<航空朝日会>

武士道と捏造報道

 

 先日、思うところがあって『戦艦大和ノ最期』(吉田満、1974年)を読み直しました。漢字とカタカナだけの文語体は、それだけで緊迫感にあふれ悲壮感を抱かせます。次いで、同じ著者による『提督伊藤整一の生涯』を手にしました。伊藤提督は艦隊司令長官として沖縄に出撃する大和に座乗、艦と共に沈んでゆきました。

 この本の中にマレー沖海戦の話があり、わが海軍航空隊が撃破したイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズの戦死者は乗組員の20%。いっぽう大和は90%をこえる戦死者を出したと書いてあります。この違いは何か。

 日本の航空隊はマレー沖で、敵の護衛駆逐艦3隻に攻撃を加えず、漂流者の救助を間接的に支援したからでした。しかも日本機は敵戦艦2隻の沈没を見とどけると、翼を振ってイギリス軍の健闘をたたえながら飛び去ったと英軍の記録にあります。そして翌日再び飛来し、高空から花束を二つ付近の海域に投下します。ひとつは日本軍の戦死者のため、もうひとつは英軍戦士のためでした。

 ところが、そのような武士道、もしくは騎士道は、大和を襲った米軍機にはまったく見られなかった。大和の乗組員を救助しようとする駆逐艦を攻撃するばかりか、波間に浮かぶ兵員に対しても低空から機銃掃射を浴びせかけたのです。


戦艦大和(冒頭の図も)

 ところで今、私の次男一家は会社の転勤先シンガポールに住んでいます。その娘、私の孫は中学1年生ですが、夏休みに日本へ戻ってきて言うには、社会科の時間で昔シンガポールが日本に攻撃され占領されたと習ったとのこと。そこで私は、日本が攻めたのは、シンガポールを植民地化し基地を置いていたイギリスの軍隊であって、一般住民を攻撃したわけではない。そのうえ日本は、この戦争によってシンガポールからイギリスを追い出し、ひとつの国として独立するきっかけをつくってあげたんだという説明をしておきました。

 孫はうなずいていましたが、果たして分かってくれたかどうか。その先生はイギリス人だそうですから、なるほど日本を悪者に仕立てるのは当然でしょう。日本の学校でも、朝日新聞にそそのかされた日教組と教師たちが「従軍慰安婦」などというウソとデタラメを、わざわざ教科書にまで書いて子供たちに教えるくらいですから。

【追記】

 戦艦「武蔵」が海底で見つかったというニュースを聞いて、昨秋、上のようなものを朝日航洋OB会の「航空朝日会誌」に送ったことを思い出し、ここに掲載する次第。

(西川 渉、2015.3.15)

 

 
戦艦武蔵ノ最期

    

表紙へ戻る