<朝日新聞>

原発の安全は人的要素の問題

原発の安全と航空の安全

 現代の航空機は技術的な進歩の結果、高い性能を有すると同時に故障が少なく、飛行中にエンジンが停止するといった事態もほとんど見られなくなった。けれども、航空事故がなくなったわけではない。不安全な航空会社や国では、依然として悲惨な事故が起こっている。そのため最近の事故は大半がパイロット・エラーといったあいまいな原因をもって結論づけられる。

 しかし、このエラーは独りパイロットだけの問題ではない。航空機を安全に飛ばすには、パイロットを初めとする個々人の安全意識、航空会社の安全管理、航空行政の安全施策を総合した「安全の文化」といったものが確立していなければならない。

 原発の安全も同様である。その再稼働を求めて、電力会社や政府が原子炉の安全性を強調している。だが装置や施設の安全性がいかに高まろうと、関係者個々人の安全意識、電力会社の安全管理、原子力行政の安全施策が、福島原発事故で見られたように、低劣なままでは事故は避けられない。すなわち原発の安全は装置の安全性ばかりでなく、それを動かす人間や組織の「安全の文化」が醸成され、行き渡っていなければ確保できない。問題は人間的な要素であって、そのことを、われわれ航空人はヒューマン・ファクター(人的要素)と呼んでいる。

 上の拙文を朝日新聞社「声」編集部に送ったところ、先方から電話があり、二重投稿やなりすまし投稿ではないこと、私が本人であることなどを確認したうえ、用字用語を新聞社の規則に合わせ、さらに紙面の関係から行数を減らすために字数を削ったり、言葉を変更したりすることの了承を求められた。

 その書き換えた結果がメールで送られてきて、さらに2〜3度メールと電話のやりとりがあり、その間に「安全文化」ではなくて「安全の文化」にして貰いたいという中で、英語ではセイフティ・カルチャーなどと云ったところ「あ、それを使いましょう」ということになって、最終的に5月23日の朝刊に掲載されたのが下の紙面である。

 なお、肩書きは「無職」が本当だと思うが、航空の話が基本になっているので「航空ジャーナリスト」としておいた。ところが、これでは1行増えるので「航空評論家」でもいいかといわれて、なんだか古くさい表現だし、評論家というほど一家を成しているわけでもないと思ったが、最後に承諾した。


『朝日新聞』2012年5月23日付朝刊

 新聞の投書欄に拙文が掲載されたのは、高校生の頃だったか、1〜2度経験したことがある。内容はすっかり忘れてしまったが、ひとつは動物園のあり方に注文をつけた作文ではなかったろうか。もはや60年ほど前のことで、文章も何も残っていない。

 もっとも、あの頃は便せんに手書きで書いたものをポストに放りこむだけで、今回のように本人確認などすることなく、忘れた頃新聞に載るといった呑気な時代だった。

(西川 渉、2012.5.24)


原発の人的要素を無視すると……

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