<NHK「きょうの世界」>

苦闘するエアバス社

 

 欧州エアバス社が間もなく再建計画を発表する。ついては、その問題点と今後の課題を解説して貰いたいという電話を受けたのは、本番の2日前であった。NHKの衛星放送BS1の「きょうの世界」というテレビ番組だそうである。

 一応わかりましたと返事をしたものの、詳しくは翌日、計画の発表を見て最終結論を出すということで電話が切れたので、こちらは何の準備をしていいか分からない。まァどうにかなるだろうと思っていると、翌日昼前に電話があった。計画発表が延期になったので、この問題を番組に入れるかどうか、これから検討するという宙ブラリンの状態に置かれた。

 夕方になってさらに電話があり、発表は延期になったが、なぜ延期になったのかといった問題も含めて、取り上げることにした。出演願うという電話であった。そこで、こちらもエアバス関連のニュースを整理し、メモをつくり始めた。

 その深夜、今度はメールで、番組のあらすじとキャスターからの想定質問が送られてきた。もっとも、そのメールに気づいたのは本番当日(2月21日)の昼前、NHKからの電話でメールを読んだかといわれたときであった。それまで、こちらでは何を訊かれてもいいように、メモをつくり続けていた。しかし先方の質問を見て焦点を絞ることができたので、それに対する答案を書くことにした。

 それが夕刻になってでき上がり、先方へメール発信して晩の食事をしたのち、夜の8時頃家を出た。なにしろ放送時間が午後11時15分からというのである。うまくしゃべれるか不安がいっぱいで、大いに緊張して電車に乗った。NHKの西玄関に着いて、ディレクターへの案内を乞う間に、早くも喉がカラカラに渇いてしまうありさまである。

 9時前からディレクターとキャスターをまじえた打ち合わせが始まった。先方が用意した台本は、こちらが送った答案にもとづくものだが、文字数は半分くらいに減っていた。

「きょうの世界」という番組は、実はこのときまで知らなかったのだが、夜の10時15分から始まり、11時からのニュースをはさんで、後半に入る。その中で「苦闘するエアバス社」という特集は11時15分から15分間。

 したがってキャスターは打ち合わせがすむと、10時過ぎには本番に向かって出てゆかねばならない。その後は、こちらは1人で待つことになる。もっとも、一応の筋書きは決まったものの、台詞(せりふ)というか、言葉の言い回しを、台本のわきにメモ書きしながら頭の中で考えてゆく。

 なにしろ、この歳になると、あらかじめ考えておかなければ、その場で咄嗟にうまい言い回しなど出てくるはずがない。それでなくても緊張の余り、頭の中がコチコチに懲り固まっていて、本番まで2時間近くあるというのに、自分が何をしているのか分からなくなってくる始末。

 そこへビデオテープを持った映像担当の人がやってきて、私の話の前にエアバス社、A380、A350XWBなどの最近のニュースをつないだ説明ビデオを流すので、それを見て貰いたいという。モニターテレビに画面が出ると、その人が私の横に坐って画面に合わせ、大きな声で朗々とナレーションを読み上げる。まるで本物のアナウンサーか声優が声を吹き込むかのような調子で、ちょっとびっくりした。

 そういえば、先ほどから私のすわっている場所の衝立の向こう側でも、いろんな声が聞こえている。いずれもナレーションで、日本語ばかりでなく、英語、中国語などいろいろあり、テープの編集をしたり、しゃべる時間を測ったりしているらしい。それが小さい声でボソボソ読むわけではない。ボソボソでも良さそうなものだが、やはり大声で、誰もが遠慮することなく堂々とやっているのに感心した。

 それらの声を聞き、ニュースビデオを見たあと、こちらも最後の準備に入った。持参のパソコンをインターネットにつないで、事実関係を確認してゆく。こまかい数字なども、多分、本番でしゃべることはないと思いながら、それでも念のためと考え、メモを取る。

 そんなことをしているうちに、先ほどのディレクター氏が、ストップウォッチを持ってきた。ちょっと時間を測りましょうという。要するにリハーサルである。こちらも、一度くらい練習した方がいいかなと思っていたので、それに応じた。

 ディレクターが、これも大声で本番さながらに質問を読み上げる。それに私が答える。合わせて4問4答で7分ほどかかったらしい。これでは長い。6分で抑えたいということになって、答案の一部を省くことにした。この種の番組で、ゲストが6分間も話をするのは長いのだそうである。

 本番の15分ほど前「メイクをします」といわれた。何かと思ったらメイキャップのことで、3人分の鏡と椅子が並んだせまい部屋に案内された。大きな鏡の前で眼鏡を取ると、顔にうすい肌色のクリームのようなものを塗られた。いわゆる「どうらん」である。目的を訊くと顔のてかりを抑え、テレビ画面で白くのっぺらぼうに映るのをふせぐため。また顔色のまだらをなくす効果もあるという説明だった。

 ついでに、鏡の中の髪が余りに白いので、冗談半分に黒くできませんかと訊いたら、簡単ですといって、髪の毛に黒いクリーム状のものを小さなブラシで塗ってくれた。ヘアマニキュアといったかどうか忘れたが、帰宅してシャンプーすればすぐに落ちるという。これでテレビの中の私自身は、いくらか若返ったのではないかと思う。

 そして、いよいよ、屠所に引かれる羊のような気持ちでスタジオに入った。広い大きな部屋で、正面の少し高くなった壇上に先ほどのキャスター氏が坐っている。反対側のデスクでは、アナウンサーが天気予報を読み上げていた。モニターテレビには日本地図とお日様のマークが見えている。

 片隅の椅子に坐って見ていると、午後11時15分、正面のキャスターと、その横の女性アナウンサーが「今日の世界、第2部の特集は苦闘するエアバス社を取り上げます」と語り始めた。

 そして、しばらくの間、先ほどと同じビデオでエアバス社の成り立ち、ボーイング社との競合、A380の開発、量産の遅れ、諸問題の発覚、A350の開発遅延などの紹介と説明があって「今エアバス社は岐路に立たされています」という女声のナレーション。

 そこで、今後どうなるかというので、キャスター氏「スタジオには航空ジャーナリストの西川渉さんにおこしいただきました」と、こちらが呼び出された。

 余談ながら、ビデオの放送中は、スタジオの中は大声を出しても構わない。次の準備と時間調整のためのやりとりがあって、カメラも動き回って位置を変えたりする。正面デスクのキャスター氏の横にすわると、目の前にモニターがあって、手もとに置いた原稿が映し出されている。したがって顔は正面を向いているが、実は原稿を読んでいるのである。

 しかし、私のようなゲストには、そんな仕掛けはない。あらかじめ、手もとのメモを見てもいいといわれてはいたが、顔を上げたり下げたり、紙をめくったりと、なんだか素人の方に余計なハンディがかかるような気がした。

 さて、本番の生放送は無我夢中のうちに終わった。6分間のやりとりもあっという間で、自分では何をしゃべったのか殆ど憶えていない。うまくできたかどうかもわからず、まずかったとしても、こんな時間帯だから見ている人も少ないだろうし、恥をかいても大したことはないと慰めるほかはない。いつもならば、私など寝床に入っている時間である。

 以下の問答は、実際の記憶がないので、あらかじめつくった原稿に手もとのメモを加えたものである。本番は、これの半分か3分の1ぐらいだったはずで、舌がもつれて言葉にならなかった部分もあり、さらにはアシスタントの人が大きな画板のような紙に、「残り1分」「残り30秒」などと書いて、向こうの方で振り回すので、ますます不本意な結果となった。

Q1――エアバス社減速の原因となったA380の生産遅れ。配線工事が原因とのことだが、なぜこんな大きな影響に?

A1――まずA380は史上最大の超巨人旅客機です。標準で555人、最大850人くらいの乗客が乗せられます。したがって1人当りの費用は割安になるけれども、これを現実のものにするには、技術的に大変な問題を克服しなければならなかったはずです。

 事実、開発途中で重量が予定以上に増えた問題があり、これにはカーボンファイバーなどの複合材を採用するなど、日本の技術も大きく貢献しています。

 配線の問題にしても、客席の一つひとつにオーディオやビデオの導線をつないでゆかねばならない。総延長550kmといいますから、ちょうど東海道新幹線と同じ距離です。いくら長くても1本ならば簡単ですが、10万本もある。その両端を、互いに相手を間違えることなくつないでゆく。何だか気の遠くなるような話で、作業の手間ひまがかかるのは当然でしょう。

 しかし一応、そうした技術的な問題は解決したようですが、そのために引渡し開始の時期が遅れたことで、経済的な問題が大きくなってきました。これが第2の問題で、引渡しの遅れによる損失を取り戻すためには、その分だけ余計にA380を生産しなければならない。当初は250機が採算分岐点と計算されていたが、今や420機にはね上がった。

 そうすると会社の業績も問題になり、経営陣の采配が問われる。つまり第3に経営的な問題が表面化しました。このあたりが昨年1年間のゴタゴタで、トップのインサイダー取引といったスキャンダルまで生じ、社長が交替したと思ったら、新社長も100日間で辞任ということにまでなりました。

 こうしたゴタゴタがあると、航空会社としてはそんなところから高い買い物をしたくない。A380は1機300億円以上といわれていますが、高価であるばかりでなく、運航に際しては部品補給や技術支援などさまざまな面でメーカーのサポートを受けなければならない。ゴタゴタがあれば、そういうサポートも弱くなる危険があります。

 そうなると受注数が減り、ボーイングに首位を奪われるのは当然でしょう。ちなみに、エアバスの昨年の受注数は790機。一昨年の1,055機にくらべて25%減となった。一方のボーイングは、エアバスのゴタゴタにつけこんだわけではないでしょうが、販売促進に勢いがついた。そのためボーイング機の受注数は1.044機で、前の年の1,002機を上回る結果となりました。

Q2――エアバスの特徴でもある複数国の連合企業、というのがマイナスに働いている面もあるのでしょうか?

A2――国際企業というのは、たしかに一国だけの企業と異なり、民族的な違いというと大げさですが、文化の違い、言葉の違い、さらには日常的な習慣のちがいなどもあって、多少のぎくしゃくは避けられないでしょう。しかし今や、国際企業はさほど珍しいものではないわけですから、国際的な連合というだけで問題とはいえないと思います。

 ところがエアバスの場合は、前にも言ったように単純な民間企業同士の連合ではなくて、その背景には国家とか政治といった国策や国益がある。それぞれの国や地域が、できるだけ沢山の仕事を自分の国でやって貰いたいという綱引きが始まる。

 上の経営的なゴタゴタも、その背景には政治的な問題がからんでいたはずです。

Q3――なかでも中心的な存在のドイツとフランスの駆け引きは激しさをましているようですが?

A3――今回、エアバス社の再建計画の発表が延期になったのも、新しい長距離用中型機A350XWBの開発にあたって、ドイツとフランスとの間の作業分担の割合について、調整がつかなかったためと聞いています。

 そもそもエアバス社の下請け企業は、フランスだけで3,000社もある。同じような下請けがドイツその他の欧州各地にあるわけで、日本流にいうならば各地域の議員が首相や政府に分け前を要求してくる。その要求は量的に見るだけでも膨大なものになるはずで、なかなか調整ができなかったのではないでしょうか。

 たとえば、従来エアバス機の最終組み立ては南仏トゥールーズでおこなわれていましたが、ひょっとしたらドイツがA350XWBについては自分の方で最終組立てをやりたいと言ったかもしれませんね。

Q4――しかし、このまま内部のもめごとで新型機の開発も遅れるようでは、ボーイング社の寡占になることもあり得る。それは余り良い状況ではないと思えるが?

A4――エアバス社は今や、航空機メーカーとして押しも押されもせぬ地位に立っています。その技術力は、A380が昨年末、経営面の混乱にもかかわらず、立派に型式証明を取得したことでも実証されたといっていいでしょう。本当ならば今ごろは定期路線に就航しているはずだった。

 このすぐれた技術力を持つ企業を、政治的な駆け引きで弱めてはならない。ましてやボーイングに対抗してゆくためには、いま身内同士のケンカをしているヒマはない筈です。

 ボーイング自体もエアバスの存在あってこそ、自分たちを含めて航空界が進歩してゆけるのだとしている。航空界の健全な発展のためには、健全な競争が必要だと思います。

 キャスター「西川さん、きょうは有難うございました。経営建直しへの模索が続くエアバス社について、航空ジャーナリストの西川渉さんとともにお伝えしました」

 というところで私の苦闘も終わったが、なかなか面白い経験ではありました。この洗礼によって多少の要領も分かったので、次に同じような機会があればもう少し余裕をもって演じられるような気もする。などといえば、負け惜しみになるでしょうか。

 蛇足をつけ加えると、小生この2〜3日前から風邪気味で、咳や鼻水に悩まされていました。その症状が本番で出たら困るなと、それが最大の心配でしたが、重要な6分間だけはギンギンに緊張していたせいか、咳払いをすることもなく、うまく通過しました。ただ風邪声だけは直すことができず、帰宅して家人に訊くとしわがれ声だったとのこと。いつもの美声が全国に届かなかったのは残念でした。

(西川 渉、2007.2.23)

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