<本の紹介>

遙かなり日本海軍

「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」とは山本五十六の有名な教訓だが、同じような海軍士官心得が『日本海軍、錨揚ゲ!』(阿川弘之・半藤利一、PHP研究所、2003年8月6日刊)に出てくる。

「三ぼれ主義」――仕事にほれろ、任地にほれろ、奥さんにほれろ
「ダラリ追放」――ムダ、ムラ、ムリ
「オイアクマ」――おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、まけるな
「3S」――SMART,STEADY,SILENT

「次室士官心得」
 功は部下に譲り、部下の過ちは自ら負う。
 自分ができないからといって、部下に強制しないのはよくない。
 部下の機嫌をとるがごときは絶対禁物。

「カームに衝突、月夜に座礁」

 なんだか教訓めいた言葉ばかり拾ってしまったが、この本の面白いのは教訓ではない。まことにさわやかで、颯爽たる軍艦に乗って広い海の上を走るような爽快感を、味わうことができる。

 一つだけ具体例を挙げると、アメリカ海軍のニミッツ提督は東郷元帥に対して大変な尊敬の念を抱いていた。日露戦争が終わった年に少尉候補生の一人として日本にきたとき、歓迎パーテイの席でみずから願い出て東郷さんと話をしたことがあり、太平洋戦争に日本が負けたからといって、東郷への畏敬の念は少しも変わらなかった。

 したがって日本と戦いながら、日本海軍のこともよく分かっていた。戦後まもなくニミッツ提督は、日本が降伏文書へ署名するにあたり、アメリカの代表署名者として「ミズーリ」号で東京湾へ入ってきた。そのとき、日本側の連絡官2人に「海軍に関する限り、こんどの戦争はファイン・ウォーだった」と言った。

「全滅した日本海軍への最高の手向けですよ」と阿川弘之が語っている。 

 阿川が海軍予備学生の試験を受けたとき、「なぜ海軍を志願したか」と聞かれた。思わず「はい、陸軍が嫌いだからであります」と答え、その瞬間自分でヒヤッとしたという。しかし試験官の方は3人ともニヤッとした。「それで通ったわけでもないだろうけど」という話が出てくる。

 海軍は「スマートで目先がきいて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」というように、スマートさが売り物で、地べたを這い回る陸軍を軽蔑し、かつ嫌った。

 余談ながら、私の父の兄弟も、父を除いて全員が軍人だった。3人が陸士、1人が海兵だが、子ども心に見ていて、やはり海軍の伯父が一番スマートだったような気がする。巡洋艦「鳥海」に乗っていて、別府湾に入ってきたというので、家中で見に行ったことがある。まだ学校に上がる前だったが、甲板を歩いていたら頭の上にゲタばきの飛行機がとまっていた。

 その後しばらくして戦争がはじまり、鳥海は南方へ出撃して、あえなく沈められた。伯父は、泳いでいるところを駆逐艦に助けられたらしい。その話をしている大人たちの顔つきが普段と少しも変わらないので、それがどんなに大変なことか、恐ろしいことか思い及ばなかった。もっとも伯父貴自身も、まさか恐ろしいと思うはずはなかったであろう。

 海軍のしゃれっ気を示すのは、本書の中に出てくる海軍大学の有名な試験問題ではないだろうか。「ここに菓子が6個あって、サルが5匹いる。この菓子に手をふれずに5匹のサルに平等に分けるにはどうしたらいいか」

 答えは「むつかしごザル」という駄じゃれだが、本当か嘘か、頭脳の柔軟性をためす問題だそうである。もうひとつ頭の柔らかさと良さを同時に見る数学の問題が話の中に出てくる。「3を3回使って0から10までの数をつくれ。あらゆる記号を使ってよい」

 たとえば9は、3+3+3=9とすればよい。その他の数字については、皆さん自分で考えてみてください。答えを知りたい人は、この本を買わねばなりませんが、定価1,400円の価値はあります。

(西川 渉、2003.10.4)

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