<西川修著作集>

狂院小記(4)

 病棟から医局に帰ろうとして廊下を歩いて来たら、デイルームの前に破瓜病の若い患者が立っていたが、静かに近づいて来て「これ、奇麗でしょう。運動場に咲いていましたよ」と言って月見草の花をくれた。

 いっも真白な顔に白い目ばかりキラキラさせて、色の悪い唇を絶えず舌で砥めまわしている。時々気味の悪い笑いを洩らすが、何を問うても答えてくれない……。そんな患者が全く思いもかけずに短いながら普通の人のような、文章をなした言葉で話かけて来たのだから私は全く驚いた。しかし、その後はもう金輪際物は言わないぞというように空しい表情で病室の方に歩いて行ってしまう。

 今から二十余年も前のその当時は、まだインシュリン療法も電気衝撃もなかったし、患者と我々との間の疎通性を作ることは極めて困難なことであった。破瓜病の患者が一度でもこんな風に話かけて来ることは驚くに価することだったし、それにも増して、無味感想全く生ける屍というような分裂病者(その当時は早発性痴呆と言った)の心の奥底深く花の美しさに応える優しい心情がかくされているのを見てひどく感激したものである。

 この患者は発病して二年ぐらい経っていた。私がまだ学生で夏休みの見学に精神科に行っていた時、外来を訪れたのが初めだったが、その時の訴えは「鼻が動くのが気になって仕方がない」というものであった。

 結局、強迫神経症と診断されて、森田式精神療法の変法が行なわれたが、その内に段々と分裂病の症状が顕著になったらしい。二年後私が医局に入った時はもう慢性不治の破瓜病として入院していた。

 月に一度ぐらいお母さんが面会に来た。時には妹を連れて来ることもあった。妹は姉と一つか二つしか違わなかったのだろう。姉さんの蒼白なのに比べてこの妹さんはいわば紅頬朱唇全く花のような美貌であった。

 ところが、一年程もして外来患者の中にこの妹が現れた。近頃絶えず頭痛があり、特に最近母親に反感を持って時々ではあるが手荒なこともするという。相変わらず美しくはあるけれども眉を寄せて遠い所を見るような眼は精神分裂病を思わせるに充分であった。お母さんも「また姉のようになるのではないか」と心配しているが、まだ本当の精神病とまでは思っていなかった。この患者も間もなく定型的な緊張病性興奮を示して保護病棟に入院しなけれぱならなくなった。惨ましい運命、悲しい話である。

 精神病は遺伝しますか、というのは我々が最も多く受ける質問であるが、私は「遺伝はないことはないが、そんなに多いことではありませんよ」と答えることにしている。

 勿論、精神病……特に精神分裂病……は伝染病ではないし、その病因はわからない。しかし、今は精神病が遺伝するという考えが余りに強過ぎる。この空気の中で我々医師が精神病の遺伝を強調することは、むしろ害あって益のないことのように思われる。精神病だと知られることをはばかって隠していれば早期治療も行なわれにくい。従って、治るものもその機会を失う。遺伝しないと言えば嘘かも知れぬが、「そう多いものではない」というのは事実だ。それによって病者を抱える家庭の人が安心し、肩身狭い思いもせず、治療に向かって希望を持つことができるならば……。

(西川 修/絵も、大塚薬報、1956年)


紫陽花

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