<小言航兵衛>

仁術から算術へ

 官僚たちが年金横領などで知能犯罪に精を出す一方、やるべきことを少しもやらずに放置しておいた結果が、昨年8月と今年8月に連続して起った奈良県の周産期医療にかかわる、いたましい死亡事件であった。

 航兵衛も人なみに4人の孫がある。まだ幼児(おさなご)ばかりだが、その中の3番目は昨年7月、予定より2ヵ月ほど早く生まれた。母親のおなかが急に痛くなり、世田谷の比較的恵まれた(?)地域に住んでいるにもかかわらず、緊急治療に応じてくれる病院はなかなか見つからなかった。近所のかかりつけの医師が懸命に電話をしてくれて、5番目に申し入れた都心部の大きな病院で、やっと受け入れの承諾が得られた。その病院まで父親が自分の車で連れてゆき、入院の結果は1,600グラムの未熟児が誕生した。

 保育器の中でうごめいている赤ん坊に初めて逢ったときは、サルの赤ん坊そっくりで、目玉ばかり大きく、手足は割り箸のように細くて、これからどうなるかと心配した。しかし幸い、1年余を経て立派に育ってきたが、あの5番目の病院が満床だったり医師の手が足りなかったりしたら、どうなったであろうか。そんな心配が現実になったのが、奈良の2つの死亡事件である。

 ひとつは昨年8月、奈良県大淀町立病院で出産時に意識不明となった妊婦が合わせて19ヵ所の病院から受け入れを拒否された。いずれも「ベッドが満床」「医師がいない」といった理由だが、深夜の発症からようやく明け方4時半頃になって大阪の国立循環器病センターに入院することになった。そこで患者は約1時間かけて救急車で運ばれ、同センターに午前6時ごろ到着、直ちに緊急手術が行なわれたが、8日後に死亡した。

 それから1年後の2007年8月、全く同じような事件が同じ奈良県で起った。これも深夜2時40分頃、ある妊婦が橿原市内で買い物中、腹痛と出血を生じ、救急車を呼んだ。しかし救急車はどこへ走ればいいのか、受け入れ病院が見つからず、そのまま車の中で待ち続け、やっと12番目の問い合わせに応じた高槻病院へ向かうことになった。この出発までに1時間半ほどかかった上に、病院までは直線距離で約40km離れていた。

 そのため1時間ほど走って病院に近くなった午前5時10分ごろ、今度はその救急車が宅配便の軽ワゴン車と衝突事故を起こしたのだ。そのため病院到着はさらに40分ほど遅れることとなり、女性は救急車の中で流産してしまった。

 これら2件は、どちらも「時間」が死因である。病気そのものは何でもないことで、決して致命的なものではない。第一、妊娠は病気ではなく、ごく普通の自然現象だったはず。その自然現象によって命を落すことになり、しかも同じことが2度続いたのだ。

 では、どうすればいいのか。「時間」との闘いに効果があるのは矢張りヘリコプターであろう。昼間ならばドクターヘリを飛ばせばよいが、奈良県にはドクターヘリがない。しかし防災ヘリコプターや警察ヘリコプターがあるので、気象条件さえ悪くなければ夜間でも飛行できる。離着陸の場所は近くのグラウンドや河川敷などの広いところに、簡易照明を並べる。それも航空規格に合わせた既製品があるから、それくらいは警察や消防に用意されているはずだが、ないというのであれば何台かの車を並べて、着陸地点をヘッドライトで照らせばよい。

 奈良県や近畿圏では、上の2つの事件を受けて、「周産期医療広域連携検討会」といった委員会や審議会が設置され、鳩首会議がはじまった。けれども、そんな大げさなことをしなくとも、ヘリコプターを使えば明日といわず、今日からでも実行可能な対策ができる。そもそも、こんなことでいちいち委員会を起ち上げなければ次の手が打てないなどというのでは、役所や議会は何のためにあるのか。無能レベルに達した機関は存在意義を問われてもおかしくはないであろう。

 もっとも産科医の中には、ヘリコプターの振動や加速度や気圧が母体や胎児に悪影響を及ぼすという危惧を持つ人もいるらしい。救急車がスピードを上げたり止まったり、道路のでこぼこではね上がったりするのにくらべるならば、ヘリコプターは遙かにスムーズに飛ぶし、高度1,000m程度であれば気圧の影響もない。次の産科医学会では、ヘリコプターの体験飛行をプログラムの中に入れるよう、ここに提案しておきたい。

 ところで、昨9月9日の朝日新聞は「妊婦搬送にドクターヘリ」という見出しで、比較的長い記事を載せていた。それによると、千葉県鴨川市の亀田総合病院はこれまで2005年4月以来41例の母体搬送の実績があるという。その中には救急車で2時間以上かかるところをヘリコプターで20分で運ばれ、無事出産した例もあり、いずれも立派な効果をあげている。

 和歌山県のドクターヘリも2003年6月以来50例以上の実績がある。したがって、この記事はヘリコプター搬送への期待は大きいと書きながら、後半では「夜間や悪天候では飛べず、……緊急性の高い患者への対応も難しい」「乗れる医師がいない」「ヘリコプターを活用できないか検討する予定だ」という腰砕けの結論になっているのは残念である。

 検討の結果、ほかにヘリコプター以上に迅速な搬送手段が見つかるならばまだしも、いつまで検討を続けるつもりか。検討をつづけている間にも、母体や胎児の死はつづくのであろう。

 たとえばアメリカでは、母体搬送がヘリコプター救急事業のきっかけになったところもあるほどで、ヘリコプターによる母体搬送は盛んに行なわれている。詳しくはHEM-Net調査報告書「アメリカのヘリコプター救急」に書いておいたので、ご覧いただきたい。

 ともかくも、先ずはヘリコプターを使うという基本方針を定めて、その上でドクターヘリのない地域は消防機その他のヘリコプターをどのように使うのか、さらに夜間の使い方をどうするのかなどを検討し、各地域ごとのシステムを早急につくり上げる必要がある。場合によっては、民間機の臨時チャーターもあり得るわけで、その地域のヘリコプター保有者の一覧表を、救急電話を受ける消防本部に備え付けておくのもいいだろう。

 だが、こんなことは言うだけ無駄かもしれない。ここまで書いてきて急に筆が進まなくなったのは、9日夕刻の日本テレビ「真相報道バンキシャ」を見たせいである。それによると、今回の橿原市の事件で、妊婦の受け入れが拒否された理由は、病院11ヵ所のうち6ヵ所が「医師不足」、2ヵ所が患者の掛かりつけの医師から紹介がなければ受け入れないというのである。

 紹介が必要なのは、母体のこれまでの経緯が分からないと、的確な治療ができず、間違いが起るおそれがあるためらしい。医師や病院が持てる力を最大限に発揮して、それでも間違いが起るのはやむを得ないのではないかと思うが、今やそれだけでは終わらない。つまり何かがあると、患者の周囲はもちろん、マスコミまでも「医療ミス」だと騒ぎ立て、最後は訴訟に持ち込む。病院も医師も金銭的な負担を負うばかりでなく、社会的にも傷つけられる。しかも、そうした医療訴訟を、金銭目当ての弁護士たちがそそのかすらしい。

 こうなれば何をかいわんや。論評や改善の余地など、どこにもない。事態はいつの間にか、小言をいう気力も萎えさせるようなところまで堕ちてしまったのだ。

(小言航兵衛、2007.9.10)

表紙へ戻る