<小言航兵衛>

電線とかすみ網

 このほどスイス・エア・レスキューREGAの安全方策に関する論文を読む機会があった。なに航兵衛といえども、小言の合間には外国人の書いたものを読むことがある。もっとも、どこまで正確に理解できたかどうかは保証の限りでない。

 いいわけはさておき、論文の執筆者はREGAの2人の飛行安全担当者(Flight Safety Officer)で、2005年9月に発表された。やや古いけれども、のちに述べるような、わが意を得た思いをした部分があったので、ここに記録しておきたい。

 REGAはスイス赤十字の傘下にあって、チューリッヒ国際空港の本部を中心に、国内のヘリコプター救急を一手に引き受けるNPO法人である。ヘリコプターの拠点数は13ヵ所。国の面積は日本の九州と同じくらいだから、九州に13ヵ所のドクターヘリを配備したのと同じような密度になる。

 これはスイスが山岳国だからで、山の上でも谷の奥でも、国中どこでも15分以内に医師が駆けつけられるよう、時間距離を考えた配備になっているからだ。

 これら13ヵ所の救急ヘリコプターは、合わせて年間およそ9,000件の出動をする。単なる救急ばかりでなく、切り立った岩壁の途中で宙吊りになって立ち往生した登山者の救助にもあたる。山岳飛行が多いのでREGAにとっては、安全こそが最も基本的な課題である。

 その安全策を、REGAは2001年大きく改めた。安全担当者を1人から2人に増やし、安全の強化に乗り出したのだ。というのは、それまで事故がなかったわけではなく、1990年代の10年間だけで5件の事故が起こり、うち2件が死亡事故であった。

 強化の内容は運航基準の改定、衝突警報装置の取りつけ、不安全報告制度などだが、この報告制度はREGAの安全方策の基本と考えられている。報告の内容は内部の小さな不具合や不注意ばかりでなく、どこかで見つけた障碍物など、安全上問題と思われることは何でも報告する。これで組織内の全員が日頃から安全に関心を持つようになり、いわゆる「安全の文化」が醸成される結果となる。

 これらの報告が社員のめいめいから内部ネットを使って安全担当者のもとへ送られる。その内容が緊急を要すると判断されたときは直ちに全員に周知される。その他の事項も一定期間ごとに発表され、必要に応じて対策が取られる。

 そこで航兵衛にとって、わが意を得たと感じたのは「障碍物除去」作戦である。この論文によれば、スイス国内にはおよそ7,500ヵ所に送電線、アンテナ、木材搬出用ケーブル、ケーブルカーなどが存在するが、これらは航空機にとって、特に低空を飛ぶことの多い救急ヘリコプターにとっては安全上の障碍、すなわち危険物とみなされる。

 そのためREGAは先ず、現に使われていないものは除去して貰うという作戦に乗り出した。さらに電線などは地中に埋設する働きかけも始めた。REGAのこの作戦または提唱には、スイス空軍や航空会社も賛同し、それを航空局が支援することになった。さらにマスコミが協力して全国的な運動に発展し、5年ほどの間に269ヵ所の障碍物が取り除かれた。

 以後5〜6年を経て、最近までにどのように進んだか正確なことは分からないが、おそらく障碍物はさらに減ったであろう。

 それにつけても思い出されるのが、2010年8月18日の海上保安庁ヘリコプターの事故である。15人乗りのベル412が瀬戸内海の島から島へ張り渡してあった送電線にぶつかって墜落、乗っていた5人が全員死亡した。送電線は6,000ボルトの高圧線で、全長1,179m、海面からの高さ105mであった。

 細い電線がスパン1km以上にわたって空中に張り渡され、そこに何の標識もついてなければ、発見は非常に難しい。航空法では、このような場合、赤と白、または黄赤と白の球形標示物を交互に45mおきに電線につけることになっている。ところが但し書きがついていて、電線を支える鉄塔のてっぺんに「航空障害灯を施すことで代替とする」とか、鉄塔が高さ30m以上で樹木などにかくれてなければ「白の帯状に7段の塗色を施すことで代替とする」などの逃げ道が設けられた。

 その一例は下図のとおりで、図のほかに代替2と代替3があり、障害灯の代わりに片方の鉄塔にだんだらの色を塗る、あるいは両方とも色塗りだけですます。つまり障碍物そのものは放置したままで、どこか遠くのものに目印をつけて、それで安全という極めて危険な考え方である。

 これは2005年2月、航空局の「送電線への航空障害標識設置に関する改善方策について」と題する文書にほかならない。その背景にあるのは2004年3月長野県で発生した交通事故を取材中のヘリコプターが送電線にぶつかって墜落、搭乗者4名が死亡した事故である。これを踏まえて学識経験者を集め、検討した結果だそうだが、それから5年半で再び同じような事故が起こったのだ。とうてい「改善方策」になっていなかったことが分かる。

 事故の結果、ヘリコプターが低空飛行の許可を取っていなかったとか、要らざる飛行ではなかったのかなどというので海上保安庁が非難され、保安本部の本部長と次長が事実上の更迭処分となった。しかし5人の犠牲者を死に追いやったのは誰か。むしろ、その人びとこそ処分さるべきではないのか。上の検討にあたった学識経験者の中には東京電力を初め、3人の電力関係者も含まれていた。

 電線やケーブルはヘリコプターにとって天敵のようなものである。昔から農薬散布などで電線にぶつかって死亡した例を考えると、おそらく100人を下らないであろう。しかし、だからといって、これをなくしてしまうわけにはゆかない。せめて地中化して貰いたいというのがヘリコプター関係者の願いである。

 電線類の地中化は街の景観という点から論じられることが多い。そして必ず、送電効率が落ちるとか費用がかかるといった経済論に負けてしまう。しかし、これからは人の命という観点から議論する必要がある。単に電線にぶつかって死ぬという問題ばかりでなく、ロンドンのように市街地の至るところに救急ヘリコプターが降りて傷病者の救命にあたることも可能となるのだ。

 ちなみにロンドンは電線の地中化率が100%である。同じくパリやボンも100%だし、ベルリンは99%、ニューヨークは72%。東京23区は2008年の時点で、幹線道路が42%だが、23区全体では7%にすぎない。

 電力会社の隠然たる強さは、福島原発の事故が起こって初めて明るみに出たが、航空界も同じように電力会社に牛耳られているらしい。それどころか、次は電力料金を値上げする。それも「われわれの義務だ」とうそぶいている。それに対し、東京都庁は東電からの電力購入をやめて、ほかのところから買うらしい。それによって、値上げ後も経費の節約になるというが、わが家もそうすることはできないのだろうか。

 それができないとすれば、まさしく東電の独占体制という電線網にからめ取られているからである。電線網にぶつかるヘリコプターも同じことで、独占のかすみ網に引っかかる小鳥のようなものだ。しかし、かすみ網はあまりに残酷だというので、それを使った狩猟は禁じられている。日本の各地に電線を張りめぐらすのも禁止すべきであろう。

(小言航兵衛、2012.3.7)

 

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