<小言航兵衛>

コリアあかんわ

 昔、遠藤周作の『狐狸庵閑話』という戯作文が評判だった。作家本来の文学作品よりも人気があって、ずいぶん多くの人に読まれた。

 航兵衛も少しばかり読んだが、憶えているのは余り品の良くない作品で、ウォッシュレットが世に出始めた頃のこと。女性編集者が原稿を取りにきて、狐狸庵のトイレを借りたいという。ウォッシュレットを取りつけたばかりの便所を教えると、しばらくして中から温水や乾風の噴き出す音が聞こえてきて、庵主があらぬ想像をしながら心の中でニタニタするといった話である。

 ところで先頃、韓国の大型旅客船が沈没した。何百人もの乗客のほか、大量のコンテナ貨物や自動車を積んでいた。乗っていた人びとのほとんどが死亡し、犠牲者は300人を超えた。乗客の大半は修学旅行中の高校生だったらしい。

 この事故を報ずるニュースを見ていて呆れるのは、思いがけない問題が次々と出てくることだ。つまり単なる海難事故ではないということ。最初は多数の乗客が救助されたような報道もあったが、すぐに誤報ということになる。メディアが誤ったのではなく、関係当局の発表が誤っていた。というよりも、いい加減だった。かと思うと、まだ全貌がよく分からぬうちから大統領が「船長は殺人罪に相当する」などとヒステリックに公言する始末。

 さらに予想外だったのは、日本から買った中古船の上部デッキに客室を増築したという。これで重心位置が高くなった。そのうえ事故の当日は、規定の3倍もの貨物を積んで、ますます重心位置が上がった。しかも積み荷を増やすために船底のバラスト水を減らしことから、重心位置はさらに上がる結果となった。

 トラックだって大荷物を積み上げると、カーブを曲がりきれずに横転する。船の重心位置も同様で、その位置が高くなると、姿勢が傾いたときの復原力が弱くなる。おまけに貨物の固縛がしっかりしていなかったため、船の傾いた方へ貨物が滑り、復原力もへったくれもなく、傾いた船体はますます傾いて、そのまま転覆に至った。

 こうした状況のもと、船長を初めとする船員たちは上部デッキに集まり、ほとんど全員が救助された。船長などは真っ先に救助のボートに乗りこんだようだが、それも制服を脱ぎ捨て、下半身はパンツひとつで慌てて逃げ出してきた乗客のような恰好をしていた。

 しかも一方では、乗客に向かって船室にとどまるようにという船内放送を流しつづけ、その指示に従った高校生たちは何の疑いもなく海底に沈んでいった。

 この事件は1ヵ月以上を過ぎた今も拡大をつづけ、船会社のオーナーを初めとする当事者はもちろん、韓国の財界、官界、政界にも波紋を広げて、大統領の立場もおぼつかない状況となってきた。切りがないので、これ以上書くのはやめるが、かの国の内実は大きな空洞だったことが明るみに出た事件である。

 折から経済情報誌『WEDGE』5月号は「高炉爆発、原発、暴動……世界で悪評『韓国クオリティ』」と題して、韓国から世界各国に輸出されるプロジェクトが表面上の体裁ばかりで品質は成ってない。工事は手抜き、検査証は改ざん、性能試験の成績書は偽造、発注した製品の開発は遅れに遅れるなど、世界中の顰蹙(ひんしゅく)を買っていると書いている。

 そのひとつが初めて輸出したインドネシア向けの一貫製鉄所で、昨年末の火入れ式から9日目に高炉が故障、半月後にはガス配管が爆発事故を起こした。損害額は100〜500億円とかで、ここにも船の沈没事故と同じような恥さらしの問題がひそむかに思われる。

 そこで『どの面(ツラ)下げての韓国人』(豊田有恒、祥伝社新書、2014年4月10日刊)には、次のような話が出てくる。

 20年ほど前のこと、著者がソウル取材のため、タクシーに乗ったところ、日本語のよくわかる年配の運転手が「日本人が造ったソウル大橋はびくともしないのに、聖水大橋はできたばかりであっさり落ちました。それに新世界百貨店は、わたしが子供のころは三越百貨店でしたが、今もしっかりしています。それにひきかえ三豊百貨店は、できたばかりなのに、崩落して500人もの死者を出してしまった」

 漢江にかかる聖水大橋が崩落したのは1994年で、32人が死んだ。三豊百貨店の崩壊は翌95年のこと、502人が死亡。そんな話をした運転手の父親は戦前、日本の西松組(今の西松建設)に勤めていて、「日本人が約束を破らないうえ、仕事では手抜きをしないことをしばしば教えられたという」

 上記『WEDGE』誌の挙げる高炉爆発を初めとする世界的顰蹙の事例も、ソウルの運転手の話の延長線上にあることは間違いない。むろん先日の旅客船沈没の事故も同様で、同じような事故がくり返し起こるのは、この国に改善や進歩の気質ががないことを示している。すなわち、いつまでたっても懲りないコリアンということだ。


余計なことではあるが、この本の表題は
「の」の字を入れない方がよかったのではないか。
正確な意味を表そうという意図は分かるが、
口調がもたついて、売れゆきも鈍るような気がする。

 『どの面下げて……』の著者によれば、日本は反日の対象とされながら「自制的な国民性から、事を荒立てまいとして、韓国に責任のあることですら非難を手控えてきた。そもそも、ここがいけなかった」「なにも言わなければ、承服した」とみなされるからだ。

 韓国人は「悪いのは常に他人」とする「自己中心的で、激しやすい国民」だから、捏造や虚偽の反日にいちいち応えるのは大人げないし、面倒だなどと放っておけば、事態はますます悪化し、取り返しのつかないことにもなりかねない、と著者はいう。

 そもそも戦前の朝鮮は日本が統治していたもので、これを「日本統治時代」と呼ぶ。「日帝時代」などという言葉は最近の造語で、植民地として支配したわけでもない。しかるに最近のテレビで画面のわきに坐っているコメント係が「植民地時代」と発言しているのを聞いた。2人とも新聞記者上がりの自称評論家と大学教員で、別々の番組である。どうやら新聞記者というのはみんな、現役の頃からそう思いこんでいるらしい。

 植民地どころか、日本は朝鮮王朝についてわが皇族と同じように扱い、李朝最後の李コン(土扁に根のつくり)殿下は赤坂に邸宅を構え、日本の梨本宮家の方子妃と結婚なされた。このときの李王邸が今の赤坂プリンスホテル旧館である。

 お二人のご子息は李キュウ(王扁に久)殿下で、航兵衛もソウルや日本で何度か会ったことがある。お母さんが日本人だから、むろん日本語はわれわれと変わりなく、来日すると赤プリ旧館に宿泊されるので、時どき出かけて行った。人柄は良かったが、話の内容は余り良い想い出ではない。今はどうしておられるだろうか。

 余談はさておき、韓国は虚飾の国である。「個人レベルでも国家レベルでも、自分を必要以上に立派そうに見せ」ようとする。「偉そうなふり、知性がありそうなふり、金がありそうなふり……実際には、そうでないケースのほうが多いのだが」

「ソウルの街中で、前かがみで自信なさそうに歩いているのが日本人、ふんぞり返って歩いているのが韓国人というジョークがある……常に虚勢を張って生きているから、韓国人は見栄っ張りである……ピアノ、車など、奢侈(しゃし)品が平均所得を上回って売れる……無理してでも、見栄を張ろうとする」

 その見栄を張るために、必然的に自己主張が強くなる。韓国人の主義主張は「検証も考証もまったく抜きになっている。韓国人ほど非論理的な国民も珍しい。捏造(ねつぞう)を前提として、捏造の結論に至るのである」

 その嘘に、史実を知らない無知なアメリカ人が乗せられて、恥さらしな売春婦の像を立てたり、州議会で東海併記を決めたりする。それに対して日本は、これまで「相手にしないのが大人の態度だ」として反論もしなかった。

 というのは韓国人は論争ができない。「自分と異なる意見に出会うと、過剰反応のように、大声で相手を罵倒するか、逆上するか、怒り狂うかで、それが通じない時は話題をすりかえる」。それが面倒くさくて、日本は彼らの自己主張にいちいち反論してこなかった。これが事態を悪化させた原因でもある。

 彼らが言いつのる竹島問題も同じことで「新羅時代から韓国のものだった、日本が強奪した、日本の軍国主義だ」などと理由にならぬ理由を挙げるだけで、「その根拠を検証して論理的に主張するわけではないから、そもそも議論にならない」。しかし日本としては、これを放っておいてはいけない。「断固として自国領だという主張を続けるべき」だ。

 むろん竹島問題ばかりではない。「日本海の名称、中国領内の安重根の記念碑設立、日本を仮想敵国とする韓国軍の軍備増強、慰安婦像の設置など、狂気のような反日の動きは、数え上げればいくらでも非難の対象になりうる。日本としては、これらの事案に、いちいち対応しなければならない」

「その一方で、日韓併合の功罪のうち、罪のことばかり反省するのは止めにして、功についても、おおいに恩着せがましく言いたてることを続けなければならない」

 にもかかわらず、外務省はいったい何をボヤッとしているのか。外務官僚たちよ、赴任先の国で美術品やワインの収集にばかりうつつを抜かすのではなく、少しは祖国の名誉のために働いてはどうか。「コリアあかんわ」だけですませてはならんのだ。

(小言航兵衛、2014.5.25)

【参考文献】

     

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