<近況報告>

新年おめでとうございます

 今年も沢山の年賀状をいただきました。それぞれに近況が書いてあり、もはや賀状の交換だけになった方々でも、どのように過ごし、どのような抱負をもっておられるかを知るのは楽しみなものです。

 私の近況は本頁で日頃から報告しておりますので、改めて書く必要もありませんが、年賀状を見ているうちに、昨秋、旧勤務先のOBが集まる「航空朝日会」の機関誌に書いた拙文を思い出しました。本頁のこれまでの部分と重複しますが、敢えてここに掲載いたします。

 なお、本頁は昨年1年間に読者の皆さまから905,386件のアクセスをいただきました。365日で割ると1日あたり2,480件になります。今年は年間100万件、1日平均3,000件のヒットをめざして猪突猛進、すなわち毎日更新の原則でゆきたいと思います(関連頁「本頁開設10周年」)。今年も本頁をご愛顧のほど宜しくお願いいたします。

戦争に次ぐ危険な任務

 近況を書くようにということですが、相変わらずドクターヘリ普及のための奉仕活動をしております。そのため最近では10〜11月の2ヵ月間に6ヵ所で講演をしました。故高橋英典元朝日航洋社長ゆかりの取手では先週、地元代議士の人に依頼されて一般の人向けにヘリコプター救急が如何に効果があるか。ヘリコプターを使えば救急車にくらべて交通事故の死者が3〜4割減になるという話を、欧米諸国の実例を引きながら説明しました。同様の話は10月沖縄でもやりました。

 へき地・離島救急医療学会では、救急専門医の先生方が対象ですが、いま日本で大きな問題となっている医療過疎は、ヘリコプターを使えば相当程度解消できるという話をしました。スイスやドイツのように飛行時間15分、半径50kmくらいの間隔で、日本全国に少なくとも50機、できれば80機くらいの救急専用ヘリコプターを配備すれば、山間地や離島の救急も心配はなくなるという趣旨です。ただし、実情はまだ10機、12月からは長崎が加わることになっていますが、目標にはほど遠い状況にあります。

 日本航空医療学会では総会にあたり、ヘリコプターの安全確保について、如何なる方策を取るべきか、いくつかの提案を致しました。日本のドクターヘリは始まって6年、機数も少ないせいか、幸いにして事故はありません。しかし、これから増えてゆけば何が起こるか分かりません。

 たとえばアメリカでは、現在およそ800機の救急ヘリコプターが飛んでいますが、年間15件前後の事故が発生しております。救急機の事故は、とりもなおさず、人を助けるべき任務が逆に人の死を招くような結果になるわけで、最近は社会問題にもなり、アメリカで最も発行部数の多い新聞「USAトゥデイ」が「急増する事故にあえぐ救急ヘリコプター」という特集を組んだり、「ヘリコプター救急は有難迷惑」などという逆説がスミソニアン航空宇宙博物館の機関誌に掲載されるほどです。

 救急飛行はご承知のとおり、長時間の待機をしたあげく、不意の出動指令で数分以内に医師やナースを載せて離陸しなければなりません。救急現場では未知の不整地に着陸しますから、さまざまな危険が待ちかまえています。業務そのものが一刻を争うので、パイロットを初めとする関係者には激しいストレスがかかります。特にアメリカでは夜間飛行が全体の3分の1を占めているので危険度も大きく、ヘリコプター救急は戦争に次いで危険な任務とも言われています。戦争との違いは敵弾が飛んでこないだけです。

 日本の慎重かつ優秀なヘリコプター人が、そうそう事故を起すとは思えませんが、今から心しておく必要があります。

上海の救急用ヘリポート

 この1年間は、外国にも何度か出かけました。1年前の2005年12月には中国へゆき、北京と上海を訪ねました。北京オリンピック(2008年)と上海万博(2010年)を控えて、民間ヘリコプターの活用をはかりたいという考えは、中国側にも外国側にもあるわけですが、それには如何すればいいか。その問題を討議するために、アメリカ、イタリア、日本から国際ヘリコプター協会(HAI)の旗の下に国際派遣団を組んで出かけていったわけです。

 北京では日本の運輸省や航空局に相当する役所の幹部や政治家などと話し合い、上海でも似たような人びとを中心にシンポジウムを開きました。私もヘリコプターの用法について話をしましたが、中国人がどこまで本気になって民間ヘリコプターを飛ばすつもりがあるのか。共産党と軍隊だけが特権をもって、わがもの顔に闊歩する実態には余り良い印象は持てませんでした。

 ただし上海では、余り愉快でなかった公式行事のあと、滞在を1日延ばして大石勝彦さんの会社にお世話になりました。宿舎に1泊させていただくと共に、私にとって初めての上海市内のご案内をいただきました。このとき華山大学病院を訪ねました。ここは1910年アメリカの指導で創設された由緒ある病院です。2004年のF1自動車レースの緊急事態に備えるための屋上ヘリポートを見せて貰いました。

 地上12階の高いところにある大変立派な救急用ヘリポートで、夜間照明設備はもとより、患者搬送用のエレベーターは離着陸の邪魔にならぬようにせり上がり式になっていました。けれども残念ながら、おそらくはテスト飛行の1回だけヘリコプターが降りたものの、あとは全く使われていません。なにしろ軍用機を除いては、空域の全てが飛行禁止ですから、いつ何処に飛ぶか分からぬような救急飛行など、とても許可にならないという説明でした。

 中国は近年の好況で自動車が急増し、町の中では人や自転車やバイクと共に、信号が赤だろうと青だろうと混然として走り回っています。私も上海市内で横断歩道を渡ろうとして、青信号で踏み出したところへ横から大きなバスが突っ込んできました。あわてて後ろへ跳び下がった次第です。

 こうした状態を、故宮田豊昭さんは「東洋の混沌」と評しましたが、そのため交通事故死は毎年10万人を超え、今後も車の増加と共に死者も増えるものと見られます。広大な国土と多大な人口を考え合わせるならば、救急体制はヘリコプター抜きには考えられないはずです。もっとも日本の現状を思えば、中国の心配などしていられませんが。

トリノ・オリンピックを見る

 2006年にはヨーロッパへ2回、アメリカへ2回出かけました。いずれもヘリコプター救急に関係のある用件ばかりです。2月のイタリア行はアグスタ・ヘリコプター社の招きで、ミラノで開催された救急ヘリコプター会議に出席しました。欧米10ヵ国余の人びとが参集しましたが、折からトリノ冬季オリンピックにあたり、その開会式を見ることができました。

 もっとも、巨大なスタジアムの高いところに坐って会場を見下ろしても、誰が何をしているのかさっぱり分かりません。解説もイタリア語と英語でがなり立てるので、夜の7時頃から深夜まで騒がしいのと寒いのにすっかり閉口しました。オノ・ヨーコが平和の宣言をしたり、ソフィア・ローレンが五輪旗をかざして入場してきたなどということは、翌朝のテレビを見て分かった次第です。

無駄な死を防ぐ

 世界のヘリコプター救急は1980年代以降、急速に普及してきました。しかし、それに乗り遅れた日本は、たとえば1970年に16,765人の最高を記録した交通事故の死者が、2002年になってようやく8,326人へ半減しました。この間354,069人が死亡しましたが、もしもヘリコプターがドイツと同じように本格的に救急業務に使われていれば、私の計算では推定約85,600人――つまり4人に1人が死なずにすんだはずです。

 これが所謂プリベンタブル・デス(Preventable Death)で、「避けられた死」とか「防ぎ得た死」と訳します。けれども、そんな英語に騙されてはいけません。本来の日本語は「無駄死に」とか「犬死」といいます。こうした莫迦ばかしい悲劇をなくすのが、われわれ航空朝日会の誰もが生涯かけて飛ばしてきたヘリコプターにほかなりません。

 その存在意義はますます大きくなってきました。後生の諸君にはさらに頑張ってもらいましょう。

(西川 渉、2007年元旦)

 

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