<講演録>
防災訓練のあり方を考える
去る3月27日(土)、全日本病院協会と日本災害医療支援機構(JVMAT)の主催で開催された「第8回地域防災民間緊急医療ネットワーク・フォーラム」で登壇の機会を与えられた。フォーラムの主題は「新しい防災訓練のあり方を考える」ということだったが、そのときの講演要旨に加筆して、ここに記録しておきたい。
本日は「地域防災民間緊急医療ネットワーク・フォーラム」で発言の機会を与えていただき、有難うございます。
私は、この40年間ヘリコプターを飛ばす仕事にたずさわってきました。その立場から緊急災害にかかわるヘリコプターの訓練について、考えてきたことをお話いたしたいと思います。
最初に防災飛行訓練を考えるための、基本的な認識もしくは前提条件を明確にしておきます。訓練の前提としては、防災飛行はヘリコプターの仕事の中では危険な任務であるということ。また人間は完璧ではなく、失敗を免れ得ないということ。しかも防災飛行において失敗すれば、その結果は恐ろしい悲劇を招くということです。
にもかかわらず、緊急事態に際して尻込みしているわけにはゆきません。失敗しやすい人間が危険な飛行をしなければならない。これが基本的な前提です。
では、その危険な任務を失敗せずに遂行するにはどうすればいいのか。それは関係機関が相互に協力し合うこと、捕い合うことです。その根底には相互の信頼がなければなりません。この信頼関係を築いてゆくのが訓練にほかなりません。これが結論です。まず最初に、結論を申し上げておきます。
前のスライドで、ヘリコプターの防災飛行は危険と言いました。どのくらい危険かというと、ここにあるように、ヘリコプターの業務としては2番目に危険です。1番目はいうまでもなく戦争です。
では、なぜ防災飛行がそんなに危険なのか。ひとつは災害がいつ何時発生するか分からないからです。いわば宣戦布告のない戦争のようなもので、昼夜を問わず敵の不意打ちに対応しなければなりません。そのうえ急を要する緊急飛行ばかりで、乗員には心理的なプレッシャーがかかります。
また現場に飛んでゆけば、そこでは未知の場所に着陸しなければならない。どこにどんな障害物や危険が潜んでいるか分かりません。
周囲の関係者――消防や警察の地上職員、医師など、少なくとも航空に関してはほとんどで素人でしょう。そういう皆さんと共同作業をするわけです。また周囲には野次馬が集まってくる。どうかすると、見物人に被害を及ぶことがあるかもしれません。
こんなことを言うと、やっぱりヘリコプターは危険な乗り物と取られるかもしれませんが、決してそんなことはありません。ヘリコプターによる防災飛行が危険といっても、ヘリコプター自体が危険ということではありません。たとえば昨年のヘリコプターの事故は1件だけです。むしろ旅客機の方が多くて、7件も事故を起こしています。軽飛行機は6件、マイクロライトは13件でした。こうして見ても、ヘリコプターが決して危険な乗り物でないことはよくお分かりいただけると思います。
そこで、危険な防災飛行にそなえる訓練は、危険の度合いに応じて、その量も多く増やさなくてはなりません。訓練の目的は安全の確保です。危険な業務を安全に遂行するためです。危ないからといって「君子危うきに近寄らず」などと、危険を避けていては防災活動はできません。
危険な業務を安全におこなうための準備が、すなわち訓練です。充分な訓練をおこなうことによって自信をつけ、精神的な安定を得て、困難な任務を安全に遂行することが可能となるわけです。
昨年来、高速道路の交通事故に際して、救急ヘリコプターが現場に着陸できない問題が大きく論議されてきました。それに対して、関係機関の言い分は二次災害を避けるためといいます。しかし、それでは防災機関としての資格に欠けます。そうではなくて二次災害を起こさぬような方策を考え、それにのっとって充分な訓練をおこない、任務を達成すべきでしょう。
素人が二次災害を恐れるのは当然です。しかし緊急機関までが素人と同じように「君子危うきに近寄らず」などと言っていては仕事になりません。
一方、消防機は訓練ばかりやっているというようなことを言う人がいますが、その非難もおかしい。訓練は決して時間と費用の無駄ではありません。いざというときに住民を救うための準備です。結果として災害がなければ無駄になるかもしれませんが、むしろその方が望ましいのです。そのあたりのことを、関係機関はよく説明すべきでしょう。
防災任務の遂行に当たって、その第一線に立つのはヘリコプター・パイロットです。したがってパイロットは資質、資格、経験を充分に勘案して選定さるべきであり、なおかつ不断の訓練を欠かすことができません。
緊急飛行を任務とするパイロットの資質は「緊急時のプレッシャーに押しつぶされることなく、常に沈着冷静で、的確な判断ができる。腕も良い」ということかもしれませんが、そんな人を見つけるのは困難です。そこで、そんなきれい事は忘れて、優秀な人を選ぶよりも、不適格な人を選ばないように考える方がいいでしょう。不適格な性格とは「興奮しやすく、余りに熱情的で、わがままな人」です。
次にパイロットの資格は、ヘリコプターの操縦免許、すなわち定期運送用操縦士(回転翼)および身体検査合格証を持ち、計器飛行証明も必要でしょう。
経験は、たとえば総飛行2,000時間以上。当該機種についても100時間以上の経験が必要です。たとえば自衛隊の救難航空隊で災害業務に熟達したベテラン・パイロットがどこかの消防航空隊に入った場合、自衛隊で使っていないAS365ドーファンやBK117といった機種が使われている。それに乗って、いきなり救助や消火などの任務に当たるのは危険です。
すなわち当該機種に慣熟するための訓練が必要になります。また機種に慣れていても災害対応任務に不慣れであれば危険です。民間ヘリコプター会社から消防航空隊に入ったパイロットがいた場合、会社でも同じBK117に乗っていた。したがって機種には慣れていますが、ホイストによる吊上げ救助や消火作業には不慣れでしょう。
そこで、各パイロットの欠けたところを補うための実地訓練を不断に重ねることが必要です。そうすれば精神的にも自信を持ち、安定して仕事ができるというわけです。
こうしてパイロットの訓練が出来上がったとします。しかし、それだけで航空の安全が確保されるわけではありません。航空事故はひとりパイロットだけの問題(責任)ではないからです。そこで上図のようなCRMという考え方が出てきます。
CRMは定期航空の安全性を高めるために考え出された膨大な訓練体系ですが、まず Cockpit Resource Management――コクピットすなわち操縦室の中の機長と副操縦士の関係です。飛行中のさまざまな判断や最後の決断はあくまで機長のものです。けれども、それに対して副操縦士が助言する。つまり副操縦士がきちんと助言する。機長もそれに耳を貸すといった相互の協力関係、信頼関係を普段からつくっておく必要があります。
その上で、次は Crew Resource Management が重視されます。クルーとは、旅客機ならば機関士や客室乗務員ということになりますが、これを防災航空に当てはめると救助隊員、救急救命士、ドクター、ナースということになります。この人たちは単なるお客さんや便乗者ではありません。クルーの一員です。したがってヘリコプター業務の安全のために、乗り込んでくる患者家族への安全ブリーフィングや非常口の開閉の方法など、あらかじめ訓練を受けておく必要があります。場合によっては航法や通信を手伝うこともあるかもしれません。また地上では、野次馬がヘリコプターに近づかないような見張りも必要でしょう。そのための訓練が必要になります。
航空の安全はパイロットやクルーなど、ヘリコプターに乗っている人ばかりではなく、地上の運航管理者はもとより、電話の受付や伝言、連絡に当たる人など、すべての人がかかわってきます。連絡の遅れや洩れが危険を招き、事故につながるかもしれません。会社でいえば Company Resource Management です。
テレビのニュースを見ていても、何か問題が起こると、そんなことは聞いていなかったとか、報告を受けていないとか、知らなかったといったセリフが常に出てきます。たしかに情報や連絡の不備は問題を大きくし、事故を招きます。病院でもヘリコプター会社でも、飛行の安全には関係がないように見える人も、実は大いに関係があるわけです。
この考え方を地域社会に広げてゆけば、Community Resource Management ということになります。各地の消防本部、警察本部、現場に駆けつけた消防隊員、救急隊員、救急救命士、警察官なども飛行の安全に関係してきます。どんなときにはどのような行動をすべきか、座学研修だけでも受けておく必要があります。
国家としても、阪神大震災のときに霞ヶ関の中央省庁がどのように考え、どのような行動をしたか。神戸の現地では火災が広がっているのに、空から水を撒くかまかないかなどと長々と会議ばかりやっていて、夜になっても結論が出なかった。村山富市首相もふだんのままの閣議を続けていて、昼は外国の賓客とゆっくり会食をしていたなどといわれましたが、これらはすべて国家としての危機管理―― Country Resource Management ができていなかったためです。
阪神大震災の半年後、あわてて総理大臣を座長として「防災基本計画」が改訂されましたが、果たしてうまく機能するのだろうか。いかに立派な計画をつくっても、行動のための訓練ができていなければ、実効はむずかしいでしょう。
上に述べたようなCRMを考え、訓練をしてゆく場合、全てがヘリコプターを飛ばす必要はありません。机上の座学訓練もありますし、電話、ファクス、電子メール、無線機などを使って関係機関の間の連絡通信の訓練をすることもできます。また、それらの連絡を受けた人がどのようして上司に報告したり、機関内の全体に知らせるかといったことも重要な訓練の対象になります。
次に、実際にヘリコプターを飛ばす訓練ですが、訓練に参加する範囲に応じてさまざまな規模があります。消防航空隊を例に取れば、航空隊だけでおこなう小規模訓練から、警察、病院、民間企業も合わせた中規模訓練。最後に自衛隊が登場する大規模訓練が考えられます。
自衛隊の本来の役割は防災ではありません。したがって防災計画の最初から自衛隊にまかせるような便宜主義ではけじめがつきません。中規模訓練に相当する程度の防災活動ですむならば、わざわざ自衛隊が出る必要はないでしょう。自衛隊より先に民間企業に動員をかけるべきです。
こうして、いくつもの機関が共同訓練を重ねて行けば、やがて相互の関係が滑らかに動くようになり、縦割りといわれているような状態を脱して、お互いの信頼関係が醸成され、円滑な共同作業ができるようになります。これは極めて重要なことであります。
たとえばひとつの現場に、自衛隊、警察、消防、ドクターヘリなどが入り交じって集まった場合、各自ばらばらに勝手な行動をするのではなく、全体として調和の取れた共同作業にならなければいけない。その場合、全体の指揮は誰が執るのか。そのあたりのすり合わせが、共同訓練を繰り返すことによって自然と出来上がってゆく。逆に信頼関係が醸成されないような訓練は無駄といっていいかもしれません。
話は急に変わりますが、9.11テロに際して、ワールド・トレード・センターの屋上から何故ヘリコプターによる救出がおこなわれなかったのでしょうか。ハイジャックされた旅客機のぶつかったところから上の階の人は屋上へ逃げようとしました。上空にはヘリコプターが待っていました。しかし、ヘリコプターに助けられた人はいません。
ワールド・トレード・センターの屋上には勿論、緊急用ヘリポートが設けてありました。実際に1993年、爆弾テロで大量の煙が発生したときはニューヨーク警察のベル412が着陸し、屋上へ逃げてきた28人を救出しました。同じことが、9.11では何故できなかったのでしょうか。
それは、93年の警察のお手柄が新たな問題を引き起こし、あの救出作業は危険で無用だったという非難が消防から出たためです。この論議の結果、ワールド・トレード・センターの屋上非常口に鍵がかけられてしまいました。あのとき非常口があいていれば、高層階の人びとは屋上に脱出できたはずで、上空を飛んでいた警察ヘリコプターで救助された人もいたに違いありません。事実、ようやく非常口の前までたどり着いたがドアがあかず、そのことを携帯電話で家族に伝えながら死んでいった人もいました。
9.11テロでは、ワールド・トレード・センターにいた人びとばかりでなく、救助に駆けつけた消防士も多数が犠牲になりました。何故そんなことになったのか。
実は、ワールド・トレード・センターの南棟が崩壊したあと、上空を飛んでいた警察ヘリコプターが「北棟も危ない」「退避せよ」という警報を発していました。この発信は、警察の通信記録テープの中にも明瞭に録音されています。警報は直ちに周囲の警官たちに伝えられ、脱出がはじまりました。ところが、その警報は他の人にはほとんど知らされなかったのです。
消防士たちにもほとんど伝わらなかったのは、ひとつは両者の無線周波数が異なるためです。周波数について、警察と消防は何年も前から共通の無線波を持つための話し合いをしてきました。しかし合意には至ってなかったのです。
そのうえ両者の仲が悪いので、警察官たちは消防士と共同作業をすることを嫌がる。消防士が軍隊式の訓練を受けていないので、人の命令に従わない。警官が何か指示を出しても「あいつの言うことなんか聞けるか」などと言い出すからというのです。
消防の方にも言い分があります。「警察には他の機関に協力するなどという気持ちは全くない」「頭が固いから考えは変わらないし、住民にも憎まれるのだ」
これより先、当時のジュリアーニ市長は危機管理局を設け、こうした防災問題を一元的に管理する体制をつくりました。また93年の問題から、警察ヘリコプターは炎上中のビルディングに直接、救助のために近づいてはならないという指示を出しました。その代わり大災害のときはマンハッタンにある4か所のヘリポートのいずれかで待機し、消防隊員の来るのを待って、彼らを乗せて現場へ運ぶというルールをつくったのです。
これで高層ビルの火災に際しては、消防も警察ヘリコプターを使用できるようになりました。警察と消防の1993年協定です。しかし、その後8年間、協定にもとづく共同訓練や実際の出動は、一度もなされたことはありません。9月11日も、警察ヘリコプターで屋上へ連れて行ってくれと申し出た消防隊員は一人もいませんでした。
というわけで、せまい建物の中で、お互いに声をかけることもなく、両者互いに相手を無視しながら仕事をしていたし、一方は脱出してゆき、一方は建物の中に残ったというわけです。
このことをニューヨーク・タイムズ紙は2002年7月7日付けの紙面で「9.11テロで露呈した危機管理の致命的欠陥」という見出しで報じています。そこには第1に、合同訓練は一度もしたことがなかったと書かれています。
第2に警察と消防は、かねて犬猿の仲だった、と。ニューヨーク・タイムズ以外にも、たとえば『9・11セプテンバーイレブンス』(冷泉彰彦著、小学館、2002年3月刊)は「ニューヨークの消防士は歴史的に警察とは仲が悪く、今回も9.11以降の遺体収容活動縮小に抗議して警察と立ち回りを演じたり」したと書いています。
その結果は大きな犠牲を払うことになりました。この日、ワールド・トレード・センターから続々と逃げ出してくる人びとに逆らって、燃え上がる超高層ビルに飛び込んでいった消防士は1,100人を超えます。そして343人が戻ってこなかったのです。
たしかに、テロの現場に飛び込んだ消防隊長や隊員は全力を尽くして闘いました。誰もひるむ者はいませんでした。しかし彼らが如何に命知らずとはいえ、個々人の正義感だけで災害を防ぐことはできません。先に述べたCRMの考え方も、そこにあります。
CRMにもとづく合同訓練は、繰り返しになりますが、単に業務の慣熟度を上げるばかりでなく、複数の関係機関の間に相互の信頼関係を醸成し、障壁を取り除きます。この壁が除去されたならば、いくつもの緊急機関が連動し、それぞれの役割分担を定めて、有効な指揮統制を確立することも可能となるでしょう。
かくて、訓練は形だけの防災計画に魂を吹き込み、有効な防災活動を可能にします。
(西川 渉、2004.3.30)
