<週刊朝日>

悪魔の病

 癌の治療について異端の理論を展開する慶応大学病院の近藤誠医師が、今度は『週刊朝日』誌上で論争をしている。

 きっかけは、同誌6月21日号と28日号に掲載された「徹底検証」。朝日の記者が何人かの医師に取材して、近藤理論に関する評価や意見を徴したもの。加えて9月20日号には外科学会の権威、神前五郎医師との「大激論」が掲載された。

 近藤医師の理論は、手術は命を縮めるとか、抗がん剤は効かないとか、癌は放置せよとか、われわれ患者を半分喜ばせ半分困惑させるもので、何もせずに病気が治るならこんなに良いことはないが、果たして本当かどうか、考えれば考えるほどわからなくなってくる。

 そこで、この週刊誌の3号にわたる議論で答えは出たのかどうか、以下に整理しておきたい。

 議論の対象になっているのは、近藤医師の『医者に殺されない47の心得』(アスコム、2012年12月19日刊)という著作である。「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」という副題がついている。筆者も、今年春に読んだところだ。

 本書のいう47項目に及ぶ心得を、全てここに書き写すわけにはいかないが、たとえば「医者によく行く人ほど早死にする」「風邪薬も抗がん剤も病気を治せない」「一度に3種類以上の薬を出す医者を信用するな」「がんほど誤診の多い病気はない」「免疫力ではがんを防げない」「医者はヤクザや強盗よりタチが悪い」など。

 ちなみに本書によれば「ヤクザはしろうと衆を殺したり、指を詰めさせたりすることはありません。強盗だって、たいていはお金をとるだけです。しかし医者は、患者を脅してお金を払ってもらった上に、体を不自由にさせたり、死なせたりする」。まさに、ご本人が「私はこれまで、同業者がいやがることばかり言ってきました」という通りの内容である。それだけに読む者にとっては面白く、がん患者でない人には気楽に読める分さらに面白いであろう。100万部を超えるベストセラーになったのもうなずけるような気がする。

 そこで週刊朝日は、これらの心得の中から、「抗がん剤を使えば寿命が延びると言う医者を信用するな」「がんの9割は治療するほど命を縮める」「がん検診はやればやるほど死者を増やす」「安らかに逝くとは自然に死ねるということ」を取り上げ、ほかの医師の証言を得ながら、その正否を具体的に検証している。

 まず抗がん剤は効くか効かないか、すなわち延命効果があるかないかという問題。近藤医師は「胃がん、肺がん、大腸がん、乳がんなど固形がんには効かない」という。それに対して2人の医師が「一概に割り切ることはできない」。がんの種類や患者の体質によって効いたり効かなかったりすると答えている。とすれば当たるも八卦で、やってみなければ分からないということか。

 しかし近藤医師は「何万本という論文を読んでも、抗がん剤で人を救えたという報告はない」と再反論する。さらに100年ほど前の全く治療をしなかった患者の生存曲線と、最近の抗がん剤の臨床試験をくらべて、昔の方が生存率が高かったというデータから「抗がん剤には延命効果がない」と主張する。

 しかし、それでもなお患者が抗がん剤治療を受けたいというのであれば、それに応ずるというのが結論。つまり、最後は患者の「自己責任」というわけだが、医者の方も意見が対立したままでは責任を取ることなどできないのであろう。

 次の問題は「がん検診」の是非である。近藤医師は「がんは治療しない方がいい」というくらいだから、それを見つけるための検診などは無駄であるばかりか、却って死者を増やすという過激な意見の持ち主。

 しかも日本では、がんの定義が欧米と異なるので「がんと診断されやすい」。たとえば同じ胃がんの病変を西欧の医師3人と日本の医師5人が診断した結果、西欧の医師3人が延べ33病変をがんではないと診断したのに対し、日本の医師5人は33病変のうち28病変をがんまたはがんの疑いありと診断した。

 そこからニセモノの「がんもどき」の話になり、検証する側の医師たちも、たしかに検査ではそのようながんが見つかることも多いとして「診断法の感度が高ければ高いほどひっかかりやすくなります」と、近藤医師に賛同している。これを「過剰診断」というらしいが、それによって余計な治療を余儀なくされることになる。ただし「科学的根拠のある検診も全くなしでいいというのは極論」と、近藤理論に釘を刺す。

 3つめは「安らかに逝く」ための「緩和ケア」の問題だが、これは9月20日号の「がん放置療法をめぐる大激論」で見てゆくことにしよう。激論の相手は元大阪大学教授の神前(こうさき)五郎医師。94歳の高齢ながら、近藤医師の理論は間違っている、撤回して貰わねばならないとして、大学の同窓会誌に次のような反論を書いた。

「本物のがんとがんもどきの違いは他臓器転移を作るか作らないかの一点のみで、他の科学的な識別の方法……については一切言及されていない。……がんもどきは形而上の概念であって、科学的実在とは区別すべきものである」

 また、がんもどき理論に従って「胃癌の実態を解析したところ、すべての胃癌はがんもどき早期癌の時期を経て、次々と本物のがんとなり、癌死をもたらすというものであった。この理論と実態の乖離については、近藤氏に科学者(医師)として答えを出していただく外ないだろう」

 このような「果たし状」から両者の直接対決が実現したのが『週刊朝日』9月20日号だが、対決の場は神前医師が入院中の病室。

「あなたの話は傍証(間接的な証拠)ばかりで……信用できない。(これは)がん放置療法の根本的な欠陥で、見逃すわけにはいかない。もっとはっきりした科学的な証拠をそろえてください」というのが病床の老医師。

 それに対して近藤医師は「科学的な証拠となるデータはいっぱい出していますよ。それを科学的でないというなら、何を科学的というんですか」と、枕もとで声を張り上げる。

 対する神前医師は「そのデータは状況証拠的なものばかり……」と、負けてはいない。

 「それより」と近藤医師は話を転じて「早期胃がんの手術は、がんがどんどん大きくなって転移して死んでしまうということを前提にしているわけで、それに対する積極的なデータはないんですよ」

 ……といった論議が2時間半も続いた。結局、意見の一致は見られなかったが、それでも近藤医師は「有意義だった」と満足げに病室を出たという。そして、これからも折りを見て、両医師の論議はなされることになったらしい。

 しかし、こんな平行線のままでは肝心の患者が「安らかに逝く」ことなど、できよう筈がない。癌という病は、まさしく「悪魔の病」であることを、これらの論議からも実感させられる。

(西川 渉、2013.9.14/加筆2013.9.22)

  

 

 

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