<西川修著作集>

狂院小記(2)


岩内岳

 精神病院には保護室というものがある。興奮して周囲の人々に危害を加えるような患者を一時拘束しておくための病室である。何しろ、暴れる患者を入れる所であるから頑丈でなければいけない。これが第一の条件であるが、そうかといって丈夫一式で牢獄のようなのは困る。採光、通風が十分で、外部からの監視がよく行き届き、看護に便利でなければならない。室内の余計な突起物などで往々にして興奮した患者が怪我をするから、そういう点も注意して作らねばならぬ。

 特に出入り口の扉は力の強い患者が体当たりしてもビクともしないように堅牢にできていなければならぬし、それに相応しい錠前の開閉は軽く迅速にできないと非常の場合に都合が悪い。火災の時など錠の下りた室内で患者が焼死したりする悲惨な事態を起こす。そんな風に色々な条件、それも互いに矛盾したような条件を具備しなければならぬ厄介な病室が、保護室なのである。

 従って、精神病院の経営や管理にあたる者は保護室の構造とか、細部の設備などに色々と頭を使うし、あちこちの精神病院を見学する際にも、ここの保護室はどんな風にできているか、ということが一応関心の的になる。

 二十余年前の話である。A医専の精神科の病室が新築されることになった。鉄筋コンクリート三階建で、一階には診察室、検査室、治療室などがあり、二階と三階が病室である。保護室は二階に作られることになった。精神科の科長のB教授は我々の先輩で、時々我々がとぐろを巻いていた大学の医局にも顔をだされたが、その度に新しい病室の設計や、いろいろな新規の計画について意見を開陳され、理想の実現に意気軒昂たるものが見受けられた。

 いよいよ新病棟が完成に近ずいた。保護室は叫喚する患者の声も外部には殆ど洩れないように防音の点に特別の考慮が払われ、またその扉は外から押して閉めるだけで自動的に錠が下りるという簡単便利なもので、しかも堅牢、暴れる患者を強制して保護室に入れる時などは、すこぶる都合のよい構造になっている。

 某日、B教授はほとんど完成に近い新病棟を見てまわられた。なお自分の理想にはいささかの距離があるとはいえ、到る所に自分の新しいアイデアが生かされて、精神病棟としては画期的なものといえよう。B教授は充ち足りた思いで各室を見まわって行かれる。保護室は既に完成している。教授は保護室の内部に入って子細に点検された。特に細部にまで留意して作った保護室である。申し分のない出来映えである。B教授は満足気にうなずいて室を出ようとした。扉が閉まっている。押してみたが開かない。自動的に錠が下りている。アアッ! 教授は保護室に閉じ込められてしまった。室に入る時、何気なく扉を閉めたのに違いない。あるいは、自然に扉が閉まったのかも知れない……。

 とにかく、閉まりさえすればその威力を発揮する自動扉は既にガッキと下りている。外部から鍵で開けなければどうにもならない。まだ建築中の建物だから、その辺に仕事をしている職人がいるはずだ。B教授は何度も呼んでみた。扉をたたいて連呼した。ところが、防音に特別の配慮を施した病室である。呼べど叫べど何の手応えもない。防音設備も室だ極めて優秀な機能を発揮したわけだ。教授も狼狽せざるを得ない。これから講義もしなければならないのに、ちょっと時間の余裕があったので新病棟を見に来だのが問違いのもとであった。

 保護室には外気に面した窓がある。厚ガラスを入れた細長い窓で頑丈な鉄の枠が入っている。ここから僅に外部を見ることができる。B教授は今度はこの窓から大声で呼んでみた。何回も繰り返した。しかし答える者はいない。何分二階の、しかも細い小さな窓である。その上、どこの病院でも大学でもそうだが、精神病棟のあるのは一番遠い一隅で、付近を通りかかる人も余りない……。

 教授は稀な偶然を頼むより仕方がないと覚悟した……。小さな窓から遙か下の地面を擬視して通りかかる人を待つより他に方法がない。

 一時間余り待ちあぐんで、小使いの小母さんの通りかかるのを見たB教授は必死になって叫んだ。小母さんはびっくりもしたろうし、不思議にも思っただろう。建築中の建物の妙な窓から呼び立てたのだから。とにかく教授は救出された。教授は自分の設計した保護室の優秀性を身をもって立証したわけである。

(西川 修/絵も、大塚薬報、1956年)


然別湖

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