<小言航兵衛>

取り残される日本

 この10年来、成長を続けてきた格安航空事業(LCC : Low Cost Carrier)は、最近になって急拡大する様相を呈してきた。

 エアライン・ビジネス誌の調査では、世界の格安航空36社の収入が大きく伸びて、2010年の実績は前年比1.5倍以上の587億ドル(約5兆円)、営業利益も前年比2倍の42億ドル(約4,000億円)になったという。

 今や、格安航空は観光旅行ばかりでなく、ビジネス旅行にも利用されつつある。これが近年の大きな変化で、格安航空が成熟してきた欧州や北米市場に見られる特徴でもある。一方で、アジアや南米では、安い運賃に刺激されて大衆の航空旅行が拡大してきた。つまり欧米とアジアや南米では要因が異なるけれども、格安航空の成長を促す点では変わりがない。

 

 ヨーロッパの航空市場はすでに飽和点に達し、新たに参入する余地がないように見える。けれども格安航空から見れば高運賃の大手既存エアラインなんぞ恐るるに足らず。少しでも安い運賃を提示すれば、旅客はすぐに乗り換えてくるというのだ。かくて、おそらくは今後、既存エアラインのシェアは格安航空に浸食されてゆくであろう。

 路線にしても、今まで大手エアラインが大都市と大都市を結んでいたのに対し、格安航空は村と村とを結ぶ――そんなかたちで拡大してゆけるのである。最近は観光旅行だといってチャーター便を使うようなことも少なくなった。わざわざチャーター便を仕立てなくとも、安い定期便、すなわち格安航空があればそれで成立するわけだ。

 格安航空はアメリカで始まった。アメリカの旅客輸送市場は、2割が格安航空で占められている。そろそろ飽和点に達したかに見えるが、新たな路線開発も見られる。それも最近は長距離路線の開拓が目立ち、アメリカ大陸横断線はその典型である。

 格安航空は機内サービスが限られているだけに、長距離旅行者の多くはこれを避ける傾向にある。したがって格安航空にとって、長距離路線は需要が少ないと見られてきた。しかし世界的な経済不況から、ビジネス客も格安航空を選ぶようになりつつある。

 長距離路線ということになれば、国内線ばかりにこだわってはいられない。国際線にも格安航空が進出するようになった。アメリカもヨーロッパも同じである。

 そうなると、旅客サービスも充実せざるを得ない。たとえば格安航空は通常、座席の予約指定ができないけれども、1,000円ほど余分に払えば、好きな座席が取れるといった付帯サービスである。このサービスをつけ加えることによって、乗客の6割が座席指定をするようになれば、航空会社にとっても収入はバカにならない。

 こうして将来に向かって、格安航空と本格航空との境目がすこしずつぼやけてくる可能性も出てきた。つまり、安い本格航空の誕生である。

 

 パリ航空ショーでエアバスA320や将来のA320neoが667機という大量の注文を獲得したのも、実は格安航空からの注文が多い。アメリカのフロンティア航空、リパブリック航空、ジェットブルー、マレーシアのエアアジア、インドのインディゴーとゴーエア、南米のアビアンカなど、ほとんどが格安航空会社である。しかもエアアジア200機、インディゴー180機、リパブリック80機、ゴーエア72機、アビアンカ51機という軒並み大量注文で、このもようを「大量の注文がエアバス社にシャワーのように降りそそいだ」と表現した報道もある。そこには世界の格安航空会社の満々たる意欲が感じられよう。

 そのパリ航空ショーが幕を閉じた直後、アメリカン航空が同じクラスのA320かボーイング737旅客機を大量に発注する意向というニュースが伝えられた。それによると、同航空はエアバスおよびボーイングとの間で、旅客機の大量購入に関する交渉を進めているという。現有機の3分の1以上を入れ替える計画で、250機余りの導入を予定しているらしい。

 アメリカン航空の保有機は現在すべてボーイングである。この中の最も旧い狭胴機――平均してほぼ20年前に導入した220機のMD-80や平均16年前の757が入れ替えの対象である。これらに替わって新たに導入される候補機として、A320neoに強い関心がもたれている。しかし対抗機の737も、アメリカン航空が現在152機を運航中または発注中である。

 ということは、ここでエアバスとボーイングの激しい闘いが始まる。とりわけボーイングにとってはパリでの雪辱を果たすと同時に、これまで米国市場の大半を抑えてきた実績をひっくり返されるわけにはゆかない。しかし両社の闘いが激しくなればなるほど、アメリカン航空の方は購入価格が下がったり、融資の条件が良くなったり、漁夫の利を得る可能性が高い。こうして安い機材を入手し、格安航空の台頭に対抗してゆこうというのがアメリカン航空の狙いでもある。

 さらに、アメリカン航空はかつて世界最大の航空会社であった。それが今や第3位である。ここで機材を更新することは利益を上げるためであることはもとより、改めてエアライン業界の第1位をねらうことも戦略の中に入っているかもしれない。

 アメリカの格安航空事業がはじまったのは1970年代であった。そこから急増したものの、そのうち32社が2009年11月までに休業に追いこまれた。残ったのは14社である。

 ところが今、アジア地域では38社が事業を展開している。中国とインドの経済発展によるところが大きい。

 むろん廃業した企業もある。たとえば香港のオシス航空は2008年に倒産、オーストラリアのコンパス航空は1991年に倒れ、同じオーストラリアのインパルス航空はカンタス航空の子会社であったが、やはり運航を取りやめた。

 このような世界の動きに対して、日本は独り取り残されたような状況にある。みんな遠くへ行ってしまったのに、日本の動きが鈍いのは、官僚統制が強すぎるのか、航空会社がおとなし過ぎるのか。

 といって黙って見ているわけにはゆかないというので、日本航空はオーストラリアのジェットスターなどとの共同出資により、来年にも格安航空事業へ参入することにした。当面は成田空港などを拠点に国内線を運航したうえで、将来的には国際線にも広げる方針とか。

 さらに全日空もピーチ航空なる子会社を設立、7月7日に国土交通省の航空運送事業許可を取得した。関西空港を拠点に来年3月からエアバスA320(180席)3機で、福岡、札幌への国内線と、仁川(韓国)への国際線を開設するという。しかし、これまた香港の投資会社との合弁である。

 欧米およびアジア諸国の格安航空が何百機という規模で事業を展開しつつあるのに対し、日本は大手2社ともに外国勢との合弁で、それもわずかに3機を飛ばすというのだから、おっかなびっくり及び腰の感を免れない。旅客にとっても、もの足りないはずである。

 運輸官僚の考え方が那辺にあるかは知らぬが、保護政策と安全確保に名を借りた長年の業界支配が外国勢との競争力を低下させ、日本航空の破綻を招き、運賃の引き下げを阻んできた。需要者にとっては迷惑このうえないやり口であり、旅客の流れが外国エアラインに向かうのも当然であろう。

 世界のエアライン業界にあって、蚊帳の外に置き去りにされた日本だが、これからも同じような政策を続けるつもりなのか。

(小言航兵衛、2011.7.13)

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