<日本航空医療学会雑誌>

ドクターヘリを主導



 
    救急医療は発症からの治療着手が早ければ早いほど救命率が高まる。このことが世界的な考え方になってきた頃、ドイツでヘリコプター救急が始まり、世界初の日常的な制度として定着した。
 それを知ったわれわれはドイツの実状調査に行くと同時に、日本にも同じような制度が必要と考え、1994年夏「日本エアレスキュー研究会」を立ち上げた。
 その半年後、案の定といわんばかりに阪神淡路大震災が発生する。1995年1月のことで、6,000人以上の犠牲者を出しながら、ヘリコプターはほとんど使われなかった。ヘリコプターと救急を結びつける考え方が社会になかったためである。
 その後もヘリコプター救急への無関心は続き、エアレスキュー研究会と関係医師たちによるヘリコプター救急の研究と実験が細ぼそとおこなわれるだけであった。そして4年後、1999年夏ようやく内閣官房を事務局とする「ドクターヘリ調査検討委員会」が発足する。同時に厚生省が救急装備をしたヘリコプターを川崎医科大学と東海大学の病院に置いてヘリコプター救急の実験的な運航をおこなった。
 この実験結果と委員会の結論により、本格的なヘリコプター救急事業「ドクターヘリ」が発足したのは新世紀の冒頭、2001年4月からである。その1年前にエアレスキュー研究会も「日本航空医療学会」と改称された。
 
   

岡山県倉敷市の川崎医科大学に待機するドクターヘリ

 
    こうした20年余りの動きの中で終始一貫、常に中心的、主導的な立場で活動してこられたのが、昨年秋の日本航空医療学会総会で理事長を辞任された小濱啓次先生である。先生は病躯にもかかわらず、岡山県倉敷市と東京の間を頻繁に往復しながら、惜しみない努力を重ねてこられた。その功績をたたえて、2017年1月の学会理事会は先生に「名誉理事長」の称号を贈る決議をした。
 小濱先生の今後ますますのご健勝をお祈りいたしたい。
 
   (西川 渉、日本航空医療学会雑誌2017年1月31日刊)

 
   
     
     
   

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