<カトリーナ救助>

ヘリコプターは最良の危機管理手段


去る2月27日HAI大会での表彰晩餐会
受賞者およそ40人が舞台の前に並び
参会者は救助活動のビデオを見る

 危機管理とは改めて、まことに難しいものと思う。危機なるものがどれ一つとして同じではないからで、地震でも台風でも必ず異なった様相で襲ってくる。同じ地震でも、建物の倒壊と猛火となった阪神大震災、洪水を起こした中越地震、津波のスマトラ沖地震といった違いを見ればよく分かるであろう。

 昨年夏、米ニューオーリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」も1,300人を超える死者を出し、家を失くした被災者48万人という大きな被害を出した。その襲来は何日も前から分かっていたし、史上最大級という観測結果も出ていたから、もっと早く避難するなり、食料や日用品を備蓄するなり、堤防を強化するなり、どうして何の手も打たなかったのか。

 もちろん全ては後からの批判であって、実際に暴風雨に襲われ、堤防が決壊するまでは、一般住民はもとより、危機管理や行政の責任者ですら、いつものようにやり過ごせるだろうと考えていた。そのため何もかも後手後手にまわって混乱したあげく、ニューオーリンズ市長とルイジアナ州知事との間で意見が食い違い、危機管理庁(FEMA)の長官も何もできぬまま辞職に追い込まれてしまった。ご本人にとっては、文字通りの災難だったにちがいない。

 その一方で、多数のヒーローがこの天災から生まれた。パイロットや救助隊員などのヘリコプター関係者である。その中の1人、エアメソッド社のジョン・ホーランド機長はまだカトリーナの余波が残っているときから、自分が救急業務に当たっていたニューオーリンズ市内の病院で患者や関係者の救出を開始した。入院患者を駐車ビルの屋上へ運び出し、そこからヘリコプターにのせて別の安全な病院へ搬送するのである。

 しかし1機や2機では間に合わない。ホーランド機長は操縦をやめてヘリポートにとどまり、付近を飛んでいるヘリコプターに向かって無線で「メーデー」を呼びつづけ、患者の搬送を依頼した。この呼びかけに応じて多数の民間機や軍用機が集まってきた。ロビンソンR44小型自家用機からブラックホークやチヌークなどの大型軍用機まで、入れ替わり立ち替わり60時間にわたる救出活動が続いた。しかし彼は疲れも見せず、ヘリポートに立ちつづけ、救援に駆けつけた多数のヘリコプターをさばいて、人びとを安全に送り出した。

 このような災害が起こると、救援機が優先して飛べるよう周辺の飛行が禁止になる。むろん航空法規にもとづく措置で、日本でも阪神大震災のあと飛行禁止の是非が検討されたが、現在なお法規の制定には至っていない。取材機の飛行自粛とか代表取材といった申し合わせだけで、拘束力はない。このままでいいのかどうか、議論は残ったままである。

 ニューオーリンズでも救援機以外の飛行は禁止された。ただ1機、ヘリネット・アビエーション社の機体だけが取材を認められ、生々しい被災現場が迫力のある映像となって、CNN、ABC、NBC、CBSなどのニュースで報じられた。

 だが、ヘリネットは現場でカメラを回し、ニュース報道をするだけではなかった。機種は小型単発機だったが、機内に非常食を積んでいて、取材と同時に水の中に孤立した人びとに手わたしたのである。阪神大震災では多数の報道機が低空を飛び回り、騒音をまき散らして、がれきの下から助けを求める声をかき消して救助活動の妨げになったと非難された。

 新聞の投書欄でも「あのヘリは何しとんや。行ったり来たりするなら海から水くんででもまかんかいな。けが人のせて大阪まで運んだれや。用もないのにうろうろすな!」(朝日、1995年2月1日付)という憤慨や怨嗟の声が聞かれたほどである。報道者は目の前で火事があろうと生埋めがあろうと手を出さない原則かどうか知らぬが、ニューオーリンズのようなやり方ならば、報道機が恨まれることもなかったであろう。

 ニューオーリンズに駆けつけたヘリコプターは民間機、軍用機、公用機、社用機、商用機、消防機、警察機、救急機、そして上のような報道機までも、ハリケーンの風雨がおさまるや直ちに飛びはじめ、多数の人命救助にあたった。ほかにも消火や堤防の修復などをしている。その活動ぶりを一々ご紹介する紙幅はないが、去る2月末のヘリエクスポ――国際ヘリコプター協会(HAI)年次大会の会場で一挙に救助活動に参加した全員が表彰された。

 表彰式の会場で舞台の前に誇らしげに並んだ人はおよそ40人。そこに来れない人も大勢あっただろうから、総数はもっと遙かに多いであろう。

 カトリーナの混乱は2週間にわたってアメリカの恥をさらしたといわれる。毎秒60mを超える暴風によってなぎ倒され、洪水によって押し流されたのは家屋や樹木ばかりでなく、アメリカ政府も含まれる。アメリカ議会は、この災害について『初動の失敗』と題する報告書をまとめ「カトリーナの襲来に際してリーダーシップが欠如していた。そのために連邦政府と州政府と市当局の間で個々バラバラの決定が下され、それが初動の失敗につながった」と断じている。

 その危機管理体制は5年前の911多発テロの前と何ら変りがない。あのときの教訓がもう少し生かされていれば、カトリーナの被害はここまで広がらなくてすんだであろうというのだ。そこで、結論の一つは防災計画の中にヘリコプターを組み込むことである。実は日本の国および各地の防災計画も同様で、ヘリコプターの役割は情報収集と防災担当者の輸送しか書いてない。もっと大事なことは救助や消火のはずだが、そのために警察、消防、ドクターヘリ、そして自衛隊のヘリコプターをどのように使うか。その調整のあり方や組織化の方法すら書いてない。

 ヘリコプターは、しかし、ニューオーリンズでもすぐれた危機管理の方策、人命救助の手段であることを実証した。その機能をもっと生かす方策を、日本でも考えておくべきであろう。


舞台の前にずらりと並んだ救援者たち
彼らはあの日、どれだけ多くの人びとから感謝されたことだろうか

(西川 渉、『日本航空新聞』2006年6月1日付掲載)

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