<小言航兵衛>

熊本地震と報道機の騒音

 熊本・大分の地震災害が始まって数日が過ぎた頃、インターネット上にはヘリコプターの騒音に対する非難や苦情の声が多く見られた。といっても対象は、救援や救助にあたる自衛隊や消防のヘリコプターではない。テレビや新聞の報道機である。

 たとえば「ヘリコプターの音が倒壊した家の下敷きになった人の声をかき消してしまう」「防災無線の声が聞きとれない」といったもの。

 また「とにかく寝たい」という声もあるのは、昼夜を問わず襲ってくる余震、大勢の人でざわつく避難所、駐車場に停めた窮屈な車の中――こんな環境では夜もろくに眠れない。昼間でも、わずかな暇があれば少しでも寝ておきたいのだが、ヘリコプターの騒音がやかましくて寝られないというのである。

 あるいは「ヘリコプターの音で落ち着かない」「気の休まる暇がなく、体力の消耗もはなはだしい」という声もあった。これは被災者ばかりでなく、自衛隊、警察、消防、医師などの救援者も同様であろう。ヘリコプターの轟音が絶え間なく頭上で鳴りひびいていては、健常な人でも神経が参ってしまう。特に被災者は、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積して体力がなくなる。そのうえ水道が出ないのでトイレが流せず、手が洗えない。さらに停電のために冷蔵庫が使えず、食事も不衛生になりかねない。これでは、いつ病気になってもおかしくない。

 中にはミサイルで撃ち落としたいという過激な文字も見られた。気持ちは分かるが、ヘリコプターがこのような非難や批判を浴びるのはまことに残念。なんとか考える必要があるのではないだろうか。

 これは、実は阪神淡路大震災(1995年)のときから未解決のまま残された課題でもある。21年前のあのときも、がれきの下に閉じこめられた被災者の声がローター音のために聞こえず、救出が遅れたといった批判が出て、当時の兵庫県知事が「ヘリコプターの飛ばないサイレント・タイムを設けるべきだ」という提案をした。しかし、その結論は「自粛」や「申し合わせ」という曖昧なままに終わっている。

 そうではなくて、きちんとした法令によって制度化しているのがアメリカである。災害現場の上空を救援活動以外の航空機が飛んで救助の邪魔にならぬようにするため、警察、消防その他の現場責任者は連邦航空法の規定によって、空域の場所(緯度、経度)、高度、期間などを区切ってFAAに飛行規制を要請することができる。

 これによって、たとえば今から10年ほど前、アメリカ南東部をハリケーン・カトリーナが襲ったとき、洪水のために水没したニューオーリンズ一帯の飛行が制限された。沿岸警備隊などのヘリコプターによる救助を安全、迅速かつ円滑に遂行するための措置である。これで報道機や野次馬機の飛行は規制されたが、1機だけ代表取材が認められた。比較的騒音の少ない小型単発ヘリコプターで、空中撮影専門の機体がハリウッドから呼ばれ、その迫力ある映像は全米のテレビや新聞に生中継で送り出された。しかも、この小型機はカメラのほかに水や非常食を積んでいて、孤立した被災者に配ったりもしたのである。

 もっと徹底した飛行規制は2001年9月11日、同時多発テロのときであった。アメリカ本土全域の飛行が禁止されたのだ。米国内を飛んでいた航空機は旅客機も小型機も、無論テレビや新聞の取材機も直ちに最寄りの空港に着陸するよう求められ、アメリカに向かっていた旅客機は途中から引っ返すか、行く先をカナダや中南米に変更しなければならなかった。空中にあったのはテロの警戒に当たる警察機や軍用機のみという結果になって、広大な空域が靜まり返ったのである。

 いうまでもなく「報道の自由」は尊重されなければならない。けれども人の命がかかっているとき、それを無視してまで自由を主張すべきかどうか、答えは明らかであろう。

(小言航兵衛、『航空情報』7月号掲載に加筆、2016.7.7)

 


救助活動をする自衛隊機の上空から撮影取材

    

表紙へ戻る