神戸空港はなぜ必要か

 

 

 先日の「朝日新聞」(2月9日付)に「同じ地域に空港は三つも必要ないと思う。なぜ必要なのか分かりますか」という扇千景国土交通相の8日の発言が掲載されていた。大阪(伊丹)、関西、神戸の3空港体制に疑問を呈したというのである。

 私は、この疑問に半分賛成、半分はおかしいと思う。賛成というのは、神戸空港の本音(ほんね)の目的が土木需要造成のためだとしたら、それはやめるべきであろう。しかし、航空そのものが目的ならば中止の必要はないというのがあとの半分である。

 というのは伊丹空港も関西空港もリージョナル航空、ビジネス航空、あるいはヘリコプターや軽飛行機の乗り入れが制限されているからである。その点は成田も羽田も同様で、この4空港は日本の政治と経済の中枢に近い立地条件を有しながら、滑走路が足りなかったり、夜間の発着ができなかったり、発着便数の処理能力が限界に近かったり、長距離定期便のみを対象としていたり、アクセスが不便だったり、そろいもそろって欠陥空港ばかりである。

 とすれば、それを補うものとして神戸空港をつくったり、首都圏第3空港が必要になるのは当然のことである。むしろ、いまだに首都圏第3空港が具体化しないことの方がおかしいくらいである。この「第3空港」という言葉を聞くようになってから何十年たつだろうか。歴代運輸大臣は何をしていたのか。それを補佐する航空局の幹部連中も何を考えていたのか。日本経済が不況におちいった原因は、欠陥空港しかないために国外からのトップビジネスマンが東京や大阪へ飛来しにくい状態にあるのもその一つではないかと思われる。

 神戸空港ができれば、そこではリージョナル航空機はもとより、ビジネスジェットやヘリコプターも発着可能となり、近畿西部の人びとにとってもきわめて便利な空港となるであろう。

 空港は旅行の目的地ではない。目的地へゆくための結節点にすぎない。さまざまな交通機関へ乗換えるためのつなぎ目なのである。空港そのものが如何に立派にできても、ターミナルビルがちょっとばかり美麗であっても、そこから先へ行く手段が不便であれば、そんな空港は行き止まりの路地みたいなもので、ハブ空港になどなれるわけがない。

 乗客にとって真の空港とは、当然のことながら、乗り換え可能な交通機関が多く、速くて便利な機能をもつものでなければならない。乗り換えの対象は自動車や鉄道ばかりではない。ビジネス機も軽飛行機もヘリコプターもあり得る。

 欧米の大空港でビジネス機やヘリコプターが自在に発着しているもようは扇大臣だってしばしば目にしていることであろう。それらは単に遊び半分、面白半分に飛んでいるわけではないのである。

 

 数年前のこと、運輸省のある幹部に日本の中枢空港は欠陥空港ばかりだと言ったら、そんな意見は現実的ではないという返答だった。なるほど日本の空港政策は現実にとらわれ、現実に引きずられた挙げ句、法律にまで欠陥空港ならぬ「混雑飛行場」(航空法第107条の3)などという規定を盛りこむことになってしまった。その結果、せっかくの規制緩和政策も建前だけに終わって、なかなか実効が上がってこない。

 航空政策の転換によって自由闊達な航空事業が展開されるのかと思っていたら、現実は逆で、新規参入企業は中枢空港への乗り入れがほとんどできず、便数や路線の増加もむずかしい。しかも一方では、大手2社が合併によって競争回避をもくろむ事態になってきた。そもそも規制緩和とは、2年ほど前にわざわざ「航空法」第1条(目的)につけ加えられたように「利用者の利便の増進を図ることにより、航空の発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする」ことではなかったのか。

 航空における規制緩和、自由競争、構造改革などは航空法の改正という必要条件に併せて、空港機能の充足という十分条件がととのわなければ実現はむずかしい。

 以上が扇大臣の「なぜ必要なのか分かりますか」という質問に対する、私の答えである。

(西川渉、2002.2.11)


(神戸沖の海上につくられる空港の完成予想図)

 

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