<小言航兵衛>

天  罰

 東京都知事への非難がかまびすしい。311大震災の生起を天罰が下ったと発言したからだそうである。しかし、これが天罰でなくて何であろうか。

 非難の理由は、地震と津波の犠牲者に対する思いやりがないということらしい。しかし天罰の発言と同時に、知事も「被災者の方々はかわいそうです」とつけ加えている。

 とすれば、どこにも非難される謂(いわれ)はないはずだが、おそらく非難する人は天罰が自分に下っていることに気づかず、この大災害が他人事(ひとごと)だと思っているからであろう。あるいは逆に、自分が天罰の対象であることに気がついて大急ぎで逃げ出し、逃げたところから都知事に対する非難の矢を放ち、天罰の対象をすり換えているにちがいない。

 もちろん都知事も云うように、天罰の対象は被災者ではない。天罰が下ったのは、現下の日本を取り仕切る為政者であり、それに連なる官僚であり、そこに出入りする新聞やテレビの記者連中である。彼らが日本を「我欲」のままにあやつってきた結果が、この天罰となったのである。そして、彼らの言うことを聞いてきたわれわれ自身も多かれ少なかれ天罰を受けたのだ。

 311大震災を天罰と受け取らず、単なる自然現象と受け取るのは将来に向かって何の反省もないことを意味する。これだけ大きな被害が出たのは、自然の力が強すぎたということばかりでなく、人間の方にも何かもっとやっておくべき防備があったのではないのか。その反省もないまま、あれは自然災害だからといって無為のうちに時を過ごすならば、何年もたたずして忘れてしまい、再び同じ事態を招くこととなろう。

 地球物理学の第一人者、故竹内均先生(1920〜2004年)は、半世紀も前から地震予知は人智の及ぶところにあらず。予知のためにお金を使うくらいなら、地震の起こることを前提に、建物の強化、救援体制の整備、情報網の充実などに予算を振り向けるべきだという警告を繰り返しておられた。

 しかるに政府は、その主張に耳を貸さず、莫大な予算を投じて太平洋の深海底に無数の地震計を据えつけるばかりであった。その結果は阪神淡路大震災となって、予知どころか、ビルや高速道路が倒壊し、人命救助や火災消火にも手がつかず、情報網は不充分のまま首相官邸もツンボ桟敷に置かれてしまった。このことは時の首相がのんびりと会議をしていたことでも明らかだろう。

 今回もまた同じ轍を踏んだのではないのか。予知ができなかったのは当然として、これを千年に一度の「想定外」などと誤魔化すほかなかったのは、阪神大震災を「天罰」と受け取らなかったからである。政治家も官僚も学者も、自分が天罰を受けたと取らなければ、反省も改善もできようはずがない。

 電力会社も同じである。原子力という、この世で最も危険なものを扱いながら、心構えも防備もいい加減ではなかったのか。

 今から10年余り前、航兵衛はロンドンの町の中をロイヤル・ロンドン・ホスピタルのヘリコプター救急を創り上げたドクターの車に乗せて貰って走っていた。

 先ほどから車のラジオが何か早口でニュースを放送している。不意にその先生が「日本で何か起こったらしい」という。さらに「何というバカなことを」(stupid!)といって舌打ちをした。

 これが1999年9月30日、東海村で核燃料の処理を間違えて大量の放射能を発生させた事故である。原因は間違えたというよりも、面倒な手順を省略して簡便な方法をとったためらしい。作業にあたった人も死亡した。

 これも「天罰」である。むろん犠牲者に対する罰ではなくて、原子力発電にたずさわる電力会社、周辺企業、研究施設、そしてそこで働く幹部社員、学者、研究者などに対する天罰にほかならない。しかるに誰も、そのことに気づかず、「マニュアル厳守」といった通達だけで幕引きとなった。全責任を第一線の作業員だけに押しつけたのである。

 そもそも災害というものは、二度と同じ姿を見せない。常に異なった様相で襲ってくる。したがって、如何にマニュアルを整えても、うまく防備することは難しい。実際は、事態の変化に対する的確な判断力と迅速な対応力が必要で、これはつまり人間そのものの能力にほかならず、それを鍛えるには日頃の訓練を欠かすことができない。

 あの10年前の事故を天罰として重要視したうえで対策を講じておけば、千年に一度の地震が発生しようと、先日来の原発事故は、火災、爆発、溶融などの大事には至らなかったのではないか。電力会社の枢要の施設が停電のために恐ろしい事態を招くなどは、まさしく笑えぬ喜劇である。

 われわれはもっと謙虚にならなければならない。天罰などという言葉を忘れたか知らなかった連中にとっては、迷信か何かのように聞こえるかもしれぬが、愚かな人間と異なり、天の判断こそが最も正しく公平なのである。その天罰を受けたのであれば、なんとしても、これまでの罪をつぐない、まともな姿に立ち返る必要がある。決して罪を隠し、問題をすり替え、都知事ひとりを悪者にして、自分たちは陰に隠れるようなことがあってはならない。

 とりわけ腹立たしいのは、東京都知事選挙に立候補を表明している候補者の中に、都知事の発言を非難しているものがいることである。この際とばかりに選挙民をあおり、自らの立場を有利にしようという魂胆だろうが、実に卑劣というほかはない。かかる徒輩は、決して知事などにしてはならない。

 天罰という言葉を非難しても犠牲者は救われないし、次はもっと大きな犠牲を払うことになるであろう。

 蛇足ながら、東京電力のいう「計画停電」とは、如何なる基準をもっておこなわれているのか。今までのところ、その場そのときの思いつきか、行き当たりバッタリの恣意的施策のように見える。

 おそらくは、積年の殿様商売によって重篤かつ慢性的な大企業病を患っているからで、目の前に危機が迫っているにもかかわらず、個々の社員が組織のワクを踏み出せず、中心となって組織や会社を引っ張ってゆく人物もいないまま、誰もが三すくみの状態におちいっているのだろう。学校の成績だけが取り柄の優等生ばかり集めると、こういうことになる。そして皆がすくんでいる間にも、危機はどんどん進んでゆき、原子炉は毎日ひとつずつ問題を起こし続ける。

 もうひとつ、計画停電の対象に千代田区がはいっていないのは如何なる理由によるものか。千代田区には国会や霞ヶ関(中央官庁街)、さらには東電本社がある。つまり、最も重い「天罰」を受けるべき連中こそが、自分たちだけは光の中で暮らそうというのである。彼らには、もう一度、天罰が下るであろう。

 311地震および津波で犠牲となられた方々のご冥福をお祈り致します。併せて、津波の犠牲となった沢山の航空機の冥福も。

(小言航兵衛、2011.3.17)

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