでした。

 舞台の上で、大きく手を振って踊りながら袖口でちょっと顔をなでるような仕草をした途端、顔面に描いた隈取りが変わるという瞬間芸です。観客は今変わるか、今変わるかと固唾を呑んで見守る。そして変面のたびに客席からオーという感嘆の声が起こります。

 この変化が10分間ほどの間に数度あって、最後は舞台から降りてきて前の方の観客と握手をすると、その瞬間に顔が変わって観客をのけぞらせ、3人目の客のときは素顔になる。

 それで終わりかと思うと、舞台に戻るや、こちらを振り向いた途端にふたたび色どりあざやかな顔に戻るというもので、見ていて、まばたきするいとまもありません。

 帰宅してインターネットで調べてみますと、変面の解説をしている沢山のサイトがありました。その中には、変化の秘密を解き明かそうという試みも多く、秘密をばらすと国家的な犯罪になるのだそうです。

 とはいえ、種あかしのようなことを書いたサイトもありますが、ここでは中国から罪を問われてもいけませんので、触れないことにします。

 また、YouTubeでは実際の瞬間芸を見ることもできます。「変面」というキーワードで検索すれば、いくらでも動画が出てきます。

 下の写真は変面の前座みたいなことで演じられた足芸です。


大きな机を両足にのせて、縦横に回しながら放り上げ、
落ちてくるのを足で受けて、再び回してみせる。


足で回すのは机ばかりではない。
太い棒の両端につかまった人間2人を高速でブン回す。
上の写真は、まだ始まったばかりで衣の裾が垂れているが、
やがて、これが真横になびくほど高速になる。
よほどの脚力がなければ、3人とも怪我をするだろうし、見事な芸である。

 それにしても、この数日間、北京滞在中は毎日もやがかかったような天候で、35℃前後の蒸し暑い毎日でしたが、あのもやは何が原因でしょうか。

 朝のうちは朝もやのようにも見えますが、それが昼になっても晴れず、夕方まで続くのです。したがって市街地を走りながら写真を撮っても、薄ぼんやりした画面ばかりで、困ったものです。

 おそらくは夏の高温による水蒸気と、急増した車の排気ガス、さらには西方からの黄砂が入り混じって、太陽は出ていていても、もやの中に沈んだような余り気分の良くない気象になったのではないでしょうか。

 1950〜60年代のロサンジェルス、70〜80年代の東京も息苦しいスモッグに悩まされましたが、経済発展いちじるしい中国が自動車の急増によって今その段階に達したのかもしれません。

 それでも夏が終われば、「北京秋天」というような日がくるのでしょうか。


北京市内は、街路も建物も靄(もや)の中にある。


空港もかすんだように見えるが、別にガラスが汚れているわけではない。
向こう側の滑走路を走る飛行機も霧の中で、
天候は晴といいながら、これではIFR状態かもしれない。
(この写真は朝ではなくて、午後4時頃の撮影)

 今回の旅行は、むろん観光や遊びといったものではなく、一種の講演旅行でした。場所は天安門広場にそびえ建つ人民大会堂。そこで100人ほどの主として中央政府および地方政府の救急救助の関係者を前にして、ヘリコプター救急の話をする機会を与えられました。人民大会堂で話をするなど、ちょっと珍しい経験ではあります。

 アメリカからはニューヨーク副市長が911多発テロやハリケーン・カトリーナを題材として大規模災害への対応について話をしました。

 こうした講演会に始まって、中国が今なにを考えているのか、具体的な詳細はいずれ明らかになってくるでしょう。


人民大会堂の入り口
ここも、何となくもやっていて、すっきりした写真が撮れない


大会堂の入り口を入ったところにある巨大な書画


控え室の壁に掲げられた毛沢東の書


講演
筆者の横に立つのは中国語の通訳にあたってもらった布仁さん。
日本在住のモンゴル人で、蒙古語や中国語はもとより
日本語も正確な丁寧語を含めてまことにうまい。
大草原に育ったこの青年は、蒼き狼の血をひく闘魂に加えて
聡明な頭脳と僧侶の資格を持ち、
いずれ日本に帰化したいという気持を秘めている。

(西川 渉、2010,7.28)

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