<韓  国>

ヘリコプター救急の実現へ

 先週は韓国に行ってきました。折から韓国では、北朝鮮による大延坪島砲撃事件のあと、米韓合同の軍事演習が展開され、市民の防空避難訓練が全国一斉におこなわれるなど、緊張が高まっていました。ひょっとしたら、われわれの目的とする行事も中止になるのではないか、何もなければいいが思いながら、出かけてゆきました。

 むろん何事もなく戻ってきましたが、われわれの目的というのは、ヘリコプター救急の実現をめざす「トラウマ・シンポジウム」に参加することでした。主催は韓国私立大学の筆頭に挙げられる延世大学医学部。中心人物は付属病院救急部長の李康賢教授(Dr. Kang Hyun Lee)で、長年にわたってヘリコプター救急の実現に努力してきた先生です。開催の場所はソウルから東へ120キロ、車で3時間近く走ったところにある原州市(Wonju)。

 シンポジウムの前日夕刻に市内の立派なホテルに到着。翌朝、窓のカーテンを開けて驚いたことに、外は真っ白な銀世界。雪が静かに降りつづいておりました。気温はマイナス11℃。この人口30万ほどの町がスキー・リゾートで有名なのもうなづけます。

 一方では、しかし、それだけにスキーの怪我人も多く、李先生のところにかつぎ込まれる救急患者もウィンタースポーツによる人が多いとか。その論文にも、たとえばスキーとスノウボードによる負傷内容を比較して、近年増加しつつあるスノウボードの怪我を防ぐには如何すればよいかといったものがあります。

 その朝、11時頃ホテルのロビーで李先生と落ち合いましたが、早くも今朝の雪のために転んだ老婦人が腰の骨を折って運ばれてきたので、その治療を終えて出てきたという話でした。


雪のウォンジュ(原州)市内

 シンポジウムは、医学部の大きな階段教室に総勢100人くらいの医師、看護師、救急救命士、ヘリコプター関係者などが国内各地から集まりました。開催時間は午後1時から6時までの予定でしたが、それを1時間近く超えてしまい、終わったのは7時前。というのも、熱心な議論が多く、途中で打ち切ることができなかったためでした。

 むろん韓国語のやりとりですが、幸い在日韓国人の青年がこの医学部で学んでいて、同時通訳をしてくれました。もっとも普通、同時通訳というのは、複数の通訳者が15分くらいで交替しながら進めるものですが、このときは初めから終わりまで1人で、それも素人が続けたわけですから、さぞかしくたびれただろうと思います。なにしろ通訳の途中で大きなため息が聞こえてきたり、しばらく沈黙が続いたりするので、気の毒やら可笑しいやらでした。

 

 さて、このシンポジウムには日本からもわれわれ3人が参加し、それぞれ30分ずつ話をしました。3人の話題は、下のスライド表紙のとおりです。

 これらの話は、英語でやることになっていて、英文の原稿を用意したのですが、行ってみると上述のような同時通訳がいるとのことなので、日本語ですますことができました。私などが下手な英語でしゃべっても、聴き手に伝わるかどうか怪しく、恥をかかずにすみました。 

 ところで、シンポジウムの最後に驚かされたのは、韓国厚生省の担当官が登壇し、次のような重大発表をしたことです。

「政府として来年度からヘリコプター救急を実施することを決めた。年明け早々に計画書を発表し、医師や病院などの関係者から意見を聴取する。それにもとづいて3〜5月に拠点病院やヘリコプター運航者を選定し、6〜7月頃には開始したい」というのです。

 また「当初は2ヵ所での運航を予定しており、そのための予算は30億ウォンを準備した。将来は、2017〜2020年までに韓国全土15〜20ヵ所に救急ヘリコプターを配備したい」と。

 韓国では、ヘリコプター救急実施への動きが2年ほど前からあったようですが、早くも実現することになったわけです。

 30億ウォンといえば、1ウォン=0.072円として換算すると2億1,600万円になります。これが2ヵ所の費用だそうですから、1ヵ所あたり1億800万円。韓国の物価水準からすれば1.5億円くらいの価値でしょうか。これが年額かどうか確かめておりませんが、年額とすれば、わがドクターヘリの当初の基準額の中のヘリコプター運航費とほぼ同額です。ヘリコプターの運航費は、どこの国でも大体同じでしょうから、当然かもしれません。

 また、最終的に20ヵ所に配備されるとすれば、その密度は韓国の国土面積から見て、ドイツの現状(72ヵ所)に相当します。

 これまで欧米諸国とオーストラリアに限られてきたヘリコプター救急が、いよいよアジア諸国にも普及する動きを見せてきました。中国、タイ、インドなどにも、そうした動きが見られます。

 韓国のシステムが成功することを期待したいと思います。 


シンポジウムの後で――李教授(画面右から2人目)と
救急部の医師、看護師の皆さん。

 シポジウムのあとの懇親会。一人の医師と話をしていて、ふいに「北朝鮮による日本人拉致は、同じ韓民族としてわれわれのシェーム(恥)である。日本政府も被害者救出のために何故もっと強く、小泉首相のようにピョンヤンへ乗りこんでゆくなどの方策をとらないのか」と語りかけてくれたことが忘れられません。

(西川 渉、2010.12.23)

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