ジョン F.ケネディJr.が7月16日に墜落事故を起こしてから3週間余りになった。事故の原因もそろそろ見えてくる頃である。
機体の残骸は、全体の75%が深さ35mの海底から引き揚げられ、詳細な調査を受けたが機械的な故障や不具合の痕跡は見つかっていない。空中分解、火災、エンジン・トラブルなどの跡もなく、米運輸安全委員会(NTSB)の推測では、おそらく航空機そのものは正常に作動していて海に突っ込んだものと見られている。
引き揚げられた残骸は、左主翼の約80%、右主翼の60%、エンジンおよびプロペラ、計器パネルなどが主なものである。このうちエンジン、プロペラ、計器類などはそれぞれ製造メーカーに送り返され、精密検査を受けた。しかし、いずれも故障の様子はなかったという。とりわけプロペラの損傷は回転しながら水面に当たったもので、墜落時にはまだ回転していたことが明らかになった。
NTSBの調査では、ケネディJr.は離陸の前にインターネットで気象情報を入手したらしい。出発地のニュージャージー州フェアフィールドからビンヤード島までの気象は午後6時30分現在良好で、視程は6〜8マイル。有視界飛行が可能であった。またヘイズ(もや)の発生など、特別な注意報は出ていなかった。
このときケネディJr.はいとこの結婚式のためにケープコッドに行くつもりだった。そのため妻のキャロリンと、その姉のローレンが同乗していたが、ローレンは途中のビンヤード空港で降りる予定だった。
そのため、彼の操縦するパイパー・サラトガは、ビンヤード島に近づくと高度を下げていった。ところが下層にはもやが立ちこめていたのである。もやの原因は大気汚染であった。
もやは巡航高度にはなかった。ところが高度を下げるにつれてひどくなり、水平方向がよく見えなくなった。しかし下方を見ると灯りが見える。これならば大丈夫と思ってさらに高度を下げたのであろう。そして最も濃いもやの中に飛びこんで完全な盲目状態となり、方向感覚を失って墜落したに違いない。
このときのケネディJr.の飛行経験は、当初200時間程度と報じられたが、実際は300時間を超えていたもよう。といっても、大した違いがあるわけではなく、気象条件に対する判断力が未熟なまま、却って操縦に対する自信と度胸がついてくる頃であった。
アメリカの最近の新聞をいくつか総合すると、以上のようなことが読み取れる。最終的な事故調査の結論が出るのは、今から6〜9か月後だそうである。
ケネディ・ジュニアの飛行機事故については、このへんで書くのをやめようと思うが、最後に蛇足をつけ加えておきたい。
それは、この事故について、アメリカのマスコミとそれに煽られた米国民は騒ぎ過ぎ、クリントン大統領は思い入れが過ぎて、捜索と葬儀に空軍や海軍まで動員したのは税金の使い過ぎではないかという反省が今になって出てきたことである。
それに対し、クリントンは子供の時に故ケネディ大統領と握手をした感激を胸に秘めて、ケネディ一族はアメリカ精神を体現した偉大なるファミリーであると強弁した。
また捜索のやり過ぎという非難に対して、沿岸警備隊はサラトガ機の捜索に50万ドル以上がかかったらしい。けれども、その程度は普通のことで、ついこの間もハワイ沖で遭難した3人乗りの漁船を探すのにそれ以上の経費がかかったとか、カリブ海でも無名の行方不明者を捜すのに何十万ドルも要したと弁解している。何も有名人だから特別な捜索をしたわけではないというのであろう。この種の事故は確かに金のかかるもので、航空機はたいてい捜索保険を掛けているものだが、ケネディ機はそれを掛けていたのだろうか。
そして米国民やアメリカの新聞・テレビの騒ぎ過ぎという非難に対しては、本頁も小さくならざるを得ない。何しろ半月の間に「ケネディ家の悲劇」と題する短文を5篇も書いてしまったのだから、嗤われても仕方があるまい。
しかし、この事故は飛行の途中で天候が悪化すると何が起こるか、これまでも繰り返されてきた過ちの典型を示すものであろう。そして、今もジェネラル・アビエーションの世界に残る落とし穴に気づく恰好の教材であることは間違いない。しかも、この落とし穴は、今日の技術をもってすれば埋めることもできるはず。
いつまでも放置しておくから事故が絶えないのだが、ではどうすればいいのか。この際ぜひとも考えていただきたいと思う。
(西川渉、99.8.11)