<スペース・シャトル>

危険の確率

 一昨26日に打ち上げられたスペース・シャトル「ディスカバリー」は、当然のごとく軌道に乗った。しかし同じ日のニューヨーク・タイムズ紙(2005年7月26日付)は、この宇宙船が地球へ戻るまでの12日間に破滅的な事故を起こす確率は100分の1と報じていた。なんとまあ恐ろしい確率ではないかと思う。

 しかし、この危険度はそんなに恐ろしいものではないというのがNASAの説明である。「われわれはスペース・シャトルの機能や限界については充分に理解している。統計的な確率と実際に何が起こるかは別問題である」と。

 しかし現実には、もとよりご承知のとおり、スペース・シャトルは2度の事故を起こしている。ひとつは1986年1月28日朝、打ち上げ直後の「チャレンジャー」が爆発し、乗っていた宇宙飛行士7人が死んだ。もうひとつは2003年2月1日「コロンビア」が地球に再突入の際、空中分解して同じく7人が死亡した。

 そこで、スペース・シャトルの打ち上げは「これまで113回おこなわれた」とニューヨーク・タイムズの記者は書く。「したがって実際の事故率はNASAの計算よりもっと高く、113回で2回――57分の1ではないか」と。

 スペース・シャトルの危険度は、過去の打ち上げ実績やシミュレーション、それに学識経験者の判断もまじえながら、何百万個という部品がそれぞれ最後まで正常に作動するか、途中で故障するかを考慮しながら、膨大な計算によって出すのだそうである。

 そんな計算の結果、チャレンジャーの事故が起こるまでは、危険の確率は10万分の1とされていた。当時のNASAは、まことに気楽なもので、チャレンジャーの事故調査に参加したノーベル物理学賞のリチャード・ファインマン教授も、報告書の中で「NASAは自分たちの製品の信頼性を、幻想の領域にまで拡大していた」と書いている。

 これで反省の色を示したNASAは1988年9月、スペース・シャトルの打ち上げ再開にあたって、一挙に危険度を上げ、事故の確率を50分の1と設定した。しかし、その後、技術の進歩があったというので、この確率は145分の1、161分の1と下げられ、1998年には254分の1にまでなった。

 だが、この妄想は再び、コロンビアの事故によって打ち砕かれ、概算100分の1に上げられた。

 スペース・シャトルの最も危険な状態は、打ち上げ直後エンジンが全力をふりしぼって上昇しているとき、そして大気圏に再突入するとき、最後に人間が操縦して滑空しながら着陸するときだそうである。

 このあたりの危険要素は普通の飛行機にも似ている。いわゆる「魔の11分」で、ジェット旅客機の場合、事故の7割以上が離陸直後の3分間と着陸までの8分間に集中する。とはいえ、その危険度は無論スペース・シャトルよりもはるかに小さく、飛行200万回に1回くらいの割合で死亡事故が起こると推定されている。もっとも、これはアメリカのエアラインだけの事故率ではないかと思われる。

 というのは、『航空機事故はなぜ起きる』(諸星廣夫著、2003年2月)によれば、米飛行安全財団(FSF)の集計結果として、1987〜96年の世界平均はジェット旅客機の場合、100万回に1.5回であった。ただし中南米は5.7回、アフリカは13回となっている。

 念のために『墜ちない飛行機』(杉浦一機著、2004年5月)を見ると、これはグラフでしか示してないが、1980年代の全損事故が100万便に2回弱、90年代は1.5回程度、2000年代に入って1回くらいまで下がっている。

 それでもスペース・シャトルよりはるかに低い危険度で、そうでなくては一般の旅客が利用するはずがない。

 言い換えればスペース・シャトルの方が1万倍も危険ということになる。この安全性を高めることができないのは、予算不足によるという人もいるが、NASAの猪突猛進的な体質を見ると、予算を増やしたからといって安全性が高まるとも思えない。

 今回のディスカバリー打ち上げも、ブッシュ大統領の思いつきにも似た火星探検に間に合わないというので、安全度を緩和して無理矢理に突き進んだ。そのためか耐熱タイルや小さな部品がはがれ落ちるのも構わず宇宙へ飛び出して行ったが、こうした宇宙計画までブッシュ的な、粗野でがさつなやり方をしていいのだろうか。

 逆に近い将来、その安全性が10倍になったとしても、危険の確率は1,000分の1程度だから、通勤のために毎日1往復、2回ずつ電車や車に乗るとすれば、2年で最悪の死亡事故に遭遇することになる。仮に100倍になっても20年目には大事故に遭うから、サラリーマンは定年までもたない。

 いや、通勤電車では死にたくないが、宇宙に行くとなれば危険は覚悟の上という人もいるだろう。それがNASAの体質にほかならない。

 ディスカバリーが無事戻ってくることを願うばかりである。

(西川 渉、2005.7.28)

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