<日本航空医療学会>

ヘリコプター救急は贅沢か

 

 昨年12月1日の日本航空医療学会総会でトーマス・ジャッジ氏の講演を聴いた。この人は米メイン州のヘリコプター救急に関する総責任者で、2004年から05年までアメリカ航空医療学会(AAMS)の会長もつとめた。本来はパラメディックとして30年前から救急治療にたずさわるようになり、近年はプレホスピタル・ケアに関するさまざまな団体の役員や会長をしている。

 こうしたジャッジ氏の講演を聴いていて感じたのは、メイン州の救急医療が、かねてから医療過疎に悩むへき地として多くの課題をかかえ、それが今の日本の問題と共通するということだった。身につまされる思いがして、その内容と考え方を論文その他の文書類も加味しながら、ここにご紹介する所以(ゆえん)である。

北海道によく似た救急態勢

 メイン州は米国の東北端にあり、東は大西洋に面し、北はカナダに食いこむようにして国境を接する。菱形を縦に置いたような形をしていて、大きさは東西310km、南北500kmで、面積はおよそ80,000ku。日本の北海道を縦に細長く引き延ばしたような恰好で、面積も余り変わらない。ちなみに北海道は、東西、南北ともに450kmほどである。

 メイン州の人口はおよそ127万人。北海道の562万人に対して2割余しかないから、その過疎ぶりがうかがえよう。というのは州面積の9割が森林地帯だからで、それだけに自然景観が美しく、多くの観光客をひきつける。特に海岸地方は、全米のお金持ちが豪壮な別荘をもち、夏の避暑地となっている。その一人が前のブッシュ大統領で、公務の合間をぬってはやってきて沖合に船を出してフィッシングを楽しんでいた。

というようなことから、メイン州は年配者が多く、引退者が余生を送るところでもある。それだけ老人が多く、平均年齢は全米50州の中で3番目に高い。人口の3分の2は田舎住まいという。

 産業は、ジャッジ氏の講演では「4つのF」という言葉が使われた。つまり漁業(Fishing)、林業(Forestry)、農業(Farming)、そして4つ目が愚業(Fool)というのは無論冗談で、自分たちメイン人は愚かな田舎者という意味かもしれぬが、救急医療体制が不充分という意味もこめられているにちがいない。

 州内の病院は38ヵ所。大きいところは625床、小さい診療所は6床。トラウマ・センターは3ヵ所のみ。いずれも小児救急を扱うが、火傷の治療は州の外へ出てボストンまで行かねばならない。北海道は札幌医大が火傷治療で有名だから、その点は異なる。しかし医師や看護師が不足という状況は、日本でも多くの地域で見られるところである。

 こんなメイン州にヘリコプター救急拠点は2ヵ所しかない。いわば北海道全域を2ヵ所のヘリコプターでカバーしているようなものだが、北海道は札幌の1ヵ所だけだから、実態はメイン州以下の情けない状況にあること云うまでもない。

 ヘリコプター拠点の2ヵ所は、州の南半分にあるバンゴアとルイストンという町で、そこから北へ飛ぶと、遠いところで250km。札幌から稚内までの260kmに相当する。それならば飛行機を使えばいいかと思うが、メイン州の救急システムに飛行機は組みこまれていない。

 というわけで、全体として北海道によく似た苦境にあるのがメイン州の救急体制である。したがって、ジャッジ氏の「ヘリコプター救急は贅沢か」という講演は、むろん贅沢ではないし、もっと必要だという趣旨で、日本のドクターヘリにも共通する内容であった。


米メイン州のヘリコプター救急拠点図。北海道ほどの広さに2ヵ所しかなく、
ヘリコプターが15分以内に到達できる地域はごく限られている。
(資料:ADAMSデータベース)

年間出動は2機で1,400件

 メイン州のヘリコプター救急は「ライフフライト・オブ・メイン」(LifeFlight of Maine)と呼ばれる。メイン州の救急基本法を根拠として、いくつかの病院が合同で設立した非営利法人が2機の救急ヘリコプターを使い、メイン州全域の現場救急や病院間搬送に当たっている。

 運営の中心は、救急専門医を初め、法律、ビジネス、教育などさまざまな分野の学識経験者からなから成る経営委員会である。その指導監督の下にナースやパラメディックの医療クルーとパイロット、整備士の運航クルーが実務に当たっている。これらのクルーは当然のことながら、長年の経験を有すると共に、特別の飛行訓練を受けた専門家である。

 ヘリコプターの運航を担当するのはERAヘリコプター社の傘下にあるERAメッド社。機種は2機ともアグスタA109Eで、同機は2005年1月、それまでの旧型機に替わって導入された。機内は医療装備がほどこされ、同時に2人の患者を搬送することもできる。

 救急飛行の出動要請は州内各地の病院、救急機関、警察その他の公的な保安機関から、ライフフライトの運航管理センターに入ってくる。その要請を受けて、2機のヘリコプターのうち現場に近い方へ飛行指令が出る。この場合、1機がすでに出動していれば、もう1機が飛ぶことになる。

 出動は1年365日、気象条件の許す限り、昼夜を問わず対応する。現場で応急治療の終わった患者は、その症状、飛行距離、所要時間を勘案しながら最適の病院へ搬送する。

 2005年夏からはパイロット単独の計器飛行もおこなうようになった。計器飛行の割合は現在6〜8%。これによって、出動頻度が増したのみならず、安全性も高まった。混雑した町の中ではカテゴリーAの離着陸を行なう。夜間飛行にはNVG(夜間暗視ゴーグル)を使用する。

 出動件数は2機合わせて年間およそ1,400回。うち50%は病院間搬送で、平均飛行距離93.1km。23%は現場救急で、現場からトラウマ・センターまでの患者搬送距離は平均58.65km。また夜間出動は全体の35%というのが、最近の実積である。

ヘリコプター救急費と他の治療費

 こうしたメイン州のヘリコプター救急が始まったのは1998年。わずか10年前だから、アメリカの中では比較的遅い。その当時メイン州では自動車事故による死亡の危険性が、都市部より田舎で6割も高かった。急病の場合も同様である。むろん田舎には高度救命センターがないためで、異常分娩や未熟児に対応できる小児救急病院もなく、心臓マヒにも対応できない。救命センターが少ない理由は、当然のことながら、財政的な問題と医師の不足である。なんだか今の日本の話を聞いているような気がする。

 もっと身につまされるのは、ヘリコプター救急は金がかかり過ぎるという議論のあること。いうまでもなく日本でも、多くの自治体で同様の議論があり、ドクターヘリの普及をさまたげているが、メイン州でも北半分は医療過疎のまま取り残されている。

 「しかし」とジャッジ氏はいう。「火事にそなえて消防車を配備することについては、誰も高いとか贅沢とかいわない。けれども病院に救急ヘリコプターを配備するのは贅沢だという」。とはいえ「ヘリコプターで救護された患者さんから見れば、決して高すぎるとは思わないだろう。死ぬか生きるかの境目にある人が、ヘリコプターで救急すると聞いて金がかかるからやめてくれというだろうか」

 では実際にヘリコプター救急にはどのくらいの費用がかかるのか。メイン州の場合、救急現場に飛ぶと1人あたり9,700ドル(約110万円)である。ただし、大きな事故などで、けが人が同時に5人も出たようなときは1人あたり2,500ドル(約28万円)まで下がる。無論これらの費用はほとんどの場合、医療保険で支払われる。なお、隣のマサチュセッツ州では平均2,454ドル(約27万円)であり、イギリスやノルウェーでは1〜3万ドル(約110〜330万円)である。

 こうしたヘリコプター救急費は高いか安いか。他の緊急治療費と比べてみると、たとえば未熟児(体重1,000g未満)の治療費は18,000ドル(約200万円)、冠動脈バイパス移植23,000ドル(約250万円)、急性心筋梗塞32,678ドル(約360万円)などとなっていて、ヘリコプターだけが飛び抜けて高いわけではない。

軽視できない移動の問題

 上述のような医療技術は近年、急速に進歩した。昔なら諦めるほかなかった病気が、最近は立派に治るようになった。しかし、いざというとき、そうした医療の恩恵をこうむるには、患者と医師が出会う必要がある。患者が病院へゆくか、医師が患者のところへ駆けつけなければならない。

 つまり、医療における移動の問題は決して軽視することはできない。移動は、医療全体からみれば小さいことのように見える。けれども、とりわけ救急医療においては時間的な制約が大きいだけに、重要な要素となる。

 人が心臓マヒや脳溢血で倒れたとき、如何にして短時間のうちに医師と出会うことができるか。この時間が生死を分ける。最近は、こうした急病による救急電話が増え続けている。それに対応する救急車やヘリコプターの出動件数も増えている。

 しかるに現実は、田舎の医療施設が減り、病院の救急部が減りつづけている。こうしたアンバランスな現象は、近年の燃料費、人件費、医療費などの高騰と相まって社会の安全ネットをますますほころびさせることになる。勿論これはアメリカの話だが、まるで日本のことのように聞こえるではないか。

 最近のGAO報告書によれば「救急搬送費のほとんどは即応態勢を維持するためのもので、救急出動要請に即座に応じるために人員や機材を待機させておくための費用――すなわち固定費」であるという。ちなみにGAO(US Government Accountability Office)とは、アメリカ議会の調査機関で、日本語では「政府説明責任局」ということになろう。

 たしかに高度の資格と技能をもった医師、看護師、救急救命士、パイロット、整備士、その他のスタッフと高価なヘリコプターや飛行機を、いつでも飛び立てるようにして待機させておくには相当な費用がかかる。しかも普段は何もしていないから、無駄な費用にも見える。そこから人びとの誤解が生じる。たとえば全体の費用を出動回数で割ったりすると、1件あたりの費用が無闇に高くなってしまう。

 しかし問題は時間と品質である。救急患者のもとへ如何に早く到達し、如何に高度の治療をほどこすか。救急ヘリコプターの配備の費用は、そうした時間と品質を買うためのものであって、費用がかかり過ぎるなどと云ってヘリコプターの配備を見送るようなことがあれば、その地域の人びとは死なずにすんだはずの急病や事故でも、無駄に死んでゆくことになるのだ。

必要最小限のセイフティ・ネット

 世界中の誰にとっても救急医療は不可欠の制度である。必要最小限のセイフティ・ネットである。このネットがきちんと張ってあるかどうか、つまり救急医療体制がうまく機能しているかどうかは近年、世界中で問題とされるようになった。近代的な救急医療体制が整っていないような国は、もはや一人前の国家とはみなされなくなったのである。

 1998年、南アフリカのケープタウンで開かれた救急システム世界会議には、40ヵ国の代表が集まった。会議の最終結論は「生命および健康の危機に際して救護を受ける権利は人としての基本的人権である」という声明を採択して終了した。その結論に至るまで、会議に参加した人びとの思いは「効果的な救急医療体制は、社会を成立させている重要な柱のひとつ」ということだった。

 というのも、救急医療によって社会復帰をする人が増えるならば、それだけ経済活動も活発になり、社会に貢献すると考えられるからである。

 救急医療の形態や費用負担の方法は国や地域によって異なる。しかし、どこの国でも国民の期待をになったものである。このシステムが不充分では、人びとは安心して暮らしてゆけない。とりわけ社会構造が複雑になるにつれて、昔ながらの自然災害や大規模火災に加えて、交通事故、鉄道事故、航空事故、原発事故、化学爆発、そしてテロ事件が頻発するようになった。われわれはいつ何どきそうした災難に襲われないとも限らない。そんなとき瞬時にして対応できるような仕組みが準備されていなければ近代国家とはいえないであろう。救急医療体制の整備は決して贅沢ではなく、国家としての必須条件なのである。

 そうした即応態勢を整えておくには費用がかかる。しかるに現状は、財源が不足したままで放置され、安全ネットのゆるみやほころびが大きくなっている。救急費用がかかりすぎるとして、これを減らそうとする動きすら見られる。

 そこでジャッジ氏は、昔のオウム狂ではないけれどとは云わなかったが、「お題目だけをとなえていても、人は助からない」として、次のようなゲーテの言葉を引用しながら講演を締めくくった。「知識があっても活用しなければ何にもならない。意欲があっても行動しなければ何にもならない」

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』、2008年2月号掲載) 

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