<帰国報告>

アメリカ調査と取材の旅


米メリーランド州警察のドーファンU

 

 1月30日早朝から米国へ出かけ、昨晩戻ってきました。そのため本頁も2週間近く更新できないままでした。原則毎日の更新が、いつまで経っても変わらないため、作者が体調でも崩したのではないかと心配のメールをくださった方もありました。まことに有難いことと感謝しております。

 もうひとつ有難いことに、この旅行中どこかの時点で、本頁のヒット数が100万回に達しました。皆さま方の暖かいご支援に深く感謝申し上げます。ついでに言いますと、1月はエアバスA380のロールアウトなどを繰り返し取り上げたせいか、1日のヒット数が3,000回を超える日が3日間も続き、元旦から29日までのヒット数は1日平均1,602件となりました。

 重ねて御礼申し上げます。

 さて、今回の10日余りの旅の収穫は、追い追いに本頁でご報告する予定ですが、ワシントンでは到着の当日(日曜日)、ダレス空港に新設されたスミソニアン航空博物館を見学しました。引退したコンコルド、超音速偵察機SR-71、JSF原型機などの実機が展示されていました。ヘリコプターは、初めての米大統領専用ヘリコプター、ベル47Jの大統領機そのものが置いてありました。


アイゼンハワーが初めて採用した大統領専用ヘリコプター、ベル47J

 月曜日以降は、全米航空医療協会(AAMS)を訪ね、アメリカのヘリコプター救急の現状その他について話を聞きました。次いでアーリントン墓地の30センチほどの積雪の中を探し回って、初めてヘリコプター救急システムをつくり上げたR.アダムス・カウリー博士の墓所にお参りし、翌日ボルティモアでメリーランド州警察航空隊、州立大学附属病院ショックトラウマ・センター、ならびに州内8カ所の警察機の運航を集中管理している運航管理センターなど、カウリー博士のつくったシステムとその施設を見学しました。

 翌日フィラデルフィアでボーイング・ヘリコプター工場を見学、そこからロサンゼルスへ飛んでロビンソン・ヘリコプター工場を見学しました。ボーイング社ではチヌークの新たな製造がおこなわれることになっており、V-22オスプレイもここでは胴体だけの製造ですが、原型機を含めてすでに72機に達しておりました。

 ロビンソン社は、昨年も690機という世界最多のヘリコプターを生産しましたが、意外に大きな工場では1,100人を超える人びとが活発に仕事をしておりました。


ボーイング社のフィラデルフィア工場で製造組立て中の
ティルトローター機V-22オスプレイの胴体

 2月6〜8日の3日間はロサンゼルス南郊のアナハイムで開催された国際ヘリコプター協会(HAI)の年次大会に参加しました。メーカー各社から新しい計画が次々と発表されました。

 目下、時差ボケの頭を振り絞って整理中ですので、本頁での報告をお待ちいただくようお願いいたします。


HAI大会が開催されたアナハイム・コンベンション・センター

(西川 渉、2005.2.11)

 

(表紙へ戻る)