<小言航兵衛>

危機管理が危機だった

 今月初め、福島原発事故について独立検証委員会――いわゆる民間事故調の報告書が発表され、事故発生の当時、日本政府の中枢がいかに周章狼狽のきわみにあったかがテレビや新聞で報じられた。航兵衛も是非、この報告書をのぞいて見たいと思ったが、調べてみても本になるのかどうかすら分からず、何日かたってようやく3月11日、つまり事故から1年目を期して発売されることを知った。

 さっそく買ってはきたものの、ふつうの本とは異なる判型で、400ページを超える分厚さの上に小さい文字が横書きに並んでいて、余り読みやすい本ではない。内容も当然のことながら、テレビが面白おかしく伝えていたような軽いものではなく、今も拾い読みにとどまっている。

 今にして思えば、初めのうち本にして売り出すことを隠しておいて、さわりだけをマスコミに流し、ニュースの形で騒ぎ立てた。これこそが、本を売るための狡猾な宣伝工作ではなかったのか。その宣伝の片棒をマスコミがかつぎ、うまく乗せられたのが航兵衛だったのかもしれない。

 とはいえ本書の冒頭には、政府上層部で「事態が悪化すると住民避難区域は半径200km以上に及び、首都圏を含む3000万人の避難が必要になる」という「最悪のシナリオ」が検討されていた話が出てくる。さらに官邸には「このままでは国がもたないかもしれない」という危機感があった。

 けれども国民には「パニックに陥らないように」情報を隠蔽したまま、記者会見では「直ちに健康への影響はない」といった発表ばかりつづけた。むろん先のことは分からぬから、その場限りのセリフしかいえなかったのだろうが、当時の官房長官、経済産業相、原子力安全保安院、そして東電などは、まことに無責任な連中である。

 加えて「落ち着いて行動してください」などといいながら、自分たちはあわてふためいて、首相みずからヘリコプターに乗って現場に行き、放射能にさらされながら苦闘している担当者をどやしつけたり、感情むき出しのまま右往左往していたのだ。

 官邸の、こうした現場介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか。「無用の混乱と、事故がさらに発展するリスクを高めた可能性も否定できない」と報告書は書いている。首相自身がパニックに陥っていたのだから当然のことである。

 実際「官邸の初動対応は危機の連続だった。専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた」。そうした「稚拙で泥縄的な危機管理」と、曖昧な説明によって、国民は強い疑念と不安を持つに至った。

 隠蔽情報の中には例のSPEEDIによる計算結果もあって、「原発が最も危機的な状況だった3月11〜16日の対策には全く活用されず、屋内退避など住民に対する予防的行動を検討することにも活用されなかった」。そのため福島の地元の人びとはわざわざ放射能の流れる方へ向かって避難して行ったというではないか。

 将来この中からガンになる子供が出てきたら、当時の責任者たちは如何なる処分を受けるのか。おそらくは知らぬ顔で押し通すつもりだろうが、厳罰に処すべきであろう。こういう危機管理のできない人間は、政府や公的機関のリーダーになってはならないのだ。

 原発事故の直後、航兵衛も欧米の友人たちから見舞いのメールを貰ったが、いずれも深刻な言葉づかいであった。いささか大げさに過ぎて、強い同情の念を示すにはこういう表現をするのかと思ったが、今になって原発事故報告書を読んでみると、まさしく知らぬは亭主ばかりなりで、こっちこそが恐ろしい状況に投げこまれていたのである。無論その事態は今も変わらぬはずだ。

 日本人がノンキだったのに対し、外国人が福島の事故を深刻に受け止めた理由のひとつは、彼らの新聞報道が遠慮なく、知り得たことの全てを伝えたからかもしれない。日本の新聞は政府の発表をそのまま載せて、あとは地震や津波の被災者に対する同情記事、お涙ちょうだいの物語ばかりを大きく扱うだけで、原発事故に関してはテレビも新聞も政府や東京電力に遠慮し、計画停電と節電の宣伝ばかりを続けた。

 しかしドイツでは、たとえばDie Welt紙など次のような書き方をしている。この記事は昨年3月16日付だが、先ず「東京は死の恐怖」という見出しから始まる。

 ……日本では首都圏を含む4,000万の人びとがメルトダウンにおののいている。放射能の増大によって女性、子供、外国人が危険地域を離れつつある。ドイツ国内でもメルケル首相が原発管理者に対し直ちに半数のスイッチを切るように指示した。株も暴落している。

 福島では原子炉の爆発によって、少数の要員だけが核の危険と闘っている。原子炉は3月15日の爆発によって破壊され、今や完全に制御不能となった。詳細は不明だが、4基とも破壊している。

 東京電力の担当者は、原発が「非常に悪い」状態にあり、メルトダウンの恐れもあると語った。こうした状態のため東電は原発要員の大半を撤退させ、本来は800人のところを50人まで減らした。制御室は今や空っぽである。

 東電は日本の自衛隊とアメリカ軍に助けを求め、1986年のチェルノブイリ事故を経験したウクライナ共和国にも頼んでいる。ウクライナ外務省は原子力の専門家をいつでも日本へ派遣する用意があると答えた。

 ナオト・カン首相は東電の情報隠蔽について怒りをあらわにした。「テレビが原子炉爆発と報じながら、官邸には2時間たっても東電から報告が上がってこない」からで「いったい、どうなってんだ」と怒鳴った。

 福島原発周辺の住民が避難の準備を始めた。それより前、中国は最も早く、中国人の日本からの引き揚げを決めた。東京の中国大使館は東北地方にバスを送って、そこに住む中国人を連れ戻し、本国へ送り返す計画を発表した。

 東京では放射能レベルの上昇が観測された。普段の22倍になったとNHKテレビが報じている。女性と子供は遠く南の方角へ向かって避難を始めた。東京に駐在するドイツの公的機関やテレビ局も、職員を南方へ逃がした。オーストリア大使館は東京から大阪へ移転した。

 赤茶けた放射能雲が東京の上空をおおっている。加えて千葉、埼玉、神奈川の各県と、その中にある横浜や川崎などの都市を合わせて4,000万の人びとが被害を受けると見られる。

 パニックにおちいった人びとは、缶詰、電池、パン、ミネラル・ウォーターなどを買いあさり、スーパーマーケットの棚からはこれらの商品が消えてしまった。ガソリン・スタンドの前にも車の長い列が続いている……。

 この記事は事故発生から5日くらいしか経っていない当時のもので、その後明らかになった事実とはやや異なるところもあるが、なかなかに明快である。その点からみると、ドイツの新聞よりも日本の報告書が読みにくく、さらに政府の発表は混乱と錯誤と虚偽と隠蔽に満ちたものであった。

 混乱と錯誤は今も政治家連中の頭の中で続いているらしく、ノダ政権は震災復興のためには消費税の倍増が必要と思いこみ、大増税のために身命を賭し、不退転の決意で突き進むと口走っている。猪突するイノシシ以下の単細胞バカである。その蔭に大蔵省がいて、大震災を口実とし、被災者を人質に取っているのに気がつかないノダ。

 国民の稼ぎを取り上げて生活が良くなるというのは、スターリンや毛沢東のコルホーズや人民公社と同じ言い分で、失政に終わることは歴史の証明する通りである。それでも歴史に学ぼうとせず、腹の底では社会主義や共産主義を信奉する民主党としては、あくまでソ連や中共を理想とするのであろう。その理想にならって、国民から搾れるだけ搾り取り、人民圧政の独裁国家、北朝鮮をめざすとしか思えないのが今の政治家と官僚らにほかならない。

 われわれはどうやら、ロクでもない政治家と官僚どもの支配する不幸な国に生まれたのかもしれない。

(小言航兵衛、2012.3.27)

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