<仮説の検証>

ジャーナリストのあり方

 

 『仮説の検証』という本を読んだ。まことに魅力的な題名である。著者は元NHKディレクターだが、著者自身この肩書きを避けて「科学ジャーナリスト」という言葉を使っている。

 本の内容は著者が疑問を感ずる問題について、その原因はこうではないか、解決策はこうすればどうか、将来はこちらの方へ進むだろうかといった仮説を考え、その是非や可否について取材を重ね、ドキュメンタリー番組をつくりながら検証してゆくというもの。

 具体的には、著者みずから手がけた4つのドキュメンタリー番組を素材として、放送番組のあり方、問題のとらえ方、取材の仕方、番組制作のためのチームワークや人的ネットワークの重要性、そしてジャーナリストとは如何にあるべきかを論じている。素材となった番組は、むろん著者が発想し、構想し、取材し、制作したものだが、1時間ほどの番組をつくるのに1〜2年もかけて、雪山に入り、実験を繰り返し、世界中を走り回り、何十、何百の人を訪ね歩いてインタビューをするなど、大変な時間と労力と費用のかかることが察せられる。

 その中のひとつ「核の冬」を扱ったNHK特集は1984年に放送されたもので、かすかながら、私も見たような憶えがある。世界核戦争が起った後、地球は死の灰でおおわれ、太陽が陰って気温が下がる。一方で放射能のために人や動物が死に絶えるばかりでなく、植物も絶滅して、生き残るのはゴキブリ、ゾウムシ、ハエ、コケ、カビなど洞窟の生物だけになる。核シェルターなども役には立たない。

 このような事態は、核の抑止力をもって防ぐことはできない。どこかの国が核ミサイルを発射すれば相手方も必ず撃ち返すだろうから、抑止力は理論倒れに終わってしまう。核兵器はどうしても廃絶しなければならないというのが著者の見解である。しかし現実は逆に、核兵器の拡散が続いている。地球絶滅の危険性ははすます高まっているのだ。

 著者のつくったテレビ放送を見た放送ジャーナリストのばばこういち氏が「これまで故あってNHKの視聴料を払ってこなかったが、このような番組を制作するNHKのスタッフやNHKの存在を支えるべきだと痛感した。これからは無条件に視聴料を払うことをお約束したい」という批評を書いたそうである。

 余談ながら、私はばばこういち氏とは逆に、昔から視聴料を払い続けているけれども、最近のように民放に対抗するようなへらへら番組やスポーツ番組が多いのでは、払うのをやめようかとも思う。NHKは視聴率を気にする必要はないのだから、この本の著者のような重厚な番組に重点を置いて貰いたい。それでは時間がもたないというのであれば、地上波2チャンネル、BS3チャンネルなどと欲張らずにチャンネル数を減らすべきだ。

 チャンネル数が多いために、ついつい相撲の全取組みからアメリカの野球まで放送するようになってしまう。先日の殺人事件で暴露されたように今や相撲は国技ではないし、毎晩7時のニュースに松井が出てきてご託宣を聞かされるのはたまらない。あれでは総理と同じ扱いではないか。それとも松井はNHKの親戚なのかもしれない。

 さて、本書の著者は重厚な科学番組や社会番組をつくりながら、ジャーナリストのあり方について考える。著者の「ジャーナリストの3原則」によると、第1は「特権を持つ人を監視すること」――私ならば「権力のある人」といいたいが、政治家や官僚はもとより、産業界のトップ、学者、あるいは医師や教師などの専門家も含まれる。この人びとは社会を動かしてゆく力を持っている。

 その社会の動かし方に誤りがないように監視するのは勿論だが、最近は自らの権力を利用して違法、不正行為、倫理に反する行為をするものが増えてきた。これらを監視するのがジャーナリストであろう。

 第2は正確であること。事実かどうかを確かめないまま、誤報をしてはならない。そのためには必ず現場にゆき、現場を見ること。そして裏を取ること。そのうえで証拠を確かめる必要がある。

 第3は公正、中立であること。そのためには情報源と一定の距離を保つこと。ジャーナリストは権力の広報宣伝マンではない。ましてや権力の中に入りこんで、総理や党首の首をすげ替えようとしたり、政治を動かすようなことがあってはならない。この数日来の小沢騒動も、まことに恥さらしだったが、その仕掛け人が自称ジャーナリストだったというから、呆れてものが言えない。新聞記者はしばしば政治家に取り込まれるが、取り込まれたときはジャーナリストをやめるべきである。蛇足ではあるが、この馬鹿げたお家騒動で小沢と民主党の魅力はますます薄くなった。ああいう連中には政治をやってもらいたくないものである。

 さらに著者は、上の原則を踏まえて「科学ジャーナリスト」のあり方についても書いている。ここではそれを「航空ジャーナリスト」に読み替えてみよう。

 第1は正確なデータで勝負すること。口伝えの情報、不正確な数字、踏みこみの足りない論評が麗々しく活字になっていることは、航空専門紙誌でも、しばしば見かけることである。

 第2に興味や知識の範囲を航空だけのせまい範囲に限らないこと。工科や理科はもとより、政治、経済、国際、環境、社会など、あらゆる分野にわたって広い視野を持って取材することが重要。そうでない人は、ジャーナリストと称しながら実は単なる航空マニヤか戦争オタクか飛行機バカにすぎない。

 第3に航空ジャーナリストは航空専門家の通訳や紹介者ではない。専門家との間には一定の距離と緊張関係を保ち、航空というせまい範囲から見るばかりでなく、社会的な広い視野で、合理性をもって判断し、それを文章や評論にすべきであろう。

 ここに「仮説の検証」を読んだ感想を自戒をこめて記録しておく次第である。


(小出五郎、講談社、2007年9月27日刊、定価1,600円)

(西川 渉、2007.11.9)

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