<ストレートアップ>

日本の立ちおくれを痛感

 

 去る11月30日から12月1日にかけて開催された日本航空医療学会の今年の総会は、国際色ゆたかな学術集会となった。ヨーロッパやアメリカから医師やナースを含む沢山の関係者が来日し、さまざまな発言を残していった。その中から筆者の印象に残ったものをいくつかご紹介したい。

 ロイヤル・ロンドン・ホスピタルのデイビッド・ロッキー博士は、招待講演の中で、1988年に始まったロンドンHEMSの紹介をしながら、今や20年近くたって治療水準も大きく進歩した。現場には平均8分で到着し、85%は患者から200mの範囲に着陸する。出動内容は交通事故が50%、工事現場などの労働災害が15%、銃撃や刺傷が10〜15%だが、最近は刺傷事件が増えている。また列車事故や爆弾事件などの大規模災害も多く、死傷者が大量に出るような事件は平均して3年に2回くらいの割合で起るという。

 救急現場では10分くらいのうちに手早く処置をするのが原則だが、必要に応じて麻酔、開胸、開腹、開頭など複雑な手術をすることもある。病院内の手術と違って環境条件は最悪だがやむを得ない。それでも25分くらいの時間で終わるよう、救急現場での複雑な治療方法について特別マニュアルを開発した。それに基づいて極めて高度の訓練を受けた医師たちがヘリコプター救急に当っている。

 なお2005年7月ロンドン地下鉄の爆発事件が起ったときは、偶然ロイヤル・ロンドン・ホスピタルで救急専門医の会合が行なわれており、多数の医師が屋上のヘリコプターで現場へ飛び、救急治療にあたったという。


総会の会長、益子教授からロッキー博士へ記念品

 トーマス・ジャッジ氏は、米メイン州のNPO法人「ライフ・フライト」の責任者として「ヘリコプター救急は贅沢か?」という主題で登壇した。結論は当然のこと、決して贅沢ではなく日常的な救急手段にほかならない。したがって金持と貧乏の区別なく、医療保険に加入している人もしていない人も同じように対象とすべきだというもの。

 とくに近年、アメリカでは無保険で、支払い能力もない人の救急要請が増えている。といって、患者を無視することはできない。ハリケーン・カトリーナのときも貧困層の人びとが数多く救護された。嵐が過ぎるや、被災地の救急ヘリコプターは直ちに救護活動を開始、48時間のあいだに軍用機や民間機など救援に駆けつけたヘリコプターは50機に達した。ほかに13機の固定翼機も避難活動にあたった。

 さらに27機のヘリコプターと4機の固定翼機が被災地まで2〜3時間の地点で待機していた。また多くのヘリコプター救急会社が経験ゆたかな専門スタッフを現地に送りこみ、連絡、調整、通信などの地上業務にあたった。この人びとは連日ほとんど徹夜で働いた。

 しかし、これらのヘリコプターも人員も救護活動に要した費用は弁済されていない。このことはヘリコプター救急事業が決して営利を目的とするものではなく、日頃から自己犠牲の精神を秘めながら活動していることを示すものといえよう。

 世界中の誰にとっても救急医療は不可欠の制度である。それは必要最小限の安全ネットにほかならない。この安全ネットがきちんと張られていない国、つまり近代的な救急体制が整っていない国は、もはや一人前の国家とはみなすことができないというのが、ジャッジ氏の結論である。

 

 オーストリアから招かれたウォルフガング・バーガー氏も、ヘリコプター救急は医療面でも経済面でも欠かすことができないと語った。オーストリアはアルプス山岳国であるだけに、救急車だけでは対応できない地域が多い。加えて、ヘリコプター救急によって、毎年何千もの人びとが命を救われ、何万もの人びとが長期の入院を免れる。ということは、ヘリコプター救急は患者の健康状態ばかりでなく、オーストリア全体の社会経済にも貢献している、と。

 氏は、ドイツのADACに似た自動車クラブOEAMTCのヘリコプター救急部に所属し、ドイツのミュンヘン工科大学に学んだ航空技師で、主としてアルプス山岳地の救急救助活動について語った。深い谷底や高い絶壁で緊急事態に陥った登山者を助けるために、物資の吊下げ輸送に使うカーゴフックを利用する。機体底部1ヵ所のフックを2ヵ所に増設し、二重のワイヤで救助隊員を吊り降ろす。ロープの長さは最大140m。東京タワーの大展望台(高さ150m)から地上を見るようなものである。

 パイロットと救助隊員との間は無線がつながっていて、相互に連絡を取りながら現場に接近する。使用機はEC135。カーゴフックの容量は最大1,200kgだが、OEAMTCでは遭難者を含めて一時に4人まで吊上げる。

 こうした危険な救助飛行に従事するパイロットの資質について、OEAMTCは「チームプレイができて、外向的で、自信を持ち、勇気はあるが独断的、攻撃的ではなく、自らの技能水準を高めるために喜んで訓練を受け、待機中の時間をもてあますことなくうまく使えるような人が望ましい」と考えている。

 オーストリアでは現在、全国35ヵ所の拠点から救急ヘリコプターが飛んでいる。日本の国土面積に当てはめるならば157ヵ所に相当する。そのうち22ヵ所がOEAMTCの拠点で、うち6ヵ所は冬季のみの拠点だが、オーストリア・ヘリコプター救急の中心的な役割を果たしている。

 

 イタリア・アグスタ社のロベルト・ガラヴァグリア副社長は、日本はイタリアに対して人口が2倍以上、国内総生産(GDP)は1人当り1割ほど高く、山岳地の面積は2倍、交通事故の死亡率も高い。にもかかわらずヘリコプター救急拠点は、イタリアの48ヵ所に対して日本はまだ11ヵ所。これからの救急機の需要に期待したいと語ったが、喜んでいいのか悪いのか。なおイタリアの救急ヘリコプター出動回数は、年間総数4万回で、これも日本の10倍に近い。

 フランス人のステファン・ジヌー氏はユーロコプター社を代表して欧米の現状を説明しながら、日本語で日本は「悲惨」な状況にあると語った。というのは2006年現在、世界中で1,304機の救急ヘリコプターが飛んでいるにもかかわらず、日本はわずか11機。1%にも満たないというお叱りである。

 ほかにもアメリカから2人のフライトナースが招かれた。シアトルのハーバービュウ病院のヘリコプター救急システム、ノースウェスト・エアリフトに勤務するブレンダ・ネルソンさんは20年余の経験にもとづき、フライトナースの雇用条件、雇用後の教育訓練、救急現場における救護と判断の要件などについて話をした。

 もうひとりのサンディ・キンケードさんはベル・ヘリコプター社に勤務するかたわら、今年9月にアメリカ航空医療学会の会長に選出された重鎮である。ここでは、しかし、お2人の講演を詳しく紹介する紙数がなくなった。

 ともかくも、以上のような世界の先進事例の話を聞くにつけ、日本の立ちおくれを強く感じないではいられない。『消防白書』によれば、平成17年中の救急車による搬送人員495万人余がが医療機関に収容されるまでの時間は全国平均31.0分だったという。世界的には15分以内の治療開始が基準で、ドイツの実績は2005年の国際航空医療学会での発表によると「15分以内84%、20分以内94%、25分以内97%」であった。同様にスイスもアルプスの山岳国でありながら、国内の全域にわたって昼夜を問わず、15分以内に医師が駆けつける体制を整えている。またロンドンは、8分以内に75%という治療開始の目標を掲げる。

 こうした世界水準に日本が肩を並べてゆくには、地上手段だけではどうしても間に合わない。ヘリコプター救急の迅速な普及が望まれるゆえんである。

 
幕張メッセで開催された総会会場前に展示されたドクターヘリ

(西川 渉、『日本航空新聞』2007年12月20日付け掲載)

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